がん診療の誤解を解く 腫瘍内科医Dr.勝俣の視点
医療・健康・介護のコラム
余命に関する誤解(下)~標準治療の功罪~

「標準治療は終了しました。もう治療はありません。あなたの余命は3か月です。あとは、好きなことをしてください」
60代の男性で、主治医からこのように言われた患者さんが、私のところへセカンドオピニオンを聞きに来られました。
肺小細胞がんの患者さんで、セカンドライン(第2選択)の抗がん剤までやり、効果がなかったとのことです。
主治医から、
「当院では、ガイドライン(治療指針)に書いてある標準治療しかしません。あとはホスピスを勧めます。自分でホスピスを探すように」
と言われたというのです。
主治医としては、良かれと思って、“真実を告げた”つもりなのでしょうが、患者さんとしては大変なことです。
その患者さんは、
「好きなことをしなさい、と言われても、気が動転した。死刑宣告をされた気分だった」
と言うのです。
「余命宣告をされたその日から、生きた心地がしなかった。夜もろくに眠れず、自分の命は、あと3か月、2か月、1か月と数えました。あと、3週間、2週間、1週間……。今日が、死亡日に当たるんですが、自分はなぜ死なないのですか?」
と真剣な面持ちで聞いてきました。
「○○さん、医師が言う余命というのは当たらないのですよ」
と私が言うと、
「何で、医者は当たらない余命など、無責任なことを言うのか? 自分は余命宣告をされてから、死刑囚になった気分だった。自分は何も悪いことをしていないのに。死刑囚にも当日になるまで死刑執行日を教えないのに、なぜ、医者が死刑執行日を言うんだ?」
と、怒ったように言われました。
私は、医師は何て罪なことをしているのだと思いました。
日本のがん医療の現場で頻繁に行われている“余命告知”、何の意味があるのでしょうか? 考えてみたいと思います。
安易な余命告知はやめるべき
患者さんが、医師から言われる最も傷つく言葉の一つに
「もう何も治療がない」という宣告、
または、
断定的な余命告知
があります。
これは、全国19の施設ホスピスへ入院した630人の家族へのアンケート調査の結果に基づくものです(1)。
余命が当たらないという医学的な根拠は、前回のコラムで紹介しました。
医師がする余命告知は、医学的根拠がないばかりか、冒頭の患者さんのように、心に深い傷を残してしまう結果にもなりますので、安易な余命告知は慎むべきと思います。
患者さんによっては、
「私の余命を教えてください」
と聞いてくる患者さんもいます。
「将来設計をしたいので、余命を言っても大丈夫ですから……」
などと言われる場合でも、いざ余命告知をされると、自分が考えてもいなかった数字を言われてしまい、ショックで何もできなくなった、などということもよく聞く話です。
断定的な余命告知は、医師と患者さんのコミュニケーションをストップさせます。
余命告知された瞬間に、その数字が頭から離れず、頭の中が真っ白になってしまった、ということも聞きます。
がん告知というのは、日本でも普通に行われるようになってきました。
がんの診断を告げること、病名を告げることは、これからの治療方針を決める上で大切だと思いますし、あいまいにすべきではないように思います。
余命は、不確かなものですし、今後の治療方針においても不確定要素が多い場合、余命告知をすることと診断を告げることとは、全く別な次元のものとなるため、医師は安易に考えてはいけないと思います。
また、
“告知”という言葉は、“言い放つ”という意味を含んでいますので、一方的で、冷たい表現だと思います。
私は、この“余命告知”という表現も、やめてほしいと思っています。
メディアも、“余命○か月”の表現をやめるべき
メディアは、“余命”や、”余命告知“という表現が大好きです。
ちまたには、
「余命○か月から生還した○○」
「○○がんで、余命告知○か月と言われた芸能人」
などという言葉があふれています。
この表現を使うと、視聴率や販売部数が増えるそうなのです。
スキャンダラスな、センセーショナリズムばかりを追求したメディアの姿勢には、あきれるばかりです。
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