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死に蓋をして思考停止、盲目的延命の果てに

木瓜の花咲くホームの元管理人

死にフタをして思考停止したその結果の、誰もハッピーにならない、盲目的なし崩し的延命をやめるしかありません。当然のことであり、ほんの20世紀末までそれしかどうしようもなかった生命の摂理、それに戻りましょう。

つい数日前、都内で在宅医療を精力的に展開する先生が、ある病院の先生の胃瘻の実態についてのプレゼンテーションをご紹介されていましたが、その後半に、胃瘻になったその意思決定の半数以上が、本人ではなくな家族の意思によるもの、しかしその半数は後悔する、とありました。この種の調査はいつの時点、ステージでの調査かで反応も変わり得ますから(胃瘻にして間もなくと、亡くなる前後とでは当然積み重なった介護体験から想いは変わります)、現場臨床看護職の体感値としては、胃瘻のほとんどは本人による意思決定ではなく、そしてほとんどが後悔ないしはハッピーではない、、、というのが実感です。
しかし、胃瘻や人工透析などの延命医療(治療ではありません、治りはしないからです)は、始めてしまったら、やめることは現行法では殺人にすらなり得ます。抜去や栄養剤注入を止めたり減らす等は、警察検察に知れれば消極的安楽死事件として扱われて、刑法上の訴追対象になるおそれがあります。そして現時点で我が国では、いかなる安楽死事件も無罪にはなっていません。
しかし胃瘻や透析などの延命医療に陥る場合、回復はほとんどの場合見込めないので、死ぬまで延命し続けるしかありません。その費用は、自己負担で月に20万円以上になることも多々あります。それでは家族の方が持ちません。

口では漠然と「延命しなくていい」と言うだけではダメです。法制上も、「手も出さない金も出さずに口だけ出す」家族親類を退けるためにも、延命の是非について書面での意思表示は必須です。

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