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【意思決定】本人の意思を尊重、次に家族の意向とは言うけれど……

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テーマ:意思決定 誰がどのように決めるのか?

sayonara1103

 大切な家族の病気やけがが非常に重く、それを見守る家族が治療方針についての決断を迫られることの苦しさ、そして、どのような決断をしても「本当にこれでよかったのだろうか?」と時が経過しても悩む場合があることは、他の方のコラムでも述べられています。

 私も家族の立場で決断を求められたら、大切な家族であればあるほど、どのような判断をしたとしても「自分の決断が正しかったのか?」と悩むと思います(「自分の決断」についてそれほど後悔しない方のことを、家族のことを大切に思っていないという意味では決してありません)。

 しかし、私は医療者として、ほぼ毎日、ご家族に決断を求めています。自分が求められたら困ることが分かっているにもかかわらず……。

 なぜ、医療者は家族に判断を求めるのか、改めて考えてみました。

 自らの経験からも、医療者の立場では (法律家の見解も考慮して)、

・医療について(特に、回復の見込みが難しいと判断されるような局面では)の決定権は患者本人にある。

・患者本人の意思を確認できない時に、それを最も推定し得るのは「家族」である

・だから「家族」に治療方針の意見を求めよう。

 という思考過程があると思います。

 そして心の底には、

・救急、集中治療領域での終末期医療に関するガイドライン(運用指針)でも、家族の意向は重要視されているし……。

・家族の意向に反する決断はトラブルの原因になるので、家族の意向に従うことが大原則。

 という考えもありそうだと、推察します

 編集長から示されたテーマからは脱線しますが、今回は「家族に求められる決断」ということで、心に残っている苦い症例を述べさせていただきます

 1例目は、80歳代の男性です。お 寿司(すし) 屋さんで刺し身を喉に詰まらせて窒息し、心肺停止状態に陥りました。救命救急士の現場での処置も適切で、病院到着時に自己心拍と呼吸は再開しましたが、意識は回復せず、様々な診察や検査の結果からも「意識の回復は難しい」状態と判断されました。生命を維持するためには人工呼吸器の補助は不可欠な状態です。

 気管切開や栄養方法など今後の治療について、息子さんに説明し相談したところ、「父はそのような治療は望まないと思います。しかし、私にはとても大切な父親です。救急の先生から見て延命治療と思われるかもしれませんが、私の口からはやめてくださいとは言えません」と言われました。

 その後、息子さんの意向を尊重した治療を行ったのですが、入院中だけでなく救命救急センターから転院された後も私のもとを訪ねてくださり、「先生、私は間違った判断をしましたよね。父に申し訳ない」と涙を流されることが何度もありました。

 私は「私が息子さんの立場でも、とても悩みます。でも、これだけ真剣にお父様のことで悩み考えた末の決断された息子さんのことをお父様は喜んでいらっしゃると思いますよ(そう信じたい……)。お気持ちが変わっていくのは当然です。その時々で、お父様にとって最善という決断をしていきましょう」としか述べることができませんでした。

 「人生の最期を自分で決めることは大切な権利である」と、私も述べてきました。しかし、自分が意思表示できない突然の事故・病気に遭遇した際、家族が代理の決断を迫られると、本当に悩むことが多いと感じます。医師は、情報を提示して、家族とともに治療方針を決定するというのが現在の医療の考え方です。でも、家族が悩み続けるのであれば、一昔前の医療のように、「この選択肢の方がお父さんは幸せだと思いますよ」という医師の誘導があった方が、ご家族の苦しみは少なくできるものでしょうか? 

 2例目は60歳代の男性です。

 心肺停止状態で救命救急センターに搬送されました。残念ながら救命することができず亡くなられました。ご家族にお話を伺うと、「朝に体調が悪く、別の病院に救急車で搬送され、特に大きな異常はないと言われて帰宅した。その後、夕方に心肺停止状態で発見された」という経過であることが判明し、最初の病院に対して大きな怒りを持っていることがわかりました。

 私は、「懸命に治療をしたが救命できなかったこと」を述べ、「朝にも病院を受診したにもかかわらず、帰宅となって、同じ日にこのような状態になってしまったことへのお怒りは理解できます。今後、原因がはっきりしないままに、怒り続けることはとても苦しいと思います。私たちができることは、お父様の心停止に至った原因を究明するために解剖させていただくことです。原因がはっきりしないと、朝の受診との因果関係は何とも申し上げることができません。今は、大変混乱されていると思いますが、後々死因を知りたいと思っても、解剖所見がないと難しい状況と判断しています」と説明しました。

 息子さんは解剖に前向きでしたが、別の親族から「遺体に傷をつけるなんてとんでもない」という意見があり、結局、解剖は行われませんでした。後日、息子さんが「父親はなぜ亡くなったのか? 朝の受診と関係あったのか? 自分たちが別の病院を選んでいれば、あるいは入院させてもらうように頼み込むべきであったのか?」と悩んでいる旨の連絡がありました。

 もう、解剖することはできません。

 私は、「お父様が心肺停止状態になってしまった後しか診療できていません。大変申し訳ありませんが、息子さんの疑問には“わからない”としかお答えできないのです。申し訳ありません」としか返事ができませんでした。

 決断をするのが一度だけで後からは戻ることができないような場合でも、家族の間で意見が割れることはよくあることです。

 このような場合に医師として、どちらかの意見を支持する(今回の場合は、「反対意見があっても強く解剖を勧める」)ことがご家族のためには適切でしょうか?

 自分がされたら困る質問を、毎日しているというのは本当に複雑な気分ですが、今後も治療について家族に意思決定が求められることが多い現実に大きな変化はないだろうと感じています。

 読者の皆さんは、自分の最期の意思表示、家族としての意向について、ご家族の中で話題にされることはありますか?

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【略歴】

岩田 充永(いわた・みつなが) 藤田保健衛生大学救急総合内科学教授

 1998年、名古屋市立大医学部卒業。同大学病院、名古屋大学病院、協立総合病院で内科・老年科・麻酔科を研修後に名古屋掖済会病院救命救急センターで勤務、名古屋大学大学院老年科学にて博士号取得。2008 年より名古屋掖済会病院救命救急センター副救命救急センター長、12 年10 月藤田保健衛生大学救急総合内科准教授、14 年4月同教授。日本救急医学会救急科専門医、指導医、日本内科学会総合内科専門医、日本老年医学会老年病専門医

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1件 のコメント

死に蓋をして思考停止、盲目的延命の果てに

木瓜の花咲くホームの元管理人

死にフタをして思考停止したその結果の、誰もハッピーにならない、盲目的なし崩し的延命をやめるしかありません。当然のことであり、ほんの20世紀末まで...

死にフタをして思考停止したその結果の、誰もハッピーにならない、盲目的なし崩し的延命をやめるしかありません。当然のことであり、ほんの20世紀末までそれしかどうしようもなかった生命の摂理、それに戻りましょう。

つい数日前、都内で在宅医療を精力的に展開する先生が、ある病院の先生の胃瘻の実態についてのプレゼンテーションをご紹介されていましたが、その後半に、胃瘻になったその意思決定の半数以上が、本人ではなくな家族の意思によるもの、しかしその半数は後悔する、とありました。この種の調査はいつの時点、ステージでの調査かで反応も変わり得ますから(胃瘻にして間もなくと、亡くなる前後とでは当然積み重なった介護体験から想いは変わります)、現場臨床看護職の体感値としては、胃瘻のほとんどは本人による意思決定ではなく、そしてほとんどが後悔ないしはハッピーではない、、、というのが実感です。
しかし、胃瘻や人工透析などの延命医療(治療ではありません、治りはしないからです)は、始めてしまったら、やめることは現行法では殺人にすらなり得ます。抜去や栄養剤注入を止めたり減らす等は、警察検察に知れれば消極的安楽死事件として扱われて、刑法上の訴追対象になるおそれがあります。そして現時点で我が国では、いかなる安楽死事件も無罪にはなっていません。
しかし胃瘻や透析などの延命医療に陥る場合、回復はほとんどの場合見込めないので、死ぬまで延命し続けるしかありません。その費用は、自己負担で月に20万円以上になることも多々あります。それでは家族の方が持ちません。

口では漠然と「延命しなくていい」と言うだけではダメです。法制上も、「手も出さない金も出さずに口だけ出す」家族親類を退けるためにも、延命の是非について書面での意思表示は必須です。

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