予防医学研究者・石川善樹の「続けたくなる健康法」
医療・健康・介護のコラム
長命の退屈
こんにちは。
予防医学研究者の石川です。
つい最近のことなのですが、私のような若手研究者が集められ、「50年後の未来を考えよ」というお題のもと自由にディスカッションする機会がありました。その際に参考図書として与えられたのが、今からおよそ60年前に書かれた「21世紀への階段―40年後の日本の科学技術―」(弘文堂)という本です(この本は2013年に復刻され、現在も入手できます)。
ちなみにこの本の監修委員長は、後に総理大臣となる中曽根康弘さんです。「日本列島改造論」や「所得倍増計画」はあまりにも有名ですが、この「21世紀への階段」もそれに比肩する構想だと思いました。イメージをつかんでもらうために、第1部の目次だけ記しておくと、次のようになっています。
第1章 原子力時代は花ざかり
第2章 人間の代用品量産に入る
第3章 長命の退屈―21世紀の医学―
第4章 台風と地震の制御
第5章 都市と農村の握手
第6章 性と眠りのコントロール
予言された「暇はないけど退屈な未来」
改めて言うまでもなく、当時は「原子力」と「オートメーション」が期待される科学技術の2本柱だったので、最初の2章はそれらについて書かれています。それはそれとして、特に私が興味を持ったのは、第3章の「長命の退屈」です。少しだけ引用すると、次のようなことが書かれています。
“……現在20歳の青年男女たちは、平均して2020年(80歳ごろ)まで生きられることがおわかりだろう。なかには、「そんなに生きていては退屈でしようがない。」とこぼす方もあるかもしれない。長命の退屈というぜいたくな愚痴が待っているのだ“
ここで注意しておかないといけないのが、「暇」と「退屈」の違いです。「暇」はあくまで客観的な時間の余裕を指すのに対し、「退屈」は主観的な飽きを指します。
スマホなどの登場により、ちょっとしたすき間時間もテクノロジーが埋めてくれる時代になりました。そのような意味で、「暇」があると感じられる現代人は少ないでしょう。しかし、これほど長く生きるようになり、かつ日々の生活に窮することも少なくなった結果として、テレビなどを見ていても「なんとなく退屈」と感じる人が増えているのではないしょうか。
そのような意味で、現代人の特徴は「暇はないけど退屈している」人になるだろうと哲学者たちはかなり昔から鋭く指摘してきました。
参考文献:「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎、朝日出版社、2011年)
今回は特に結論が出る話ではないのですが、もし長命の退屈というのが現実にあるのだとすれば、それをどのように捉え、対策を練っていけばよいのか、ぜひみなさまのお知恵をお借りできるとありがたいです。
それではまた次回!
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