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佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」

医療・健康・介護のコラム

「強制入院の仕組みは憲法不合致」 韓国で画期的判断

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 2016年9月29日、韓国の憲法裁判所が強制入院制度(保護入院)に関する画期的な判断を下した。強制入院を定めた現行の法律条項は「憲法に合致しない」と判断し、法改正を求めたのだ。現在の強制入院の仕組みは、精神科医や家族の悪用を防ぐ手立てに欠け、患者の人権を守る仕組みも十分ではないことが理由だった。9人の裁判官が全員一致で決定した。

 憲法で保障された身体の自由を奪う強制入院は、日本でも様々な問題が噴出している。中でも、家族の同意と精神科医(精神保健指定医)1人の判断で行える医療保護入院は悪用されやすい。私はこれまで、健康な人が家族の悪巧みで医療保護入院させられた例を、ネット記事や拙著「精神医療ダークサイド」などでいくつも取り上げてきた。高額な料金を取る民間の移送業者がいきなり家に踏み込み、精神科に行ったことがなく、病気でもない人の手足を押さえつけ、時には縛って精神科病院に連れ去るのだ。これは明らかに拉致だ。被害者が後に訴訟を起こし、家族の悪巧みや移送業者の暴力が暴かれた例もある。

 だが、被害者がいくら訴えても、私がいくら記事で指摘しても、強制入院の悪用や乱用を防ぐ具体的な動きは生まれない。今後、認知症患者がさらに増えると、財産目立ての不当な強制入院はますます増えるだろう。それなのに、国も社会も知らんぷりだ。ここはどういう国なのか。

現行法では「医師や家族の悪用を防げず」と指摘

 これに対して、日本と同じ問題を抱えてきた韓国の司法判断は明快だった。憲法裁の決定文の要点を見ていこう。

 韓国の強制入院は、同国の精神保健法(日本では精神保健福祉法)に基づいて行われる。保護義務者2人の同意と精神科専門医1人の診断(17年5月以降は、異なる医療機関の精神科専門医2人の診断)があれば、患者の同意がなくても「保護入院」という名の強制入院を実行できる。入院期間は6か月(17年5月以降は3か月)までと定められているが、手続きを踏めば何度でも延長できる。

 今回、憲法裁は保護入院そのものを「違憲」としたのではない。「(保護入院は)患者の安全と社会の安全を守るためのもので、その目的は正当である」と理解を示した。だが、精神保健法に関しては「人権侵害を最小化する原則に違反している」と判断した。決定文は「(保護入院は)悪用・乱用につながることを防ぎ、精神疾患患者を社会から一方的に隔離したり、排除したりする手段として利用されないようにしなければならない。しかし、精神保健法の条項は、精神疾患患者の身体の自由の侵害を最小限に抑える方策を十分に用意せず、侵害を最小化する要件を満たしているとみることはできない」と書いている。強制入院はやむを得ない場合もあるが、人権を守る方策に欠ける精神保健法は、憲法の理念に反していると指摘したのだ。

 決定文の文面をさらに見ていこう。多くが日本の状況と重なり、明快な指摘は日本の精神医療現場にも突き刺さる。

 「精神保健法は、入院治療・療養を受けるほどの精神疾患がどのようなものなのかについては、具体的な基準を提示しておらず、精神科専門医の精神疾患の所見があれば、誰でも保護入院となる可能性がある。また『患者自身の健康や安全、他人の安全のために入院を行う必要がある場合』という保護入院の要件も非常に抽象的で、これを判断できる具体的な基準も設けられていない」

 「(家族ら)保護義務者の中には、扶養義務を逃れたり、精神疾患患者の財産を奪ったりする目的のために、保護入院を悪用する人がいる場合もある。このような保護義務者の同意権は、制限や否定をされるべきである。しかし、現行の精神保健法は、患者の利益を害する行為を防ぐ仕組みを十分に用意していない」

 「精神科専門医が、自分の経済的利益のために診断権限を乱用している場合、現行の精神保健法ではこれを防ぐ方法がない」

 「保護義務者2人が精神科専門医と共謀したり、幇助・容認を受けたりして、精神疾患患者を保護入院させることができる。これは実際に頻発して社会問題となった。また、民間の移送業者による患者の不法な移送、監禁や暴行などの問題も頻繁に発生している」

患者の人権を守る仕組みも足りず

 憲法裁は、患者の人権を守る仕組みについても現状を厳しく批判した。

 「不当な強制入院から、患者を守る手順が重要である。例えば、当事者への事前告知、聴聞や陳述の機会、強制入院の不服申し立てや審査、国や公的機関が提供する補助人による支援が保障される必要がある。ところが、精神保健法はこれらの手順を全く設けていない」

 「(精神保健法は)入院を決定するにあたり、精神疾患患者に判断能力や入院の同意能力が全くないと考えて、患者の意思を考慮していない。また、入院前や入院時に当事者に通知する制度がなく、入院後に通知する事後通知制度だけを設けている」

 「(退院を拒否された患者の異議申し立てや、入院期間の延長などを審査するための)委員会は、患者と直接対面して、話を十分聞くための手順を経ないまま、書類を中心に審査が行われている」

 「(精神科専門医は)治療の必要性という理由で、患者の通信や面会の自由を制限することができ、また、隔離したり縛ったりすることもできる。保護義務者や精神科医療機関の長が、外部との接触や退院を望む患者に対して、長期入院を目的にこれを悪用した場合、患者の人間としての最低限の尊厳さえ侵害する」

 日本でも、患者の通信や面会の自由は制限され過ぎている。身体拘束や隔離も行われ過ぎている。患者の人権を守るため、各都道府県と政令市に設置されている精神医療審査会の多くは、書類をパラパラとめくるだけの形骸化した組織になっている。抜本的な改革が早急に必要なのは日本も同じだ。

「地域連携」の取り組みが憲法裁の決定を後押し

「憲法裁の決定は韓国社会の成熟を示している」と話すパクさん

「憲法裁の決定は韓国社会の成熟を示している」と話すパクさん

 韓国の精神科医は、この画期的な決定をどう捉えているのか。16年10月初め、宇都宮市で開かれた「第23回多文化間精神医学会学術総会」のために来日したソウル国立大学の精神科医(現在はオーストラリア国立大学で文化人類学を研究中)、パク・ハンソンさんは次のように語った。

 「韓国は1988年のソウルオリンピックを前に、社会の安全と清潔化のため、精神科病院を多く造りました。そして街中や駅で寝ていたホームレスを閉じこめたのです。しかし、韓国では近年、精神医療の欧米化が進みました。欧米に留学した精神科医たちが、地域連携の重要性を学んで帰国し、啓蒙活動に取り組み始めました。そして多くの国民が、患者を隔離しなくても地域でみることができると考えるようになったのです。病院に閉じこめて薬を飲ませるよりも、地域の中でリハビリをするほうが良いと、多くの人が気付き始めたのです。精神科に強制入院させられた被害者や、市民団体などが声を上げ続けたことで得た今回の憲法裁の決定は、韓国社会の大きな変化を踏まえたものなのです」

 韓国の精神保健法は16年5月に全面改正され、患者の人権などに配慮した新たな法律が17年5月に施行される。だが、今回の憲法裁の決定は、施行を待つ改正法にも影響を与えそうだ。パクさんは「改正法によって、患者の同意を得ない強制入院の継続はかなり難しくなります。しかし今回の決定で、更に人権面に配慮した再改正が必要になるはずです」とみている。

 宇都宮市の学術総会で、パクさんらとの意見交換会を行った精神科医の斉尾武郎さんは「世界中を見渡しても人権意識の低さが際立つ日本の精神医療界が、韓国にも大きな差を付けられてしまった。患者を閉じこめることばかりに執着する日本は、世界の笑いものになっていることを、国も精神科医も自覚するべきだ」と語る。

 韓国の精神医療はこれからどう変わるのか。世界の潮流から1人取り残された日本のお手本となってくれるように、期待を込めて見守りたい。

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佐藤写真

佐藤光展(さとう・みつのぶ)

読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。趣味はマラソン(完走メダル集め)とスキューバダイビング(好きなポイントは与那国島の西崎)と城めぐり。免許は1級小型船舶操縦士、潜水士など。神戸新聞社社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から医療部。日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会などの学会や大学などで講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)など。

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