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患者と医療者の交流場所を作る進行がんの医師、西村元一さん

編集長インタビュー

西村元一さん(上)患者になってわかったことを広く伝えたい

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西村元一さん(上)患者になってわかったことを広く伝えたい

抗がん剤治療をしながらのインタビュー。記者の質問に答えながら、抗がん剤の“感触”を看護師らに実況中継する

 一線で活躍していた消化器外科医が、ある日突然、進行した胃がんで倒れ、「余命半年」を宣告された――。2人に1人ががんになる時代、医師ががんになること自体は珍しくない。しかし、金沢赤十字病院副院長の西村元一さん(58)の場合、そこから医療者の考えと患者体験とのずれについて積極的に発信を始め、病院外で不安を抱える患者と医療者が交流する場所の実現にこぎ着けた。「自分が生きた証しを残したい。何もしないではおられない」。常設の交流拠点を12月にオープンするため、治療を続けながら全国を講演や寄付集めに駆け回る西村さん。病気になっても住み慣れた町で最後まで自分らしく生きるには何が必要なのか、お話を伺った。

 記者生活20年で初めて、抗がん剤治療中のインタビュー。副院長と第一外科部長を務める病院で、化学療法用のいすに腰掛けた西村さんは、「2時間ぐらいかかるので、何かやっていた方が気が紛れるんですよ」と笑顔で出迎えてくれた。入院しながら、3種類目の新たな抗がん剤を始めたところだ。

 「ムカムカするね」「じんわり発汗しとる。汗が流れるほどではないけどね」「次は、事前にブスコパン(副作用を抑える薬)入れといた方がいいね」。インタビューの合間にも、看護師や薬剤師に副作用や、副作用止めの効果を詳しく実況中継する。

 「患者として治療を受けるのは、すべて初体験。逆に言えば、初体験を興味津々でやるぐらいしか楽しみが見いだせないわけです。医師である自分が、患者になって初めてわかった実感を伝えて、患者と医療者のずれを減らすのが使命かなと思っています」

 病状は安定しているが、がんとの闘いは終わらない。

 「先々週、PET(陽電子放射断層撮影)をして、腹部の大動脈周囲と腸間膜のあたりにも新たながんが見られたので、抗がん剤の種類を変えたのです。それまでは肝臓の転移を抗がん剤と放射線で集中的に治療しようとしていたわけですが、そういう治療方針ではいけそうもないことがわかり、全身療法を強めるためです。目標は、少しでも長く小康状態を保つこと。完治、根治は無理なので、それなりの生活の質を保つことができれば」

 まるで、自身が診ている患者の病状や治療を語るように、淡々とした口調だ。がんがわかった昨年3月も、そんな調子だった。

 あの日、外来で診察している最中、急におなかが痛くなり、トイレに駆け込むと下血していた。すぐに内視鏡検査をして、胃の上部にがんを発見。翌日、転院した金沢大学病院でコンピューター断層撮影法(CT)を行い、リンパ節や肝臓に複数の転移があることがわかった。主治医には「このまま治療をしなければ、余命は半年です」と告知された。

 「まあ、落ち込みはしましたけれど、『しゃあないなあ』という感じでしたね。もちろん、医師ですから、かなり進行していることはわかったし、予後(その後の経過)が悪いこともわかっているのですが、告知の時点ではこれから先のイメージがわかない。なまじっかがん医療に携わっていると、『がん年齢でもあるし、やっぱりあったんか』と、そのまま受け止めたということですね」

 すぐに抗がん剤治療を始めた。自分の患者に何度も行ってきた治療だが、体験するのは初めてだ。不安を覚えながらも腹を決め、どのような副作用が自分に表れるのか観察していこうという考えに切り替えた。

 「医師として患者に副作用を説明する時は、文献で調べたことや、治療を受けた人の経験を、知ったかぶりして伝えるしかない。もちろんそれを伝えないと患者さんが不安になるから仕方ないのですが、実際には医療者の8割以上は経験もないことを『あんなこともあります。こんなこともあります』とわかったように言っているだけなのです。どうせ、治療しなくちゃいけないのだから、抗がん剤でも手術でもしっかり体験して、伝えるようにしようと思いました」。

 副作用は、医師として持っていた知識とは違う形で表れた。まず、西村さんを襲ったのは、甘みを強く感じる味覚障害だった。

 「味覚障害というと、味がしなくなるだけだと思っていたのです。ところが、出ないな出ないなと思っていたら、いつの間にか口の中が絶えず甘くなってきた。甘い物がいやになったし、しばらくしたら水を飲んでも甘みを感じるようになってきました。特に困ったのは、口の中で溶けるOD錠の薬です。飲みやすくするために甘みが付いているのですが、不快な甘みが口に広がり、長時間残り続けて飲みにくくて仕方ない。手術後に使った別の抗がん剤は、味覚全般が下がったので、大好きでいろいろな種類を飲んでいたお茶さえもまずく感じるようになりました。頭でイメージする味と実際の味わいが違うとまずく感じてしまうのです」

 医師として患者に接していた時は、味覚障害が出た時に、「これは時間が過ぎれば治るから」とか「味を濃くして食べるしかないね」などとアドバイスをしていた。でも、今、自身で体験して、その言い方は不十分だったと思う。

 「実際は個人個人によって味覚障害の出方は違うわけですから、個々に対応しないと患者をケアしたことにはならないのです。病院の食事だとなかなか個別に対応するのは難しいかもしれませんが、栄養士や調理師がその時に応じて調理の具合を変えていくしかないのでしょう」

 そのために、患者がどのような副作用を感じているのか聞き出すコミュニケーションが重要になると西村さんは言う。

 「味覚障害が出る抗がん剤治療を受けていたとしたら、『ご飯食べられました?』と聞くだけでは不十分なのです。患者は、体力を付けるために無理してでも食べているから『食べました』とは言うのですが、もし、『おいしく食べられましたか?』と聞けば、『おいしくないけれども、無理に食べている』というような言葉が出てくる可能性があります。病院ではどうしても食べた量ばかりチェックされ、量が少なくなったら食欲がないと判断されますが、もし、詳しくその人の感じている状況を聞き出せれば、医療者として手助けできることがあるかもしれない。栄養士や薬剤師などほかの専門職につなぐこともできるかもしれない」

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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1件 のコメント

がんのステージIVと共存して生きる人

エンジェル

率直に言って、西村先生の献身ぶりに涙が出ました。体調が整うまでもう少し仕事を減らし、休養をとってはいかがですか。がんは先生に休んで欲しいという、...

率直に言って、西村先生の献身ぶりに涙が出ました。体調が整うまでもう少し仕事を減らし、休養をとってはいかがですか。がんは先生に休んで欲しいという、体からの悲痛なメッセージなのです。今は休薬期間に無理せずできる仕事だけをして、その他のことは別の誰かに託してはいかがでしょうか。
私は自分の命を犠牲にしてまでする仕事はないと思っています。この生意気な言葉は、かつての自分の姿を先生の中に投影しているからです。お許し下さい。
赤十字は日本では病院や献血のイメージが強いかもしれませんが、中立の世界最大の人道機関です。非営利団体であるため、災害、紛争時は平時の通常業務と並行して職員が救助に当たります。その赤十字病院副院長の仕事は激務という言葉では言い表せない程の重責だと思います。ブロガーのちきりんさんも提案されていますが、災害・救助省をつくらないと救助者が激務で倒れてしまいます。
私はがんのステージIVと共存して生きる人を何人か知っています。寛解と再発を何回か繰り返す人、がんが体内にあっても共存して生きる人、彼らの職業や年齢は様々です。生存率を超えてはるかに生きる人に出会うと奇跡はあるのだと感じます。しかし、その確率は数パーセントと言われ、科学では解明できず、マニュアルがあるわけでもありません。
治療を続ける、痛みを緩和させる、休養をとる、グループや個人でカウンセリングを受ける、そこにプラスアルファの何かが加わると奇跡が起きるのだと思います。
西村先生の今一番の使命は治療に専念し、生き続けることだと思います。先生の治癒と体と心の安らぎを心からお祈り致します。

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