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がん患者や高齢者を在宅で診る緩和ケア医の立場から 新城拓也

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【意思決定】人は理性的に治療を選択できるのか

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テーマ:意思決定 誰がどのように決めるのか

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 医師である私は、妻と約束していることがあります。それは、プライベートで他人からの医療に関する相談を受けないということです。

 「友人のお母さんが糖尿病で、今の薬で良いのか助言してほしい」とか、「友人の知り合いのお父さん(妻とも私とも直接、面識のない方)が、がんと言われてどの病院にまず行ったら良いのか分からない」などという相談事を私に取り次がないという約束です。

 こう書くと、「医師なのに、どうして知り合いの相談に乗らないのか」と思うかもしれません。しかし、私にも理由があってのことなのです。

 その理由は、「もしも自分が紹介した病院、勧めた治療が裏目に出ると、自分の立場が悪くなるから」では決してありません。また、「自分が診察していない人に対して、自分は責任を負えない」からでもありません。

 正直に本当の理由を教えます。

 それは、「自分自身でも、治療も病院も選ぶことができない」からなのです。もしも、自分や自分の家族が病気になったとしても、どのような治療を選ぶと良いのか、どの病院にまず、かかると良いのか、私は医師であるのに決められないかもしれないと思っているからなのです。

 以前、私の子供が発熱した時のことです。案外、家族の病気のこととなると、医師である私は冷静に判断することができなくなります。また、妻にとって私は、医師である以前に夫なので、「こういう薬を使おう」と言っても、どこか信用してもらえません。

 そこでムキになって、「私の判断と使う薬を信用できないのか!」と妻に えても仕方ありません。私が使う薬は、どの患者にも使う普通の薬です。魔法のように子供の発熱を治せるわけがありません。ある程度、日数がかかることなのです。妻に吠えるほど立派な判断でも妙薬でもないのです。

 その時は、妻に吠える前におとなしく近くの小児科に連れて行くことにしました。診察を受け、自分でも処方しそうな薬の書かれた処方せんを受け取り、近くの薬局で薬をもらい、子供と帰りました。そして、子供が熱で日常生活のリズムを崩される間、 すべ もなく、回復を祈り見守ることしかできなかったのです。

 私は家の近くの小児科に行きましたが、もしかしたら、もっと良い小児科が他にあったのかもしれません。私の住む神戸の街には、何を判断の基準にして選択したら良いのか分からないほど、多くの病院、診療所があります。自分の子供にとって、その時に最適かつ最良の病院がどこなのかは、医学知識のある私でも選択することはできませんでした。

 人はあまりにも多くの選択肢がある時、かえって選択できなくなるのです。これを、「選択肢過多効果(ジャムの法則)」と呼びます。ジャムの法則とは、同じ店で6種類のジャムを陳列するのと、24種類のジャムを陳列するのでは、6種類の時の方が売り上げが多くなることに由来します。

 さて、私は仕事上、多くの患者たちに治療の選択ができるように説明を尽くしてきました。一つの病気に対しても、多くの治療と組み合わせがあります。がん患者に「抗がん剤を使えば余命は1年から2年です。しかし、抗がん剤を使わなければ、半年くらいかもしれません。また抗がん剤には副作用があります。それは……」と説明し、できるだけ平易な言葉を使い、検査結果を詳しく伝え、図も活用し、十分な時間をかけて面接をしてきました。

 考え得るベストなインフォームドコンセント(十分な説明を受けた上での同意)を実現しようと努力してきました。「治療の益(ベネフィット)と危険(リスク)を明示すれば、患者、そして家族は合理的な治療の選択ができる」と、かつての私は信じていました。

 しかし実際は、患者、家族が治療を選択できる時ばかりではありませんでした。むしろ、「先生にお任せします」、「先生の親ならどうしますか」と言われて、絶句してしまったこともありました。

 「私の知り合いが抗がん剤の副作用でかえって早く亡くなってしまいました」、「隣に住んでいる方が、抗がん剤ではなく手術を選び、今も調子よく過ごしています」と言われ、「いったい長い時間かけて説明したことは何だったんだろう」と思うことも度々です。

 人は詳しく説明を聞いたとしても合理的に判断できるとは限らないのです。患者、家族が、インターネット上の個人的な意見や、医療を否定するような本の影響を受けることもあります。

 「人は自分の知り合いの意見、自分の経験に、治療の選択は大きな影響を受ける」と、我が事も含めて痛感します。私だって、子供が発熱した時、「隣町の小児科医は評判が良く、院長の人柄も良く、不思議とすぐに治る」という口コミを耳にしていたら、「そんなことはないだろう」と思いつつも、きっと隣町まで子供を連れて行ったことでしょう。このように、患者が非合理的な選択をする時は、個人的な経験が大きく影響しているのです。これは「利用可能性バイアス(偏り)」と呼びます。

 さて、治療を行う医師の側にも、「利用可能性バイアス」が影響します。例えば患者の治療がうまくいった時、次に同じような患者が来ると、同じ治療を行おうとします。反対に治療がうまくいかなかった時、次に同じような患者が来ると、その治療以外の治療を行おうとするのです。

 また、医師の説明の仕方によっても、患者、家族の治療の判断に大きな影響を及ぼします。例えば、「90%が治らない治療」と「10%が治る治療」は、同じ内容にもかかわらず、説明を受けた側の判断には違いが生じます。当然、「10%が治る治療」と説明を受ければ、治療に同意する可能性が高まります。これは「フレーミング効果」と呼びます。このように人間の思考の癖で、判断に偏りが生じることがあるのです。

 合理的な説明をすれば、人は本当に理性的に治療を選択できるのかについて、私は大きな疑いを持っています。ここに紹介した判断の偏りは、自分自身も含めて逃れることができない、人間の思考の癖です。誰にでもあるこの判断の偏りの裏には、実はその人その人の生きてきた経験、生き方、そして大切にしていることが絡み合っている場合がほとんどです。患者だけではなく、医師も、合理的で公平とは言えない、判断の偏りがあるのです。

 今の私は、患者も私も同じ人間として、判断に偏りがあることを自覚しています。かつてのように、治療の益(ベネフィット)と危険(リスク)を説明し、「あとはどの治療を選択するか、あなたが決めて下さい」と言って、自分の役目を終えないようにしています。

 患者、そして時には、家族の経験や考えをじっくりと聞く時間を作るようにしています。例え患者が偏った考えを持っていても、まずは受け止めてうなずきながらじっくりと聞き、次に医師としての考えを伝えながら、一緒に治療を創り出すように心掛けています。患者一人一人にぴったり合う治療を、時間をかけて共に探し、ずっと創り続けるのです。

 あなたは大切なことを選択する時、どんな影響を受けますか? そして、どんな考えの偏りがありますか?

【略歴】

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新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。日本緩和医療学会理事、同学会誌編集長。共編著に『エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』『続・エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』(ともに南江堂)、『3ステップ実践緩和ケア』(青海社)、単著に『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)など著書多数。

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さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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