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レビー小体型認知症当事者の立場から 樋口直美

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【相模原殺傷事件】普通の人間として、普通に生きるために

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テーマ:「相模原殺傷事件、私はこう考える」

樋口直美さん

樋口直美さん

 事件を最初にテレビで知った時、現実と感じられませんでした。知的障害者の虐殺……。その事実を現実として受け止める前に、感情のブレーカーが落ちたと感じました。

 その後ネット上で繰り返し見た書き込みは、それ以上の脅威でした。表向きにはないものとされてきた社会の持つ負の障害者観が (あら) わになったと思いました。私の病気、障害、私の存在、してきたこと、すべてが、大波にのまれていくように感じました。

 震えるようなその感覚は、8月7日に東京大学先端科学技術研究センターで行われた「『津久井やまゆり園』で亡くなった方たちを追悼する集会」に呼びかけ人の一人として参加した時、「障害者」「当事者」と呼ばれる仲間との間で、初めて共有できたと感じました。

病気そのものより、社会から排除されることへの恐怖

 私は、2013年に50歳で「レビー小体型認知症」の診断を受け、2015年から病気を公表しています。認知症とこの病気への誤解を解くために活動し、医療の改善を求めてきました。

 現在は、パーキンソン病も含む、より広い概念である「レビー小体病」の当事者を名乗っています。この病気は知名度が低く、不明な点が多く、症状の個人差が大きく、誤診が多く、特有の幻覚などから誤解され、偏見を持たれる病気です。記憶障害が出にくい初期からの適切な治療とケアによって良い状態を長く保つことができると病気の発見者の小阪憲司先生も言われていますが、そこに 辿(たど) り着けずに悪化している方があまりにも多いのが現状です。

 私は、見た目からはわかりませんが、心身の疲労や気候の変動から意識障害を起こしやすく、正常な精神状態で幻覚が表れ、時間認知など様々な脳機能、視覚、聴覚、嗅覚、自律神経などに障害があります。

 誤診の時期も含めて、体調不良で最初に受診した日から9年の後に辿り着いた正しい診断と適切な治療は効果を上げました。でも当時は、「認知症」という言葉に打ちのめされていました。理性も人格も日々壊れていくと信じられている病気にどんな希望があるでしょうか。「進行が早く、早期に歩けなくなり、短命」という医学書の誤った説明も信じていました。病名を家族に言うこともできず、経験したこともない恐怖感、孤独感に (さいな) まれました。

 でもそれは、病気そのものよりも、知的障害・身体障害・精神障害の三つを併せ持つ者として社会から排除される存在になっていくことへの恐怖でした。当時の私は、その後知ることになったこの病気の、そして認知症の本当の姿とそこにある大きな希望をまったく知らなかったのです。

 その後、私は、認知症の捉え方、幻視をはじめとする症状の説明が正しくないと考え、「認知症をめぐる問題の多くは人災」と著書に記しました。それは、誰にでも起こりうる他の脳の病気や障害でも同じであると。

 病名を伝えただけで「大丈夫ですよ。あなたにだってまだできることはありますよ」と慰められたり、自立した社会生活ができない状態ではないことを最初から公言していても「認知症に見えない」と取材者から疑惑を向けられたり、「認知症でもないくせに」と医療者から攻撃されたりもしました。

 しかし、それ以上に、素晴らしい出会いがたくさんありました。私が出会った認知症のある方たちは、皆さん、人間として魅力的でした。「理解してもらえなくてもいい。知ってもらえればいい」と家族会で介護家族に症状の説明を続けるレビー小体病の女性。「認知症でも働き続けられることを証明したい」と仕事のすべての手順をノートに書き出し、ミスなく同じ会社で働き続けるアルツハイマー病の丹野智文さん。誰も自分と同じ思いをしてほしくないと立ち上がった大勢の方々――。

 絶望を通り抜けて得た魂の輝き、しなやかな強さに心打たれました。私は、認知症や病気への正しい理解が広がり、偏見さえなくなれば、本人の苦しみも障害も限りなく小さくなると信じて、全力で語り、全力で書いてきたのです。

弱さを通じてつながり、また立ち上がる

 でも事件後、そんな私の思いが、目の前で壊されていくのを感じていました。知的障害者などいない方がいいという社会は、認知症のある人も消えてほしいと願う社会です。脳の病気・障害・人とは違う特性を持った人を目の前から排除し、閉じ込めようとする社会です。

 その意味では、加害者もまた排除された人です。社会が加害者に感じる不気味さ、わからなさは、そのまま幻覚のある私に向けられる可能性のあるものです。私は、殺された被害者とも殺した加害者とも同じ立場、同じ社会の (ふち) に立つ人間なのだと感じました。それは、悲しく、怖く、 (つら) く、やりきれないことでした。

 事件の反省としてすぐ上がってきた施設のセキュリティー強化や措置入院の見直しなど、多くは、隔てる・閉じ込める方向に向かっています。それはいつか自分の意思や気持ちを聞いてももらえないまま閉じ込められる自分を想像させ、ぞっとするのです。

 「私たちは、脳にどんな病気や障害があろうと普通の人です」と言い続けてきた私を大きな波が一瞬でのみ込み、 (たた) き潰し、病気を隠して毎日 (おび) えていた頃に引きずり戻していく……。激流に転がされ息ができない……。

 そんな感覚を熊谷晋一郎さんたちが東大で開いた追悼集会で共有しました。脳性まひを持つ小児科医で東京大学准教授の熊谷さんとは4月のシンポジウムで登壇者同士として出会い、ある活動をご一緒しています。熊谷さんからお話を頂き、肩書のない私もそうそうたる呼びかけ人の一人に入れていただきました。

 「人間は生きていれば、みんな障害者になる。誰もが老い、体も脳も衰え、弱り、傷つき、健康を失い、誰もが障害者になっていくのに」と私は会場で話しました。

 鮮やかな障害論、自立論で注目されてきた熊谷さんは語られました。「満員電車に電動車いすで乗った時の周囲の舌打ちや冷たい視線に、今までのように、”これは権利なんだ”と強気で立ち向かえない自分がいる」「この体のままで生きていていいんだということを確認したかった」

 衝撃を受けました。同時に、私たち一人ひとりが抱えるこの生傷が、障害の種類を超え、私たちを確かにつなげたのだと、その時、全身で感じていました。逃れられない自分の弱さと、そこからこそ始まる新しい世界を私は同時に感じたのです。熊谷さんを中心に、呼びかけ人たちは、次の行動を既に起こしています。事件の衝撃と傷が大きかった分、逆方向に駆り立てる力もまた大きいのです。

 偏見や差別のない社会は、自然にはできません。誰かが作ってくれるものでもありません。自らの意志で築いていくものです。「 可哀想(かわいそう) と同情されることも、感動を求められることも、認知症に見えないと褒められることも望まない」と言葉にしない限り、何も伝わらないのだと実感しています。

 様々な困りごとはあり、配慮や手助けも必要ですが、普通の人間として、普通に、自由に、人と一緒に、泣いたり笑ったりしながら生きていきたいと、重度知的障害があろうと、精神障害があろうと、認知症があろうと、何一つ変わらないと、私は、勇気を持って言い続けようと思います。

【略歴】

higuchi

 樋口直美(ひぐち・なおみ) レビー小体型認知症当事者

 1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。その9年前にうつ病と誤診され、誤った薬物治療による副作用に6年間苦しんだ。2015年、『私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活』(ブックマン社)を上梓。同年、日本医学ジャーナリスト協会賞書籍部門優秀賞受賞。診断前後の2年余りの日記の書籍化で、ライターや編集者の手は入っていない。日本認知症学会や大学などでの講演、コラムの執筆などを続けている。 2016年10月現在、空間認知機能障害など様々な脳機能障害、幻視、自律神経障害などがあるが、思考力は保たれている。

 根はシャイで、最初の登壇(「レビーフォーラム2015」)の時に照れ隠しにかぶったベレー帽をさかなクンに習ってそのままトレードマークにしている。認知症の啓蒙色であるオレンジのスカーフも。

 小中高校時代の一番好きな科目は、体育。納得する言葉は、「塞翁が馬」。

 樋口直美公式サイトはこちら

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さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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