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石川悠加さん(4)共に生きる社会に 広げたい世間の理解

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石川悠加さん(4)共に生きる社会に 広げたい世間の理解

札幌移転を機に、患者が自宅で自分らしく生活できる仕組みを作ることを夢見る石川さん

 昨年6月、石川さんの所属する「国立病院機構八雲病院」は札幌市の「国立病院機構北海道医療センター」に機能を移転する計画を発表した。専門的に診ている筋ジストロフィーや重症心身障害を持つ患者は、治療やケアの向上で長生きできるようになったが故に、加齢に伴い生活習慣病などの合併症も抱えるようになった。医療過疎地である八雲町では、対応できる診療科や医師の確保が難しい。また、遠くからの通院患者も多いが、交通の不便さが高齢化する患者や家族の負担になっていた。

 「今、常勤医は院長と私だけなのですが、やはり医師を初めとする医療スタッフの確保が田舎では大変だし、うちのノウハウをよその病院に広めたいと思っても、現場で共同作業をしながら研修をしないと難しい。札幌ならば短期でも研修に通ってもらいやすくなるし、それを自分の病院に持ち帰って、患者さんが全国どこにいても対応してもらえるようになったらいいなと思います。希少疾患の神経筋難病だと、私たちが携わった100人以上の亡くなった患者さんのことも含めて、これまでの経験で培ってきたノウハウをゼロから積み上げるのは難しいので、それを効率的に伝えて広げることも札幌で取り組みたいことの一つです」

 患者や家族も、移転を歓迎する人が多い。

 「全国に通院患者さんがいるので、札幌ならもっとこまめに行き来できる人が増えるといいなと思います。これまでは、交通の不便さを考えて、『うんと困らないようだったら、1年に1回でいいよ』と伝えていたのですが、そうすると、次の受診予定の前に呼吸が大変になってきても、ぎりぎりまで我慢してしまうこともあるようです。進行性の病気なので、もう少しこまめに来られれば、患者さんも苦しい時間が減るし、こちらも提供する技術がたやすくて済む。学年が進めば子どもたちが必要とする課題も変わりますし、20歳を過ぎれば誰でも肺活量や筋肉は落ちていきますが、病気の進行に加齢が重なるとまた身体の状況は変わってきます。成長期やデュシェンヌ型、福山型先天性筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症中間型、先天性ミオパチーは、少なくとも年1回は来てほしい。道外からも来やすい札幌であれば、それが今よりは簡便にできるかもしれません」

 ただ、移転後の具体的な計画はまだ公表されておらず、昨年11月、大阪から八雲病院に通っている患者5人を発起人として、「八雲病院のチーム医療を守る会」が発足した。全国二十数人の患者と家族が活動に参加している。代表で筋ジストロフィーと生きる伊藤雅博さんは、「私も重症肺炎を繰り返すようになった時に八雲病院のチーム医療に出会っていなければ、今のように元気に活動することはなかったでしょう。神経筋難病の医学研究は基礎研究に偏っているところがあり、現実に呼吸や心臓や栄養、リハビリの問題などで苦しんでいる患者への治療研究はまだまだ手つかずのままになっています。患者だけでなく医師にもあまり認識されておらず、不適切なケアによって若くして亡くなったり活動を維持できなくなる患者もおり大変残念です。患者さんに寄り添い、一人の人間として支えていく私たちにとってかけがえのない八雲病院の医療がこれからも守られることを願い、当事者が立ち上がって署名運動や国への要望活動を始めています。世界最高水準の生存率改善と生活の質の向上に寄与している八雲病院の機能が、移転後もさらに拡充され、世界に誇るモデル医療拠点として、患者の最適な療養環境となることを望んでいます」と訴える。

 赴任したばかりの頃、札幌の家族から遠く離れて八雲病院で暮らしていた筋ジストロフィーの少年から、「僕はなんでここにいなくちゃならないの?」と、重い問いを投げかけられたことには既に触れた。この問いに対する答えはその後見つかったのだろうか?

 「もうその子は亡くなったわけですが、私は時々、その子に心の中で謝るんです。『私はいまだにあなたへの答えを持っていないよ。本当に情けないよね。ごめんね』って。当時は医療と教育を一緒に受けるにはここに来るしかなかったのですが、都会ならまだしも、北海道の隅っこでこんな小さな町だと医療スタッフもそろいにくいし、医療の充実度も限界がある。自宅から遠く離れてなかなか帰れず、面会にもあまり来られない家族に代わって血の通ったケアがどれだけできていたか、突き詰めるときりがありません。お母さんが亡くなって、自宅から400キロ・メートル離れたここに来た7歳の男の子は、『僕は仏壇にお参りさえできないじゃないか』と訴えてきて、私は『本当にごめんね』しか言えなかった。その子のお姉さんが『私がお母さんの代わりに面倒をみるから、一緒に弟を連れて帰ろう』と泣きながら頼むのを、お父さんも涙を流しながらなだめていました。命を守るためにと言われてここに来ていたのに、家族や自分の家から離れてまで来るべき場所にできていたのかと思うと、いまだに謝るしかないのです」

 しかし、そうした胸の痛みを持ち続けてきたからこそ、札幌に移転したら、患者が自宅で暮らしながら専門的な医療やケアが受けられる仕組みを作る夢を持っている。実際、京都から年に1回通院している筋ジストロフィーの大学生の兄弟は、24時間の介護サービスを受けながら親元から離れて一人暮らしをしている。京都大学に合格し、入学前に八雲でNPPVの調整と (せき) 介助の訓練を受け、長時間の授業を受けても楽な車いすを作る準備を整えながら一人暮らしをしている脊髄性筋萎縮症の女性もいる。

 「若い世代では徐々に在宅の暮らしが広がっているのですが、札幌でもこの子たちのような患者が、病気の知識も技術もあるスタッフの血の通ったケアを受けながら、自宅で暮らせるようなケアシステムを作りたい。ご両親が世話していたとしても、法事や旅行で家を空けたい時もあるでしょうから、その時は一時的に入院して、在宅と病院の垣根なく自由に行き来ができるようになれば、自宅で暮らし続けることができると思うのです。札幌だったら、医療やケアのスタッフも集めやすいし、彼らを育てるための研修にも通ってもらいやすくなるでしょうから、在宅医療のネットワークを作りたいと考えています」

 また、札幌に移転したら、筋ジストロフィーや重度心身障害者の医療拠点というだけではなく、八雲のチーム医療を生かして、医療的なケアが必要な子どもたちの教育支援の拠点にもできればと石川さんは願っている。

 「今は発達障害を持つお子さんも増えているので、何かあった時にちゃんと診られて、普段の生活について親や学校の先生の相談に気軽に乗れるような拠点にもなれればと思いますね。地域の学校に通っている子も、授業でちょっと困ったことがあったらここで解決したり、快適に過ごすための生活用具を工夫したりできたらいい。先生にもノウハウをお伝えして、持ち帰ってもらうような研修や行き来ができるといいですよね」と夢は膨らむ。

 さらに、現在でも、八雲の医療やケアのノウハウは、ほかの地域にも広がり始めている。旧国立療養所ではない病院では初めて、9年前に筋ジストロフィー病棟を作った長野県の「鹿教湯三才山リハビリテーションセンター三才山病院」は、事前に医療スタッフが近隣の専門病院で研修し、その後、八雲病院と呼吸リハビリを中心とした交流研修を重ねるようになった。

 「向こうが来るだけではなくて、こちらからも4、5日行っては患者さんの治療やケアについて相談に乗ったり、医師、看護師や理学療法士、作業療法士らと交流したりしています。NPPVや咳介助の機械をうまく使いこなすノウハウを研修直後から身に付けて、実践されているようです。元々、長野県出身の患者さんが県外病院の筋ジス病棟から長野県に戻りたいという要望を受けて、『筋ジス病棟をこの地域にも作りたい。長野の患者が長野で暮らせるようにしたい』と固い決意を持って作られた病棟ですから、スタッフの間で理念も共有できています。現場の医療スタッフだけでなく、事務の方々も一丸となって熱心に取り組んでいる姿に、『もう私たちが教えることはないね。むしろ羨ましいぐらいだね』と刺激を受けています」

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1件 のコメント

リハビリ?

パタパタままです

 現在、知的障がい支援施設で働いてます、女性の方で1名筋ジスの利用者がおり、最初の15年はDMが主の知的を伴い、動作の緩慢や摂食や発語が苦手と思...

 現在、知的障がい支援施設で働いてます、女性の方で1名筋ジスの利用者がおり、最初の15年はDMが主の知的を伴い、動作の緩慢や摂食や発語が苦手と思い、発声練習や口輪体操、筋トレ、肺活量アップの訓練を日常的に取り入れていました。ある日、彼女の兄が遺伝子検査で病名発覚、まさかの彼女も検査で判明し、私は医療スタッフとして、物凄く落胆、彼女に無理難題を強要させていたのか、悩んでます。

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