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石川悠加さん(4)共に生きる社会に 広げたい世間の理解

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 国立病院機構西広島医療センター(2005年に合併する前は国立療養所原病院)の副看護師長は、15年ほど前に八雲病院の研修会に来た時、病棟を見学して、患者がもう気管切開をしていないことにショックを受けて帰って行った。

 「その時に、『絶対にうちでもNPPVをやらなくてはいけない』と決心したそうで、先日、講演会のついでに立ち寄らせてもらった時、その師長さんが『10年間、八雲病院を目指してがんばりました』と、マウスピースで人工呼吸をする患者さんがたくさん電動車いすで活動している様子を見せてくれました。『マウスピースの患者さんの数は、うち以上ですね』と伝えて、 (うれ) しくなりましたね。誰か1人がやらなくてはいけないと気づいて、それにしっかり取り組もうとする医師がいれば、どこだってできることなのかなと思いますね。どんな形であってもNPPVが広がって、どこに暮らしていても患者さんが生きやすくなるならばこれまでやってきたかいがありますね」

 人工呼吸器が普及する前は、18~19歳だったデュシェンヌ型筋ジストロフィーの平均寿命は2倍以上に延び、世界中では今、就労や結婚や自立生活をどう実現するかという社会参加の議論が活発に行われるようになっている。石川さんはNPPVに取り組み始めたばかりの1994年に、ニューヨークの患者が自宅で一人暮らしをして旅行や友人との外出を当たり前のように行っているのを見て、師匠のバック医師に尋ねたことがある。

 「どうしたら、日本もこのようになれるのでしょうか?」

 バック医師は「患者さんを適切な医療で元気にしていけば、活動しやすくなり、自分自身で必要なことを社会の中で築き上げていく。ニューヨークでもそうやってきたんだ。ただし、一朝一夕にはできないよ」と答えてくれた。

 「患者を元気にしていくという意味では、私や八雲のチームは、患者の呼吸を楽にして、命の危険を最小にするために気管切開のいらないNPPVを導入し、安心して食べられるように咳介助も行えるようにし、どんな年齢になっても自由に移動できる電動車いすを作り、どんなに手が動かなくなってもパソコンを扱え、生活の動作ができるような技術を提供してきました。だけど、バック先生は、『八雲のように人が少なく、都会から100キロ・メートルも離れた地域で、重い障害を持つ患者が長期間、施設に入所している生活では、いくら患者さんを元気にしてもそれを世間の人が直接目にする機会が少ない。これでは、社会の環境整備がなかなか進まない』とも心配していました。今はインターネットやマスメディアを通じて、患者さんが元気に暮らす様子を外に伝えることも可能になりました。これからはもう一歩、患者さんが自分たちで外に働きかけていくことで、社会のさらなる変化を進めていくことが重要です」と石川さんは語る。

 そのために、札幌移転は大きなチャンスだと考えている。

 「交流の場や機会が増えて患者さんの活動が広がれば、心身のバリアフリーや共生社会の実現につながるかはやってみなければわかりません。本人や家族自身が様々な生き方を選択し、その次の世代がさらに選択肢を拡大できるよう動いてほしい。専門医療ができることはそのためのサポートです。本人や家族が頑張れるように最高の体調や体力を整え、頑張りすぎた時の早い回復を手伝い、活動を支える機器を使いこなせるようにアドバイスする。そうすれば、『重い病気の人だから、関わって体調を崩したらどうしよう』とか『いろいろな機器や装置を使っているから、近寄りがたい』と思って遠ざかっている周囲の人の心の壁も、崩していくことができるのではないかと思うのです。それでも時には疲れた羽を休めて来てもらい、もし羽が折れてしまった時は、また別の羽で送り出せるよう準備をしておきたいと思っています」

 そのためには人材や資金も必要となる。少子高齢化で社会保障費用が膨らむ中、石川さんは「希少疾患や難病だけが特別扱いされていると反発を抱かれないよう、社会の理解が進むことが不可欠」と語る。だが、道はまだ遠い。近年、利用が拡大している「出生前診断」にしても、現在、患者たちがどのように生活しているかがあまりにも世間に知られていないことが、情報不足に伴うつらい選択につながっているのではないかと石川さんは懸念している。

 「もちろん過酷な病気であることは確かですが、元々、日本で出生前診断がデュシェンヌ型筋ジストロフィーに導入された頃は、“20歳まで生きられない遺伝性の重い致死的な疾患”という認識が大半でした。実際に、出生前診断に関わる産婦人科医や臨床遺伝専門医、遺伝カウンセラーに、少し前の医療事情による寿命や大変なイメージがあるのだとしたら、それを基にした情報提供と判断はどれほどの苦悩をもたらしてしまうことでしょう。今は人工呼吸器も進歩して、寿命も延び、様々な医療やケアの技術で生活の幅は広がっています」

 前半で紹介した、八雲病院に7歳で入所した弟と離れたくないと泣いた姉に、記者(岩永)は取材の日に偶然出会った。あれから23年。自身の長男がやはりデュシェンヌ型筋ジストロフィーで、取材日は3か月に1回の外来日だったのだ。

 「彼女は大人になって看護師になったのですが、自身が結婚し、妊娠した時、『弟と同じ病気なら、私は大丈夫。もし同じ病気だったら、弟と同じ八雲病院で診てもらいながら育てたい』と言って、出生前診断を受けませんでした。結局、ご長男は筋ジストロフィーと診断されましたが、八雲病院に通い仕事をしながら育てていらっしゃいます。次に生まれた長女の時も出生前検査は受けなかったんです。そういう判断をしてくれたということを、私は大切にしたいのです」と石川さんは語る。

 「ヨミドクターで連載している筋ジストロフィーの詩人、岩崎航さんも詩で書かれているように、『こういうふうに生きていることが不幸だと決めつけるのは貧しい発想』であり、『そんなことないよ。まだまだ充実して生きるための支援が足りないし、もっと挑戦できることがあるはずだよ。未来はもっといい形で描いていけるよ』と世間に伝えたい。私たちの努力もまだ足りないのかもしれませんが、岩崎さんのように、患者さん自身も世間にアピールしていかないと届かないのかなと思います」

 患者のお母さん役を長年務めてきた石川さんは現在56歳。65歳の定年までまだ10年あるが、これからはさらに、「子どもたち」の自立や社会参加を後押しすることに力を入れていきたい。

 「自分の居たいところに、一緒に居たい人と、思うような暮らしをしていく。これまでは、病気や障害によってハードルが上がっていた多様な生き方を選べるようにしていくには、まずは、専門医療とつながりやすくして、社会で生きていくための準備が不足したまま成人した患者さんが、未来に向けて生きていけるように社会全体で支援していかなければなりません。心身共に元気になった患者さんが、社会の中で活躍する機会が増えていくことで世間の理解が進み、彼らを支援する環境も充実していくこと、彼らが社会に参加する様々なあり方を創出することを期待しています。私が八雲に来た時に、『どうして僕はここにいなくちゃいけないの?』と尋ねた彼に対して、『もうそんなことはないよ』と胸を張って言えるようになるまで、患者さんと日々模索して過ごしていきたいと思います」

 (終わり)

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1件 のコメント

リハビリ?

パタパタままです

 現在、知的障がい支援施設で働いてます、女性の方で1名筋ジスの利用者がおり、最初の15年はDMが主の知的を伴い、動作の緩慢や摂食や発語が苦手と思...

 現在、知的障がい支援施設で働いてます、女性の方で1名筋ジスの利用者がおり、最初の15年はDMが主の知的を伴い、動作の緩慢や摂食や発語が苦手と思い、発声練習や口輪体操、筋トレ、肺活量アップの訓練を日常的に取り入れていました。ある日、彼女の兄が遺伝子検査で病名発覚、まさかの彼女も検査で判明し、私は医療スタッフとして、物凄く落胆、彼女に無理難題を強要させていたのか、悩んでます。

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