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東北大病院100年

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第4部 異端児(中)文学を志した地「仙台」…中国近代文学の父・魯迅

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第4部 異端児(中)文学を志した地「仙台」…中国近代文学の父・魯迅(1881~1936年)

若いころの魯迅(東北大提供)

 ◇中国近代文学の父・魯迅(1881~1936年)

 東北大病院(仙台市青葉区)とともに、同大医学部も昨年、開設100年を迎えた。中国の文豪・魯迅は、その前身の仙台医学専門学校に留学していた。当時、講義を受けた教室は同大片平キャンパスに残されている。

 「魯迅の階段教室」として知られる木造建物だ。改修や改築を重ねたが、教壇に向かって階段状に机が並ぶ当時の姿を残す。魯迅を慕って、教室を訪れる中国人は少なくない。

 今年4月に初めて訪れた王吉鵬(72)もその一人。中国の遼寧師範大学で「阿Q正伝」など魯迅文学を40年以上にわたって研究してきた。「魯迅の文学の原点は仙台にある。死ぬまでに一度、絶対に来たかった」と語る。

 太平洋戦争中に生まれた王は子供の頃から、敵国だった日本のことを良く思っていなかった。日本人のイメージが変化したのは、魯迅の恩師である藤野厳九郎(1874~1945年)を知ってからだ。

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魯迅がよく座ったとされる階段教室の座席に立つ王さん。教室のノートに「魯迅先生はこの地から歩み始めた」と書き残した(4月、仙台市青葉区で)

 魯迅は、仙台医専で解剖学教授の藤野と出会った。魯迅は自伝的短編小説「藤野先生」で、藤野が毎週、魯迅のノートを預かっては朱筆で全て添削してくれたと記した。魯迅は藤野の指導に感激。「先生の個性は、僕の目の中でも心の中でも偉大である」と「藤野先生」に書いた。

 ただ、肉体でなく精神の改造が必要と考えた魯迅は、文芸運動に取り組むため、1年半で退学。中国に帰国した後、部屋に藤野の写真を飾り、怠け心が出てくるたびに見つめたという。

 王は言う。「魯迅は、中国人の誰もが知る偉人の一人。その恩師が日本人だったと中国人が知ることは、日中友好にもつながる」

 魯迅が中国人にとって特別な存在であることは、国家主席(当時)の 江沢民ジアンズォーミン が1998年、魯迅ゆかりの仙台を訪れたことからもわかる。

 江は、仙台市民らの募金で60年に現在の市博物館(仙台市青葉区)の庭に建てられた「魯迅の碑」を訪問。友好のシンボルとして梅の木を植樹した。階段教室では、魯迅の定位置だったとされる座席に座り、「中国の人にとって、必ず来たいところ」と満面の笑みを浮かべた。

 この時、江を案内したのが、仙台市での魯迅の歩みを研究した東北大名誉教授の阿部兼也(79)だった。阿部は「江氏は、仙台市民が魯迅を大切にしていることを喜んだのではないか」と振り返る。

 同キャンパス内の東北大史料館には、当時の魯迅の写真や藤野から添削を受けたノートの複製など約40点が並ぶ展示室がある。周辺にも、下宿跡など魯迅ゆかりのものも多くある。

 訪日外国人が全国的に増加する中、東北地方は、福島第一原発事故による風評被害などから、伸び悩んでいる。県や仙台市は、階段教室の一般公開を期待するが、大学側は現在、研究など学術目的の公開にとどめている。老朽化や、観光客の増加による教育環境の悪化などを懸念するためだ。

 阿部は、階段教室を広く一般公開するとともに、大学近くに魯迅を紹介する記念公園を造ることを提案する。「仙台は、魯迅が文学を志した場所。一帯を整備すれば、中国から観光客や修学旅行の学生がたくさん訪れる。日中の相互理解も深まるはずだ」

(敬称略)

 魯迅(ろじん) 本名・周樹人。中国浙江省生まれ。1902年に官費留学生として来日し、医学を志す。04年に仙台医学専門学校に入学したが、文学の道を歩むため1年半で退学し、中国近代文学の基礎を築いた。代表作は「故郷」「阿Q正伝」など。

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