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ケアノート

コラム

「林家かん平さん]半身不随で母親介護

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サービスを最大限に活用

 落語家の林家かん平さん(67)は、母・せつ子さん(93)と2人暮らしをしています。寝たきりの母の介護に加え、かん平さん自身、26年前に脳出血で倒れ、右半身がマヒした状態です。「おふくろのためにできることは少ないですが、笑って過ごせば福が来ると信じてます」と笑顔で話します。

26年前倒れる

「林家かん平さん]半身不随で母親介護

「あたしが稽古とリハビリに集中できるのは、ヘルパーさんがおふくろとあたしの生活を助けてくれるおかげです」(東京都府中市で)=飯島啓太撮影

 あたしがこんな体になっちまったのは、林家三平師匠の追善興行を終え、打ち上げの席でのことでした。冷麺を頼んだところで、突然意識がなくなっちまった。それまで何の兆候もありませんでした。

  36歳で真打ちに昇進し、倒れたのは1990年、41歳の時だった。約2か月の 昏睡こんすい 状態が続き、意識が戻った後もマヒが残った。

 退院した後、おふくろと一緒に暮らしています。おやじはあたしが倒れるちょっと前に、亡くなっていました。おふくろも当時は若く、あたしが復帰して講演なんかに呼ばれるようになると、全国どこでも車いすを押して連れて行ってくれたもんです。

 あたしは退院後、右半身は回復の見込みがないというんで、左手で箸を持ったり鉛筆を持ったりして、どうにか使えるようになりました。でも「右手で書いた字と変わらない」って言われます。前から下手くそだっただけですね。

 口も以前に比べたら回らなくなっちまいましたが、昔からの友だちが中心になり「林間楽語会」って会を毎年開いてくれます。ありがたいことに、三平師匠の追善興行にも出させていただいてます。

 高座に上がり続けるために、自宅ではリハビリと稽古の毎日だ。見守るのはせつ子さん。数年前から、一日のほとんどの時間をベッドで寝て過ごすようになった。

ヘルパー朝夕晩

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 おふくろもあたしも身体障害者1級。人生で初めての「1番」です、自慢になりませんけどね。おふくろは慢性関節リウマチを患っています。要介護度はおふくろが5、あたしが4です。そんな我が家には、1日に3回もヘルパーさんが来てくれる。ケアマネジャーさんが計画を作ってくれ、複数のヘルパーさんが入れ代わり立ち代わりです。

 朝に来るヘルパーさんは昼頃までいてくれまして、朝と昼を兼ねた食事をおふくろが食べるのを介助してくれます。風呂の日には、2人がそれぞれ風呂に入るのを、手伝ってくれるんです。

 次は夕方で、晩飯を作っておふくろに食べさせてくれます。以前は朝のヘルパーさんが晩飯まで用意したから、食べる頃には冷めちまう。電子レンジで温めて食べようとしたら、落っことしちまって。それ以来、冷たいまま食べることが多くて、文字通りの「冷や飯食い」でした。温かい晩飯が食べられるのは、ありがたいことです。

 最後は午後8時頃。おふくろが寝る前に、トイレの世話です。これで、あたしら2人きりの夜中も大丈夫。夜中に「トイレがしたい」って言われたこともあって、やってあげたい気持ちはあっても、あたしにはできない。自分が歯がゆくて情けなかったねえ。

 でもね、文句ばっかり言うのは性に合わないんですよ。ありがたいことに、昔からの仲間とか友だちがしょっちゅう訪ねてくれ、みんなが支えてくれる。橘家円蔵師匠から言われた「芸人はどんなことがあっても笑ってなきゃいけない」って言葉が忘れられません。人様を笑わせるのが 噺家はなしか なんです。

 おふくろは噺家にとっては正直「いいお客さん」じゃない。言葉を言葉通り受け止めるから、裏を読んで笑ってくれないんです。最近は笑ってくれるようになったかな。

体験を落語に

  最近は自らの体験を盛り込んだ、新作落語の披露も増えている。

 還暦を越えて、やっぱり年を感じます。噺家が高座で休めるのは、お客さんがワーッと笑ってくれた時だけなんですが、うけなきゃ休めません。それで古典より短い時間で話せる、自分なりの新しい噺を書き始めました。最初の頃は、仲間から「講義じゃないんだぞ」ときついこと言われてへこみましたが、今は感謝してます。つらいことも笑い飛ばすような、新作を作りたい。

 あたしには娘が2人います。ベッドの柵につかまって立ち上がるリハビリがつらいとき、ベッドの近くに飾った娘たちの写真を見る。頑張ろうって気になります。

 今は出かけることも難しくなっちまいましたが、楽しいことを見つけて暮らすことが一番だと思います。おふくろも好きなテレビを見るのが楽しいみたいで、起きている間のチャンネル優先権は、おふくろが持ってます。あたしは笑ってもらえる新作を作り、思い通りに演じられるよう、毎日、リハビリと稽古です。少しでも長く、元気に高座に上がりたいですからね。(聞き手・福士由佳子)

  はやしや・かんぺい (本名・渋谷一男) 1949年、長崎県生まれ。72年、七代目橘家円蔵に入門。85年に真打ち昇進、初代林家かん平を名乗る。リハビリと介護、噺家としての1年を追ったドキュメンタリー映画「涙の数だけ笑おうよ――林家かん平奮闘記」は東京の角川シネマ新宿で上映中。名古屋・大阪など全国で順次公開予定。

  ◎取材を終えて  高齢の母と半身不随の息子。「老老介護」と聞けば生活の厳しさに焦点が当たりがちだが、お会いしてみて、予想をいい意味で裏切られた。「大変とは思いません。どんなことでもネタにできるから」ときっぱり。せつ子さんは、かん平さんに聞こえないような小さな声で「優しい子なんです」と言う。「頑張っていれば、きっと神様がご褒美をくれる」という言葉が大好きだというかん平さん。不屈の笑顔が心に残った。

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