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礼儀と心の健康 努力できる幸運と感謝

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

礼儀行為は個人と組織を共感状況や心の平穏に導く行為であり、心の健康のツールではないかと思います。

先日、某医師向け掲示板の、子供の進路で悩みを抱える医師のスレッドに対し、心無い言葉が浴びせられていて、少し驚きました。
詳細は控えますが、医師や自称医師の方の割には失礼だったり、優しくありませんでした。

個人も家族などの集団も心の迷路に迷い込むことはよくあることで、そうならなかったり、抜け出られたことが幸運ということが理解できていないから暴言を吐くのです。
一定以上の努力ができることは才能であり、幸運でもあります。

順調でない人を簡単に「甘えている」とか努力不足とか切り捨てることは簡単なわけで、逆に言えば、コンプレックスやゆがんだ自尊心の所以ではないかと疑います。

自分や他人の抱える未熟さや多様性との折り合いの理解や納得の問題ではないかと思います。

さて、知人と出会えば挨拶し、神社や仏閣では頭を下げるのが普通です。
それは習慣でもあり、礼儀でもあります。
スポーツや武道でもそうだと思います。
行為に、心が伴うか否かは問われませんが、ふとした拍子に表出します。

無知や傲慢は若者の特権であり、失敗や勘違いを繰り返しながら徐々に礼儀や知性を身につけていくほうが自然である気がします。

人間や人間を超えた存在に尊敬、畏敬を示すのが礼儀行為です。
生理的欲求と家族という閉じた世界から始まる人生の中で、実力差を肌で体感したり、実力のない相手に助けられたり、気づかされたりで、他者の尊重や感謝を学ぶのではないでしょうか?

などと、文字にするのは簡単ですが、実際与えられた環境に納得して生きていくのもなかなか難しいです。

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