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医療部長・山口博弥の「健康になりたきゃ武道を習え!」

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武道で礼儀は身に付くか?

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 では、武道では相手を敬う作法が身に付かないのかというと、必ずしもそうではないと思っています。

 武道は一歩間違うと相手をけがさせてしまう可能性があるからこそ、お互いに技を上達させるために一定の「配慮」が必要になります。たとえば、双方が自由に技を出し合う自由組手(乱捕り、スパーリング)では、段や級が上(つまり実力が上)の者は、下の者との実力差が大きい場合は、ある程度、手加減して攻撃します。届かない攻撃を出しても練習にならないので、しっかり相手に正確に当たる突き蹴りを出しつつ、でも100%の力を出し切らない「当て止め」で攻撃したりします。

 心体育道の場合は、フルコンタクト(直接打撃制)空手の試合で禁止されている目や金的(男性の下半身の急所)を攻撃する練習もします。でも、練習で実際に当てるわけにはいきません。この場合、当てる側にも当てられる側にも相手への「配慮」が必要になります。どういうことか、一つの技で説明しましょう。

さばきの型1の挙動11】

攻撃側のA(右)と捌き側のBは、ともに左足前の後屈立(こうくつだ)ちで構える。

攻撃側のA(右)と捌き側のBは、ともに左足前の後屈立(こうくつだ)ちで構える。
Aは右の前蹴りで攻撃。Bは少し下がって左手の下段払いで受け。

Aは右の前蹴りで攻撃。Bは少し下がって左手の下段払いで受け。
そのまま左足の前蹴りをAの金的に入れる。「金的蹴り」「金蹴り」などと言います(Aのモデルは女性なので金的と呼べるのか、というツッコミは禁止!)。

そのまま左足の前蹴りをAの金的に入れる。「金的蹴り」「金蹴り」などと言います(Aのモデルは女性なので金的と呼べるのか、というツッコミは禁止!)。
金的に蹴りが入るとAは必ず前かがみになるので、Bはその後頭部に上から左の肘打ちを振り下ろす。

金的に蹴りが入るとAは必ず前かがみになるので、Bはその後頭部に上から左の肘打ちを振り下ろす。
そのまま後ろを向き、次の敵に右足前の後屈立ちで構える。

そのまま後ろを向き、次の敵に右足前の後屈立ちで構える。

 この技の場合、写真3でBはAの金的に前蹴りを入れますが、本当に金的を蹴ったら大変なことになります。男性なら分かるでしょうが、あの急所を打たれると、あまりの痛みに悶絶もんぜつし、のたうち回ります。だから、そんなことにならないよう「配慮」して、Bは当たる寸前で蹴りを止める「寸止め」で蹴ります。

 一方、金的を「蹴られた」Aは、実際には蹴られていないので、痛くもかゆくもありません。でも、ここは「本当に金的を蹴られたら必ず前かがみになる」という前提で、わざと前かがみになります。頭が低い位置に来るから、Bは次にすかさず左肘打ちを上から振り下ろすことができる。そういう技の連携をBに覚えてもらうために、Aは「配慮」して前かがみになるわけです。

 武道の練習は、「本番」を想定した模擬訓練です。一人稽古も大事ですが、相手とペアになっての練習は欠かせません。2人一組になって、けがをしないように危険な技を出し合って上達を図る以上、お互いの協力が必要になります。さらに、相手にうまくなってもらわないと、こちらもいい稽古ができません。相手に配慮しつつ、互いの上達を目指して真剣な練習を繰り返すことで、自然に相手を敬う心が育まれる――と私は考えています。

 ここで注意しないといけないのは、「相手への配慮」や「相手を敬う心」が、ともすれば「甘い攻撃」や「なれ合い」につながってしまうこと。そうなると武道として本末転倒です。相手を敬い、安全に配慮しながらも、攻撃する時は気迫をもって強力な突き蹴りを出し、捌く時は的確に相手の動きを封じなければなりません。

 ともに上達を目指す相手への「敬い」と、相手を断固として封じ込める「気迫」という、相反する要素の共存。つまり武道の稽古とは、高度なノンバーバル(非言語)コミュニケーションが介在する真剣勝負だと言えるでしょう。

 ということで、結論です。

 武道を正しく稽古すれば、バランスのとれた本物の礼儀が身に付く!

 あ、今回は最後まで健康のネタがありませんでした。お許しを。

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山口 博弥(やまぐち・ひろや) 読売新聞東京本社医療部長

 1962年福岡市出身。1987年読売新聞社入社。岐阜支局、地方部内信課、社会部、富山支局、医療部、同部次長、盛岡支局長を経て、2016年4月から現職。医療部では胃がん、小児医療、精神医療、痛み治療、高齢者の健康法などを取材。趣味は武道と瞑想めいそう。飲み歩くことが増え、健康診断を受けるのが少し怖い今日このごろです。

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1件 のコメント

礼儀と心の健康 努力できる幸運と感謝

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

礼儀行為は個人と組織を共感状況や心の平穏に導く行為であり、心の健康のツールではないかと思います。 先日、某医師向け掲示板の、子供の進路で悩みを抱...

礼儀行為は個人と組織を共感状況や心の平穏に導く行為であり、心の健康のツールではないかと思います。

先日、某医師向け掲示板の、子供の進路で悩みを抱える医師のスレッドに対し、心無い言葉が浴びせられていて、少し驚きました。
詳細は控えますが、医師や自称医師の方の割には失礼だったり、優しくありませんでした。

個人も家族などの集団も心の迷路に迷い込むことはよくあることで、そうならなかったり、抜け出られたことが幸運ということが理解できていないから暴言を吐くのです。
一定以上の努力ができることは才能であり、幸運でもあります。

順調でない人を簡単に「甘えている」とか努力不足とか切り捨てることは簡単なわけで、逆に言えば、コンプレックスやゆがんだ自尊心の所以ではないかと疑います。

自分や他人の抱える未熟さや多様性との折り合いの理解や納得の問題ではないかと思います。

さて、知人と出会えば挨拶し、神社や仏閣では頭を下げるのが普通です。
それは習慣でもあり、礼儀でもあります。
スポーツや武道でもそうだと思います。
行為に、心が伴うか否かは問われませんが、ふとした拍子に表出します。

無知や傲慢は若者の特権であり、失敗や勘違いを繰り返しながら徐々に礼儀や知性を身につけていくほうが自然である気がします。

人間や人間を超えた存在に尊敬、畏敬を示すのが礼儀行為です。
生理的欲求と家族という閉じた世界から始まる人生の中で、実力差を肌で体感したり、実力のない相手に助けられたり、気づかされたりで、他者の尊重や感謝を学ぶのではないでしょうか?

などと、文字にするのは簡単ですが、実際与えられた環境に納得して生きていくのもなかなか難しいです。

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