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武道で礼儀は身に付くか?

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 小さい子どもに武道を習わせるお父さん、お母さんは、なぜ他のスポーツではなく、武道なのでしょうか。

 「いじめに負けない強さを身に付けるため」「鍛錬によって精神力を鍛えるため」。そんな理由に混ざって、次のような声を聞くことがあります。

 「礼儀を身に付けさせたいから」

 武道の稽古を通して、礼儀、つまり、「相手を敬う作法」を身に付けた人間に育ってほしい、と願っているのですね。

 たしかに、ほとんどの武道は、「礼に始まり、礼に終わる」と言っていいと思います。

 私が所属する護身武道「 心体育道(しんたいいくどう) 誠流武会」の例で説明しましょう。

 稽古が始まる前に、正座で整列します。以下、号令と動きについて順番に書くと、こんな具合です。

  1. 「黙想!」(先生)→全員で黙想。
  2. 「直って。正面に、礼!」(先生)→全員が「押忍おす!」と言いながら両手を床につけ、額も床に近づけて深く礼
  3. 「先生に」(帯がいちばん上の道場生)→礼をしたまま全員で「お願いします!」
  4. 「お互いに」(帯がいちばん上の道場生)→礼をしたまま全員で「お願いします!」
  5. 「ただいまより本日の稽古を始めます」(先生)→全員で「押忍!」
  6. 「直って」(先生)→全員が上体を起こして顔を上げる。

 稽古が終わる時は、同じく整列して、上記の「お願いします」が「ありがとうございました」に、「ただいまより本日の稽古を始めます」が「これで本日の稽古を終わります」に代わります。このほか、稽古中、2人で向かい合って技を出し合う練習の時も、最初は両腕で十字を切って「押忍、お願いします!」とあいさつ、終わる時も同様に「押忍、ありがとうございました!」とあいさつします。

 このように、道場ではいろいろな場面で相手を敬う礼を行いますから、たしかに「武道は礼に始まり、礼に終わる」は正しいと言えます。

 ただ、これらのしきたりや儀式をもって、「武道をやると礼儀が身に付く」と単純に言ってしまうことに対しては、私はいささか懐疑的です。

 なぜなら、形だけ礼を行い、あとは練習相手を痛めつけるような独りよがりな稽古をしたり、自分より下の者をバカにするような態度をとったりすることはあり得るからです(うちの道場にそんな不届き者は一人もいませんが)。ちゃんとした指導者であれば、そういう道場生を厳しく注意するでしょうけれど、道場生が多くて目が行き届かない道場では、そうはいかないかもしれません。

 武道は本来、スポーツではありません。学ぶのは、相手を殴ったり蹴ったり投げたりと、一般人にとっては乱暴な技術ばかりです。だからこそ、それを悪用しないように、昔から礼儀をことさらに強調してきたのでしょう。

 むしろ、野球やサッカーといったチームスポーツの方が、礼儀の本来の意味である「相手を敬う」精神は育まれるのではないかと思います。自分一人がうまくても、チームプレーができないと勝てませんからね。ラグビーでは、試合が終われば勝った側も負けた側もなく、同じラガーマンとして互いの健闘をたたえ合い、敬います。この「ノーサイド」の精神は、まさに礼儀と言っていい。

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1件 のコメント

礼儀と心の健康 努力できる幸運と感謝

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

礼儀行為は個人と組織を共感状況や心の平穏に導く行為であり、心の健康のツールではないかと思います。 先日、某医師向け掲示板の、子供の進路で悩みを抱...

礼儀行為は個人と組織を共感状況や心の平穏に導く行為であり、心の健康のツールではないかと思います。

先日、某医師向け掲示板の、子供の進路で悩みを抱える医師のスレッドに対し、心無い言葉が浴びせられていて、少し驚きました。
詳細は控えますが、医師や自称医師の方の割には失礼だったり、優しくありませんでした。

個人も家族などの集団も心の迷路に迷い込むことはよくあることで、そうならなかったり、抜け出られたことが幸運ということが理解できていないから暴言を吐くのです。
一定以上の努力ができることは才能であり、幸運でもあります。

順調でない人を簡単に「甘えている」とか努力不足とか切り捨てることは簡単なわけで、逆に言えば、コンプレックスやゆがんだ自尊心の所以ではないかと疑います。

自分や他人の抱える未熟さや多様性との折り合いの理解や納得の問題ではないかと思います。

さて、知人と出会えば挨拶し、神社や仏閣では頭を下げるのが普通です。
それは習慣でもあり、礼儀でもあります。
スポーツや武道でもそうだと思います。
行為に、心が伴うか否かは問われませんが、ふとした拍子に表出します。

無知や傲慢は若者の特権であり、失敗や勘違いを繰り返しながら徐々に礼儀や知性を身につけていくほうが自然である気がします。

人間や人間を超えた存在に尊敬、畏敬を示すのが礼儀行為です。
生理的欲求と家族という閉じた世界から始まる人生の中で、実力差を肌で体感したり、実力のない相手に助けられたり、気づかされたりで、他者の尊重や感謝を学ぶのではないでしょうか?

などと、文字にするのは簡単ですが、実際与えられた環境に納得して生きていくのもなかなか難しいです。

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