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石川悠加さん(1)全国から患者が集まる「駆け込み寺」に

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石川悠加さん(1)全国から患者が集まる「駆け込み寺」に

体に負担の少ない人工呼吸療法の伝道者として世界的に知られる石川悠加さん

 函館市から北へ約100キロメートル。周辺には牧場や海が広がる北海道南部の片田舎に、全国から呼吸が困難な患者が救いを求めてやってくる病院がある。筋ジストロフィーの専門病棟がある「国立病院機構八雲病院」(北海道八雲町)だ。「気管切開をしたくない」「体に合った車いすや生活用品を作りたい」――。そんな患者の声に応え、同病院診療部長の石川 悠加(ゆか) さん(56)は、体の負担が少ない人工呼吸療法を広め、重い障害があっても充実して生きられる診療態勢を約30年かけて創り続けてきた。難病患者や障害者に限らず、いつかは誰もが病気になり、年を取って体が不自由になる。相模原事件が起きた今こそ、石川さんに生活を支える医療について話を聞きたいと思った。

 筋ジストロフィー病棟が120床、重度心身障害者病棟が120床、筋ジストロフィーの患者のほとんどは人工呼吸器をつけている病院というと、読者の皆さんはどのような雰囲気を想像するだろうか。

 併設の養護学校に通う子どもは水泳を楽しみ、若者は室内ホッケーで盛り上がり、口から食事を味わい、東京の大学とインターネット会議で議論する女性もいて、どこもかしこも活気がある。気管切開の必要がない人工呼吸療法を選び、水や食事にむせても素早く吸引できる機械を準備し、車いすやパソコン機器をひとりひとりに合わせて改造するなど、石川さんがスタッフと共に培ってきた様々な医療やケアがあって実現している日常だ。

 「iPS細胞などの技術で治療薬の開発も期待できるようになりましたが、『治る』という方向にばかり目が行ってしまうと、今ある生活を肯定できなくなってしまう方もいます。治る希望は持ち、どんどん実現が近づいている治療法を待ちながらも、同時に『今のあなたの生活と命をどうやったらより良くできるかという工夫を、今、一生懸命考えようよ』と伝えたいのです。がんのような病気では、治療法の開発と並行して、最後までより良く生きるための医療や社会政策が考えられ、患者は両輪で進めるのに、神経筋難病の場合は片輪ばかりに注目が行きがちではないかと気になります。ただ、私たち医療者も、どのような方法で生活を充実させたらいいのかよくわからないので、『一緒に考えて、一緒に創っていこうよ』と、“うちの子たち”と試行錯誤しています」

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NPPVで顔にあてる様々なタイプの空気の取り込み口。鼻マスクタイプ、鼻ピロー(プラグ)タイプ、マウスピースタイプなどがある。このイラストは八雲病院の患者がパソコンを使って作成した

 「うちの子たち」と患者を呼ぶ、病院の「肝っ玉母さん役」の石川さんは、1990年の赴任以来、現在院長を務める夫と敷地内の官舎で暮らし、夜中でも患者のもとに駆けつける生活を続けている。専門に診る筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症などの神経筋難病は、徐々に全身の筋肉が衰えて、自力での呼吸も難しくなる病気。いずれ人工呼吸器が必要となることが多いが、石川さんはその中でも「NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)」という気管切開が必要ない人工呼吸療法を普及させる活動で、世界的にその名を知られている。石川さんらが書いたNPPVマニュアルは英語、イタリア語、スペイン語に訳され、石川さんらの報告を受けて、イタリアでは気管切開からNPPVへの転換を進めていくことが宣言された。

 NPPVは、鼻マスクや、鼻の穴に浅く差し込む鼻プラグ、マウスピースをくわえる方法など様々な形=図=で空気を取り込む方法があり、喉に穴を開けたり、気管に管を直接差し込む必要がない。石川さんは1991年に初めてこの方法に成功して以来、人工呼吸器が必要なすべての患者にまずこの方法を選ぶようになった。

 「口や鼻から気管内に管を通す気管挿管や、喉に開けた穴から管を気管に通す気管切開と違い、感染の危険も減りますし、 (たん) を吸引する必要もなく、介助者の負担もかなり軽くなります。発声にも影響がないので、コミュニケーションに特別な手段を必要とすることもありません。子どもの場合、多少ぶつかってマスクなどがずれてもすぐに戻せて、きょうだいや友達との遊びやスポーツも制限が減りますから、孤立も防げる。医療的なメリットはもちろん、気管切開よりも生活の制限が少なく、社会参加もしやすくなる人工呼吸療法なんです」

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障害があっても水泳を楽しんでいる

 だが、NPPVにも欠点はある。 (せき) が弱くなり、自力でうまく痰や詰まったものを出せない場合は、窒息の危険もある。介助者が手で胸を圧迫したり、空気を吸引する機械を使ったりして、咳を介助する技術が必要だ。さらに圧力、空気量などの設定やマスクが合っていないと、空気漏れや体調不良の原因にもなり、医療者のコツやこまやかなケアが鍵を握る。そして、一番の問題は、全国どこの病院でもNPPVが付けられるわけではないということだ。

 「私たちは、福岡、名古屋、大阪、京都、東京、福島など、全国から患者を受け入れていますが、遠くから来る場合は、『気管切開をしたくない』という動機が一番多いです。東京の病院の集中治療室(ICU)から挿管チューブを気管に挿したまま、飛行機に乗ってうちに来た患者もいました。『命を助けるには気管切開しかないと言われましたが、避けられる技術があるのならば避けたい』と、ご主人が電話で問い合わせてきたのです。ICUの医師は当然、付き添おうとしたのですが、その上司から『そんな勝手なことをする患者には付き添わなくていい』と言われたそうで、私と院長が東京まで迎えに行きました。転院を希望する患者の搬送の付き添いを拒否する病院に迎えに行ったことは何回かありますね」

 その患者はポリオの後遺症で呼吸が弱くなった60代の女性で、アジアの障害者運動に関わり、英語で司会をする役割も果たしていたため、気管切開で声が出しにくくなるのを恐れていた。八雲病院でNPPVをつけ、夜間に呼吸を補助するようになって体調が回復。今も障害者運動のために海外に出かけたり、本を執筆したりして積極的に社会活動を続けているという。

 「そういう姿を見るとうれしいですよね。気管切開をしても訓練で声の出る方はいますが、彼女の場合、気管切開の吸引に必要なきれいな水が手に入りにくい開発途上国にも行くので、『もし気管切開したら、活動をあきらめざるを得なかった』と言っていました。また、脊髄損傷で夫も車いす生活だったので、『もし気管切開をしていたら、今の介助者の手を借りながら2人で暮らす生活を維持することが難しくなっていたと思う』とも話していました。NPPVも100%うまくいくわけではないし、遠くの病院への搬送はリスクを伴うことなので非常に緊張しますが、希望がかなえられて、患者さんが大事にしている生活を守ることができたなら、受け入れて良かったと思います」

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