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木之下徹の認知症とともにより良く生きる

介護・シニア

認知症になっていいってどういうこと?

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イラスト・名取幸美

イラスト・名取幸美

 3人の登場人物。

 赤坂一郎さん(仮名、82歳)、その妻赤坂洋子さん(仮名 78歳)、長男赤坂恒一(仮名 48歳)の3人暮らし。

 半年ほど前、初診。3人が診察室に。洋子さんは、少しそわそわしているものの、夫一郎さんと長男恒一さんが家での状況をかわるがわる説明。

夫「(洋子さんを指さし)これがね。なんども同じこと言うんですよ」

私「ほー」

夫「いやあ、何度言ってもきかないんです」

私「(長男に向かって)、そうなんですか」

長男「いやあ、そうではなくて。時々、火が付いたように怒り出すんです」

私「ほー。そういうことですか」

夫「そう、きき分けなくて、ほとほと困るんです」

私「なるほど。いらいら感が強いのでしょうか。飲んでいる薬を全部教えてもらえますか」

夫「はい。これです」

 といってお薬手帳を渡します。

 やり取りしている間に洋子さんの状態は、落ち着きをとりもどし、静かに座っています。

私「(妻に向かって)これから、体の診察、採血の検査、脳の画像検査、もの忘れと気分の落ちこみの検査をやろうかと思います。お付き合いお願いできますか」

妻「はい」

 1週間後。

 検査結果を聞きに来院。

 長男のみが診察室。

長男「なかなか、ここ(クリニック)の玄関から入ろうとしなくて」

 診察室は1階。窓があります。その窓の外側に歩道が。

 そこから一郎さんと妻洋子さんの大きな声。

夫「今日は診察だからっ! こちらに来なさいっ!」

妻「なに、言ってんのっ。そんなの関係ないっ」

夫「さっき家では、行くっていったじゃないかっ」

妻「もう帰るっ! ったくっ」

 窓から外を眺める。どんどんクリニックから遠ざかる妻。夫は妻のほうに駆け寄りますが、足がなかなかついていかない。とはいえ、それほど遠いところまではいかないだろう。

 診察室。

私「お父さん、大変ですね」

長男「そうなんですよね」

私「先週の結果、どうしますか。いま説明しますか」

長男「あ、できればお願いします。あとで父には伝えます」

 私は長男に、採血の結果、MRI画像の結果、神経心理検査やうつの心理検査の結果を、用紙を渡しながら、説明しました。

私「……なので、アルツハイマー型認知症です」

 それから、抗認知症薬の話(前出「認知症と薬」)。効果の見方。副作用。

私「まずは、結果についてご本人とお父さんにお伝えください」

私「で、どう考えましょうか。お母さん、今日、相当機嫌が悪いですね」

長男「そうなんですよお」

 困惑した表情。

 さらに2週間後。長男のみの来院。

私「あれっ、お母さんは?」

長男「もう、いやがって家から出ようとしないんです」

私「そうなんですか。お父さんも?」

長男「おふくろ、1人で置いておけないので、おやじは家にいます」

 なるほど、一郎さんの洋子さんへの配慮と思いは、様子をうかがっていないのだが、想像できる。長年の 阿吽(あうん) の呼吸がいまもそこには息づいているのだろう。

 それから、いまの状況を聞き込む。

私「そうなんですか。しんどい状況ですね。おとなしくさせるような薬も考えましょうか」

長男「んー。そっちのほうがいいかもしれません。いまの状況じゃあ、きついかなあ。お願いします」

私「副作用もあるし、できれば、ご本人にも会って、ここ(クリニック)で飲んでいただいて様子を1時間ほど、その薬による変化を診ておきたいのですが。連れてこれますか」

長男「あっ、そうですか。連れてきます。そうさせてください」

私「ありがとうございます。いつでも構わないので、来れそうなとき電話ください」

 数日後。

 3人で来院。

夫「いやあ、先生。もう大変。何度も同じこと言うし」

私「そうですか」

長男「で、先生、この前の薬についてですが」

私「あっ、そうでした。お父さん、すこし気分を落ち着かせる薬を考えようかと前回息子さんとお話をしました。抗精神病薬といいます。それを通常の使用量よりもごく少なく処方しようかと。ただし、副作用があります。手足が出づらくなる、飲み込みが悪くなる、認知機能の低下が進む……」

 そこからなるべく丁寧に、抗精神病薬のメリット、デメリットを伝えます。

夫「なるほど。いまでは家でも時々突然怒りだすんだ。そのときはしんどい。お願いしたいなあ」

私「(洋子さんに向かって)気分を落ち着かせ、イライラを抑える薬を出そうかと思いますが、いかがですか」

妻「そうですねぇ」

私「いま、飲んでみて、1時間ほど、ここ(クリニック)にいて、お茶を飲みながらでも、すごしてもらえますか」

妻「いいですよ」

 この部分、抗精神病薬の投薬のシーン。賢明な読者なので、気づいたと思います。本人とは微妙な感触のやりとりです。私はいつもジレンマに陥ってしまいます。薬って誰のためにあるのか。でも、あまり猶予もなさそうな生活状況。事実は事実。恥を忍んで告白しています。ところで、そういう類の薬のせいで困ったことが起こらないのかどうかについて、我々のクリニックでは、その場で薬を飲んでもらって、1、2時間ほどはそばにいてもらい様子をみます。

 いままで大勢の人々にこういう薬を処方してきました。致し方がなく、危機的状況の脱出のための処方です。自傷他害という根本問題を解決するために。でも処方するたびに、なにかあたまをよぎる思いがあります。まだ確かな言葉にはできていない、大切なこと。薬の効果や副作用もそうなのですが、それ以上の懸念。それは一郎さんの洋子さんに対する「感触」。

 薬を使うことで、借りてきた猫のようにおとなしくなった。いままで結婚して以来言ったこともない「ありがとう」を言った、と涙を流して喜んでいた人もいました。でも、「扱いやすくなる(よい言葉ではないですが)」ことで、周囲の人から見た「本来のその人の感触」が失われはしないか、という懸念。かつて『カッコーの巣の上で』という映画のジャック・ニコルソン演じるマクマーフィのロボトミー手術後の名シーン。彼の姿とその後の展開(詳しく書くとネタバレになるのでここまで)。認知症に関わるこういう場面での、抗精神病薬処方につきまとう問題とは無縁ではないように思うのです。確かめなければならないのは、もしかして、薬の効果や副作用も大切なのだけれど、そういう「感触」なのではないか、と思います。まだうまく言葉にできません。風景から察するしかない。

 一郎さんの場合はどうであったのか。

 薬を飲み始めてから1時間が過ぎたころ。

私「(妻に向かって)、気分はいかがですか」

妻「いやあ、変わらないですね」

 淡々と答えます。

 近時の記憶障害が顕著だと、薬を飲む前の状態を想起できないので、自分のいまの状態と比較することは難しいのだろうと思います。

 私が夫と長男に顔を向けると、

長男「よいようですね。機嫌もずいぶんといい感じがします」

 彼も淡々と答えています。

 長男の恒一さんは、おそらく父親の視点になって、父親の負担が減ったのだろうと感じたから、そう答えたのだろうと思うのです。

 一方、

夫「うんうん。そう。いつになく機嫌よさそう」

 と一郎さんは、顔は前回のような緊張もほどけて、なにか安堵を感じさせる表情で言いました。私の勝手な想像なのですが、洋子さんに向けられるまなざしは、生き生きとして、以前と変わりがない「感触」。そんな感じがしました。わざわざ、なぜ、ここにこだわるのか。まだまだ狭い私の経験です。抗精神病薬でたしかにおとなしくはなった。しかし、周囲のまなざしに、そういう「感触」が失われてしまった経験をしたことがあるからです。

私「そうですか。今日のところはこれでお帰りいただいて、明日の夕方から1錠ずつお飲みください。ただし、漫然と飲み続けると副作用が出る可能性が高くなります。いましばらくはこれを続け、気分が落ち着いているときには、薬を切る方向で考えてください」

 それから、何度か受診がありました。

 数か月が過ぎました。

 何度目かの受診時。今回も長男のみ。

 一郎さんは洋子さんと一緒にいるらしい。

私「いかがですか」

長男「ずいぶんと落ち着き、変わらず、いい感じです」

私「それでは、薬を減らしていきましょうか。来月ご本人とおいでいただけますか。その とき一緒に考えましょう」

 さらに1か月ほど () った、ある予約日。

 いつもと違って、めずらしく夫の一郎さんのみの受診。

 診察室に入り、

私「あ、こんにちは。あれっ?」

 夫の一郎さんは挨拶もなく、いきなり

夫「先生っ。息子、先週、死んじまったよぉ」

私「えっ」

 なにか突然異次元のポケットに私が放り込まれた感覚。

夫「保険の金。何千万か入るんだよ」

私「……」

夫「おれさあ、そんな金。いらねぇーよ」

私「……」

私「一人息子だっけ」

夫「そうなんだよ。独身、一人息子」

私「さびしいね」

夫「さびしぃーよ」

夫「くも膜下っていうの? 血圧高いの、息子、そのままにしてたんだな」

夫「朝、起きてこねぇーんだ。見にいったら、息してねぇーんだ」

私「……」

 一郎さんは息子さんに対する思いをここでぶちまけるかのように、話しました。

 私は、聴くしかない。

 今回から抗精神病薬の減量の話だった。ただ、一郎さんも大きな不安と焦燥を抱え込んでしまっています。私も随分考えた結果、

私「薬、同じように出しておくね」

夫「先生、ありがとう。これから、あいつと2人で生きていくよ」

 劇的な話でしたが、私は、一郎さんの最後に、ふと口に () いて出た、この言葉が好きなんです。そして、ふと気づくんです。「認知症になってよい」という言葉について。

 一郎さんは、洋子さんが機嫌悪くて、 怒鳴(どな) られようが、 () みつかれようが、言ったこともすぐに忘れようが、投薬を通じても、そして息子さんが亡くなっても、なんだかんだ一緒に、自然に生きていこう、と思える、というのです。

 そんなことを、この「これから、あいつと2人で生きていくよ」に感じるのです。本来の洋子さんへの一郎さんのまなざしが、かわっていないことを確認できる気がしたのです。

 「認知症になってよい」暮らし、まちづくり、人間関係の「魂」の部分に感じるのです。息子さんも淡々と両親の診療の手助けをしていました。亡くなった恒一さんも、そういうまなざしを両親に向けていたのでしょう。それだけに亡くなった時の一郎さんの悲嘆は想像を絶するものでした。

 一方、よいまなざしがあっても、それを感じる余裕すらなくなりがちなのが、現代社会。いまや独居で暮らす人々が多い時代。認知症になるのも、自然な時代です。

 そこで質問。地域の知り合い、会社の友人を見渡して、 喧嘩(けんか) もしながら、まあ一緒に生きていこう、と思える人々って、いますか。もし、友人の誰かが困っていたら、あなたは手助けにいけますか。逆に、あなたが困ったら、だれかが助けに来てくれますか。単なる仕事上の付き合いになってしまう場合がほとんどかもしれません。助けに行ってもなんのご褒美もありません。でも、その気持ちのあり方は、なによりも大切なことかもしれません。

 「認知症になってよい」という決め 台詞(ぜりふ) が、空々しくならないような努力の方向性を、一郎さんが教えてくれているような気がするのです。普段で会う、例えば仕事をしている人であれば目の前の部下、上司、同僚に対して、あるいは近隣の友達に対して、どういうまなざしをあなたが持っているのかを再考してみるとすぐに気づけるはずです。

 「こいつさえいなければ」という切りつけるようなまなざし。「こいつのためならなんでもしてやろう」という「ろうそくは身を減らして人を照らす」ようなまなざし。さまざまでしょう。

 人は関係性によって人たらしめるものです。切りつけるようなまなざしで人を見つめれば、あなたもそのように見つめられます。「ろうそくは身を減らして人を照らす」まなざしも同じです。認知症になって不便さを抱え込んだとき、1人で暮らすにはその不便の分だけ負担がより増します。わがままも言え、けんかもする。そういう中での一郎さんの思いきりが、自分の周りの関係性、暮らし、まちづくりの根底になければ、「認知症になってよい」は実現しません。今一度みなさんご自身の、周りの人々へのまなざしを確認してみませんか。もし、ネガティブなまなざしだと気づければ、きっとそのまなざしを自分で調整すると思います。それだけで、ずいぶんとこの世は過ごしやすくなるはずです。

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kinohsita

木之下徹(きのした・とおる) のぞみメモリークリニック院長

 東大医学部保健学科卒業。同大学院博士課程中退。山梨医科大卒業。2001年、医療法人社団こだま会「こだまクリニック」(東京都品川区)を開院し認知症の人の在宅医療に15年間携わる。2014年、認知症の人たちがしたいことを手助けし実現させたいと、認知症外来「のぞみメモリ―クリニック」を開院。日本老年精神医学会、日本老年医学会、日本認知症ケア学会、日本糖尿病学会に所属。首都大学大学院客員教授も務める。ブログ「認知症、っていうけど」連載中 http://nozomi-mem.jp/

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