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パラリンピック、重ねた思い…互いを認め「2人で決勝へ」

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義足の陸上選手、同種目出場

パラリンピック、重ねた思い…互いを認め「2人で決勝へ」

3年でトップ選手になった前川さん(三重県桑名市で)

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仕事と競技を両立する大西さん(東京都世田谷区で)

 9月7日に開幕するリオデジャネイロパラリンピック。陸上競技の同じ種目に出場する義足アスリート、大西瞳さん(39)と 前川楓まえがわかえで さん(18)は、「互いがいたから、ここまでたどり着けた」と認め合う間柄だ。出会いから3年。リオを目指し、2人はどんな思いを重ねてきたのか。

 2日に開かれたリオ大会の結団式。日本代表選手団の公式スーツに身を包むと背筋がすっと伸びた。ともに 大腿だいたい 切断クラス(T42)で100メートルと走り幅跳びの出場権を獲得。「右脚を失った時は、日の丸を背負って戦うなんて想像もしなかった」と口をそろえる。

 大西さんは23歳の時、風邪をこじらせて心筋炎を患い、1か月間、意識不明に陥った。治療経過が思わしくなく、目が覚めると右脚が 壊死えし 。やむなく太ももから下を切断した。

 当初、歩行用の義足が合わず苦労したが、義肢装具製作の第一人者、臼井二美男さんから「走れるときれいに歩けるようになる」と言われ、切断者が集うクラブ「ヘルスエンジェルス」(東京)に参加した。

 運動用義足でのランに熱中し、大会にも出るようになったが、女子選手は少なく国内ではずっと敵なし。海外試合でライバルの背中を追うと胸が高鳴った。「国内でも競い合うレースがしたい」。心から願っていた。

 「脚を切断したばかりの子に会ってもらえないか」

 2013年6月、関係者から頼まれ、すぐ三重県に向かった。その少女が前川さんだった。10か月前、交通事故で右脚を切断。義足に慣れておらず、つえで生活していた。「きれいに歩けるようになるよ」。自分の背中を押してくれた言葉を前川さんにかけて、競技に誘った。

 前川さんは、大西さんが走る動画を偶然目にしていた。圧倒的なスピードと美しいフォーム。「本物の足で走っているみたい」と驚いた。初対面の日、その場で促されて歩行用義足を試すと、スムーズに歩けた。「瞳さんみたいになりたい」。少しずつ走り始めた。

 翌年6月、前川さんは初めて試合に出場した。最下位だったが、大西さんは、「私が抜かれるとしたら、この子だ」と直感した。負傷前、バスケットボールで培っていた体の強さが、走りに表れていた。

 「やるなら勝ちたい」。前川さんは高校の陸上部に入部。めきめきと走力を付け、1年後には大西さんに迫るように。「ライバルができてうれしい」。待ち望んでいた環境が整った。

 この1年は、抜きつ抜かれつ。相乗効果で記録も伸びた。今年6月の選考会では大西さんが16秒90の日本新記録で勝った。前川さんは涙交じりの笑顔で駆け寄り、「おめでとうございます」とねぎらった。すがすがしいスポーツマンシップに、大西さんは「私の後を託したい選手」と期待する。

 前川さんは「瞳さんがいないレースでは最後の追い込みがきかない」と笑う。ロンドン大会を逃し、8年越しで切符をつかんだ大西さんには、リオは集大成の舞台だ。「2人で決勝進出を狙おう」と誓い合っている。

  ■メモ  大西瞳さんは1976年、東京都生まれ。目黒区役所職員。T42クラスの走り幅跳び(3メートル52)と100メートルの日本記録保持者。前川楓さんは98年、三重県生まれ。津東高校1年の時に走り始めた。愛知医療学院短大在学。チームKAITEKIに所属している。(佐々木栄)

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