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精神科医・松本俊彦のこころ研究所

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相模原事件 妄想なのか思想なのか?

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松本俊彦さん

松本俊彦さん

 私は、薬物依存症の治療と研究を専門とする精神科医です。

 今回、ヨミドクターでの連載の話が決まり、編集長から「まずは相模原の殺傷事件を」とのお題をいただきました。悩ましいテーマです。実は私は、現在この事件に関する厚生労働省の検討委員会の構成委員を務めています。この委員会は非公開の会議であり、構成委員には守秘義務がかかっているので、どうしても口が重くなります。

 もちろん、これから書くことはすべてメディアですでに報じられた情報、あるいは、検討委員会の公開情報に基づいたものです。とはいえ、現段階では、検討会において驚くような真実が共有されているわけではありません。なにしろ、まだ精神鑑定も終わっておらず、容疑者の内面をうかがい知ることができるような情報はほとんどないのです。ですから、ここに書いた内容を、ごく近い将来、そっくり全撤回という事態は、十分にありえることとご承知おきください。

当初、「容疑者は精神障害者ではない」と考えていた

 さて、のっけから弁解がましいですが、とにかく始めましょう。

 当初私は、「あの事件は精神障害者によるものではない」と考えていました。理由は二つありました。

 一つは犯行パターンです。今回の事件、容疑者は、計画に基づいて周到に準備し、事件当日は目的の遂行のためにきわめて合理的な行動をとっています。このことは、容疑者が透徹した理性と判断力を持って犯行におよんだことを示唆します。それから、犯行後に自ら警察に出頭しています。この事実は、容疑者には「違法性の認識」(=それはやってはいけないこと、悪いことという自覚)があったことを意味します。いずれも、精神障害者にはあまり見られない犯行パターンです。

 もう一つは、犯行の動機とされる、障害者に対する危険思想です。これは、社会にはびこる差別意識をグロテスクなまでに誇張した内容を持っています。私は、「もしもこれを妄想といったら、ヒトラーの優生思想やイスラム過激派組織「イスラム国」の思想だって妄想ってことになってしまう」と考えていました。

 しかし今、冷静にふりかえると、自分があくまでも精神科医という立場に縛られ、「あんな患者の治療はできない」という不安が発想の原点になっていたことに気づかされます。

 思えば、私も駆け出しの頃、今回の容疑者とよく似た措置入院(「自傷・他害のおそれあり」との判断により、都道府県知事・政令指定都市市長の命令による強制入院)患者の主治医を務めたことがありますが、その際、措置入院の解除は強い重圧を感じる仕事でした。当時の私は、「他の診療科の医師は単純に患者さんの利益や幸福を追求すればよいのに、なぜ精神科の場合には、社会の利益や幸福まで考慮しなければならないのか、なんて特殊な診療科なんだろう」と不思議に感じたものです。

 思想なのか、妄想なのか。これはむずかしい問題です。実は精神医学の教科書を紐解ひもといても、両者の違いに関して納得できる説明はありません。おそらく両者は地続きで、その境界は不明瞭なのでしょう。ですから、「あんなやつは医療の対象にすべきではないのだ」と思えば、容疑者の発言を恣意しい的に思想と捉える余地もあるわけです。

衆院議長宛ての手紙、友人の証言を分析してみる

 とはいえ、やはりここはきちんと事実と向き合う必要があります。週刊誌に掲載されていた、衆議院議長宛ての手紙を読めば、彼の発想がいかに荒唐無稽なものであるのかがわかるはずです。

 「……(前略)……容姿に自信が無い為、美容整形を行います。進化の先にある大きい瞳、小さい顔、宇宙人が代表するイメージ。それらを実現しております。私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかもしれません」「日本軍の設立……(中略)……今回の革命で日本国が生まれ変わればと考えております」「作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます……(中略)……金銭的支援5億円。これらを確約して頂ければと考えております」。

 この手紙を読んで、容疑者の主張に共鳴し、「革命を起こそう」という同志は出てくるでしょうか。まずいないでしょう。容疑者は完全に異世界の住人――彼の言葉を借りれば「未来人」?――で、表面上は私たちと同じ世界に生きながらも、まったく別の風景を眺めています。これは、容疑者の主張が妄想であることを示唆します。

 私は、容疑者が精神障害者であることを認めたくないばかりに、都合の悪い事実を無意識のうちに無視していた気がします。

 たとえば友人の証言です。容疑者の友人は一様に、「昔はああではなかった。ある時期から急に態度や言動が変わった」と語っています。考えてみれば、優生思想を持つ者が、特別支援学校の教諭を目指したり、障害者支援施設に入職し、さらには勤務態度を評価されて非常勤から常勤職員へと昇格したりするのは、奇妙な話です。あくまでも一般論ですが、ある時点からの急激な性格変化が診られた場合には、精神科医は何らかの精神障害の発症を疑います。

 大麻の影響を指摘する声もあります。確かに大麻は理性のタガを外し、容疑者の行動に何らかの影響を与えた可能性が高いと思います。しかし、それだけでは説明がつきません。私の経験では、大麻で精神症状を呈する患者の多くは、他に精神障害を合併しています。

考えられ得る「悲劇的な構図」と「重い課題」

 誤解しないで下さい。容疑者の考えが妄想だったからといって、それだけでは彼が精神障害者であると結論することはできません。ましてや、ただちに刑事責任能力が免責されるわけでもありません。それはまた別の議論です。それから、たとえ精神障害者だったとしても、精神障害者の多くは、彼のように危険なわけではありません。彼はきわめて、きわめて例外的なケースです。

 ここから先は私の「妄想」です。

 いま私たちは一つの可能性を想定し、一応、心の準備をしておく必要があります。それは、容疑者が妄想に支配されていて、世界や人類に対する「見当違いの善意・熱意」から犯行を計画・準備し、目的遂行に向けて合理的に行動した可能性、そして、「現世的な違法性」は認識しながらも、自らを超越世界の住人であると妄想し、その世界のルールに忠実に動いていた可能性です。

 すべては「タラ・レバ」の話です。しかし最近私は、もしかすると今回の事件は、「障害者が障害者を殺傷した」という悲劇的な構図であったのではないかという考えに傾いています。もしもそうだとすれば、私たちが突きつけられている課題はきわめて重苦しいものとなるでしょう。なぜならそれは、いずれの障害者に対しても隔離したり排除したりすることなく、同じ地域住民として共生する社会は可能なのかという、容易ならざるテーマだからです。

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松本 俊彦 (まつもと・としひこ)

 国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長

 1993年、佐賀医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院精神科助手などを経て、2004年に国立精神・神経センター(現、国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所 司法精神医学研究部室長に就任。以後、同研究所 自殺予防総合対策センター副センター長などを歴任し、2015年より現職。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本社会精神医学会理事。

 『薬物依存とアディクション精神医学』(金剛出版)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)、『アルコールとうつ・自殺』(岩波書店)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『もしも「死にたい」と言われたら――自殺リスクの評価と対応』(中外医学社)、『よくわかるSMARPP――あなたにもできる薬物依存者支援』(金剛出版)、『薬物依存臨床の焦点』(同)など著書多数。

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挑戦状3

統合失調症措置入院歴あり

 シリアルキラーも植松容疑者も『精神鑑定』を受けて、裁かれて、それに見合った罰を受けるでしょう。戦場から引き揚げて帰国した兵士が勲章を貰っている...

 シリアルキラーも植松容疑者も『精神鑑定』を受けて、裁かれて、それに見合った罰を受けるでしょう。戦場から引き揚げて帰国した兵士が勲章を貰っている、ちょうどその時にです。
 植松容疑者が行った暴力の相手は、最も弱い方々です。自分の性的欲求を満たすために弱い弱い幼女を植松容疑者の何倍もの人数を殺めたシリアルキラーの犯罪とは異なり、私達人類の無意識の中に眠らせていた、略奪、侵略という本能、そして差別と暴力を放棄したと自分に言い聞かせてきた私達への、挑戦状と言えます。彼が精神障害者と認定されたなら他人事と思う事が出来て、被害者の方々に同情して心を痛めることでしょう。しかし、彼はそれで無罪となるかも知れません。恐らく彼に死刑を望む人が多いことでしょう。その願いを叶えるなら、彼を健常者として扱う必要が出てきます。多数派の中の一人が弱い人達に大きな暴力を行ったことになります。彼の処遇がどちらに転んでも、私達は目を背けてはなりません。彼の挑戦状によって、私達の中の本能と向き合わなくてはなりません。
 アメリカで銃乱射事件も暴動もなくなりません。我が国でも、無差別な事件が起こっています。そして私達は忘れてしまいます。アメリカだろうが、日本だろうが、どんな小さな社会でも街でも、一定のルールの下で生きていける人達は8割、9割ぐらいですかね。しかし残りの1~2割のミスフィット達のことを如何に捉えるか、これがその社会の成熟度を示すのではないでしょうか?
 私達は彼から学ばなくてはなりません。挑戦状を受け取ってしまいましたから。

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挑戦状1

統合失調症措置入院歴あり

戦時中においては、他国や他民族を敵、或いは劣等民族とみなして差別し人類は『暴力』を行います。その背景には略奪と侵略があります。同じ社会の中でも、...

戦時中においては、他国や他民族を敵、或いは劣等民族とみなして差別し人類は『暴力』を行います。その背景には略奪と侵略があります。同じ社会の中でも、治安を保つために、奴隷やマイノリティーを差別の対象として扱うという『暴力』を人類は行います。その背景も『暴力』を行う側の利益を『守る』という意味で、やはり略奪と侵略でしょう。人類は戦争と差別を捨てることが出来ません。性悪説はここから生まれているのでしょう。
 すなわち、略奪、侵略のための暴力、差別は人類の本能だと思います。人類は常にそれらを捨てることが出来ません。それは極めて原始的で避けられない運命だと思います。逆説的ですが、種の保存のための知恵という本能です。
 究極の暴力と差別は殺人で、それが許されるときがあります。戦争で敵を殺めた人数が多ければ英雄となります。差別も敵国と戦うときは奨励されます。

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植松容疑者について

統合失調症入院歴あり

 私が初めて発症した時、被害妄想、誇大妄想を抱きました。どんな誇大妄想だったかと言うと世界終末思想です。その当事は東西冷戦の時代で、核戦争が今に...

 私が初めて発症した時、被害妄想、誇大妄想を抱きました。どんな誇大妄想だったかと言うと世界終末思想です。その当事は東西冷戦の時代で、核戦争が今にも起こりそうな時代でした。ネットに『陰謀論』のような情報が溢れているような時代ではなかったです。しかし私の妄想は、このままでは核戦争が起こってしまうと本気で恐れながらも、アメリカが核爆弾を持ち続ける事で戦争が回避されているわけだから、非難されても耐え抜いているレーガン大統領に労いの手紙を書こうと本気で思いました。『世界終末思想』という妄想は統合失調症患者に多いということが専門書に書いてありました。私は終末思想が自分の中から湧いてきました。明らかに妄想です。しかも、統合失調症患者に共通の妄想という訳です。誰かの影響を受けて、感化された訳でもなく、何かを読みあさった訳でもないです。終末思想が激しい思い込み、妄想であって、それによってその恐怖に耐えられないというのが『病的妄想』であり、恐怖がなく、憎しみによって終末回避するための破壊行動が『危険思想』なのだと思います。
 植松容疑者の場合、終末思想がやや薄いものの、新しい世界を創る使命を強く妄想しています。恐怖より、激しい期待ですね。そして、殺人は犯罪だとはっきり分かった上で、使命を全うしようと相当無理をして、実行したと思います。彼は社会生活に追い詰められ、それを打破する為に抱いた妄想が、英雄になることで、そして誰かを傷付ける選択をした訳です。彼はいくらか陰謀論のようなものを目にしたかも知れません。妄想の強さと手紙の文面や実行力を見ても、私から見たら彼は精神障害者です。しかし、あれほどの事が出来てしまったことには驚きです。ごくまれにしかいない誰かを傷付ける精神障害が、あれほどの事をやったということならば。イスラム国の映像の影響もあったのかも知れません。

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