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【相模原殺傷事件】きたるべき未来のために

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テーマ:緊急特集「相模原殺傷事件 私はこう考える」

 2016年7月26日の深夜、「津久井やまゆり園」で19名の尊い命が奪われました。容疑者は意思疎通ができない最重度の者を選んで殺害したと言います。

 この事件のあと、私の同僚で障害を持つ人たちは、「自分も突然、刺されるのではないか。人混みの中に車椅子でいるのは危険」と言いました。一時的にせよ、地域社会を信頼できなくなってしまったのです。

 事件からしばらくち、各所で対策が練られています。障害者団体は相次いで声明文を出し、優生思想(人類の発展のためには劣勢な遺伝子を持つ者は淘汰とうたしなければいけないという思想)がこのような形で現れたことに抗議しました。

 一方、国は再発防止策として精神病患者の措置入院のあり方を改め、監視体制を強化しようとしています。また、障害者施設のセキュリティー(防犯対策)も強化し、外部からの侵入を取り締まろうとしています。「それらの処置の方向は違っているぞ」と言いたいところですが、それは障害当事者に任せて、私は私が受けた衝撃について(きっと異論はあるかと思われますが)、正直に記してみたいと思っています。

「うちの子だったら」と想像し、やるせなく

 私には容疑者と同年代の息子がいます。それで、この事件を知った時から、容疑者のご両親の心境を想像してしまって、どうにもやるせなくて。こんなことをいったら顰蹙ひんしゅくを買うかもしれませんが、「うちの子だったら」と想像が膨らんでつらいのです。きっと大切に育てられたのでしょうに、なぜ? 取り返しのつかない罪の重さです。

 報道によると、容疑者には明るく素直な面もあったということです。近所の庭の草刈りを率先して行ったり、親を尊敬していて、自分も教師になろうとしたりしていました。子どもたちにも人気があった。

 それなのに、大学の中途から、人が変わっていったという。容疑者は、「国のために障害者を殺戮さつりくした」と言う。犯行予告として衆議院議長に宛てた手紙の内容も、およそ正気とは思えませんが、犯行の手口や反省の無さを見ると、確信犯であることは明白です。死刑も覚悟の上でやったという。なんとも幼稚で哀れです。

 でも、弱った心が救いを求めていた時期もあったでしょうに。その時救済する手立てはなかったのか。同年代の息子を持った母親として、大変動揺しています。

未来に不安を抱える若者たちに メディアが与える影響

 容疑者が成長する過程で、メディアで平然と、重度障害者や病気の高齢者に対して侮蔑的な発言をする日本の政治家や著名人がいました。「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と言った曽野綾子氏、「(重度心身障害児を指して)ああいう人ってのは人格あるのかね」と言った石原慎太郎氏、「オイいつまで生きてるつもりだよ」と言った麻生太郎氏。すべて「血税を湯水のように使うだけの役立たずは死ね」という意味です。そして国会では、重度障害者の生存に必要な治療の停止に道を開きかねない「尊厳死」法案の準備が進められていました。

 私が20代の頃の日本は、「皆が中流意識を持っている格差が少ない社会」と言われ、退屈でも平凡な生活が保障されていました。今の20代はどうかといえば、生まれた時からこの国の経済は不調と言われ(今振り返れば、安全で良い国であったと思いますが)、終身雇用も崩れ去り、平凡な人生を望むとしても、どこに向かって努力したらいいのかわからなくて、価値観が定まらず、心が揺れている若者が大勢います。うちの子にしても、明らかに私が過ごした20代の頃とは違います。未来の厳しさをじっと見つめています。

 そこにもってきて、「働けず介護が必要な者に対する社会保障費の増大が国の経済を揺るがして、若い世代の負担が増大する」という政治家や有識者のコメント。私は「また言ってる」程度に思っていましたが、若者の不安はあおり立てられるばかり。

 容疑者の顔とが子の顔とが、二重に脳裏に浮かんできてしまうのを、何度もかき消しました。容疑者と同じ時代の空気を吸っているうちの子も「口先だけの政治家にはできないこと」を率先してやってしまうかもしれない。

 実は、国家安全保障について持論を展開する息子とは、昨年の今頃、よく激しい議論になりました。「国を守るためにできるだけのことをしたい。今のままでは日本はダメになる」という息子の強い危機感と意思は、あの容疑者の手紙に散らばる「日本国と世界のため 」「全人類の為に必要不可欠であるつらい決断をする時」などという文言からも読み取れるもの。

 その手段はまったく違っているとしても、どちらの母も、「お前たちを産んだのは、国にささげるためでもないし、まして、国のために人をあやめさせるためでもない」のです。

障害者や高齢者への侮蔑発言 認めない社会へ

 希望を失った若者の心に、暗黒の闇を生み出してしまった責任は、彼らの貧困を障害者や高齢弱者のせいにして、平然と公言してきた人びとにもあります。

 かろうじて、発言の自由は認められている国なので、何を言っても罰せられることはありません。だから、当事者にとってひどく侮蔑的な言葉も、「差別とは思わなかった」と言えば、なあなあで許してもらえてきたし、「考え方の違いだから人の勝手でしょ」というようなものもあるでしょう。でも、こんな犯罪が起きてしまった以上、差別主義者は口を慎むことです。

 一人ひとりが、自分の内面に目を向けて、差別の芽を摘み取る。そして、差別は「国民レベルで」許さないことが急務であると考えます(実は「国民レベルで」、っていう言い回しは嫌いです)。生存の価値を物差しで測って、生きていい人とそうでない人の間に線引きをするような言動は厳しくとがめ、絶対に認めない態度を示していきたいものです。特に、社会的地位のある人の言動は、すべての人の尊さを認める倫理的なものであってほしい。

 国は再発防止策として、隔離強化を考えているようですが、そもそも健常者と障害者を分け隔てる、義務教育のあり方を大きく変えていかなければ、抜本的な対策とは言えず、DPI(障害者インターナショナル日本会議)等の関係者と学識経験者とで政策提言に向けて、調整を始めようとしています。私もそこに関わって、意思疎通ができない重度障害者の思いを盛り込んでいきたいと考えています。

 そして、容疑者と同世代の息子を持つ母親として、子どもたちには、みんなで支えあって生きていけば、未来の希望につながることを信じてもらいたい。困っている人には、素直な気持ちで手を差し伸べ、自分が困った時には安心して「助けて」と言えるような暮らしをしてほしいです。

 この事件は、健常者の生き難さにも真摯しんしに向き合ってこなかった日本社会に、深い反省を投げかけているのではないでしょうか。いわば福祉的支援が必要な者は障害者以外にもたくさんいるわけですから、彼らの困難に気づき、寄り添うことによって、優生思想の温床を絶やしていくことが、もっとも有効な再発防止策ではないでしょうか。

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【略歴】

川口 有美子(かわぐち・ゆみこ) 日本ALS協会理事、訪問介護事業所「ケアサポート モモ」代表取締役、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長

 1995年に母がALSを発症。96年から在宅人工呼吸療法を開始。家族介護の辛酸を()めつくし、一大決心して03年訪問介護事業を開始。介護のアウトソーシングを始めました。翌年にはNPO法人も立ち上げて現在に至っています。自らの体験からALSの家族の選択と葛藤を描いた『逝かない身体』(医学書院)で2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2013年2月立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。2014年1月博士論文(改稿)「生存の技法 ALSの人工呼吸療法をめぐる葛藤」で河上肇賞奨励賞受賞。

 座右の銘は「信じる者は救われる」。趣味は終末期および人工呼吸器ユーザーで全身麻痺の人の独り暮らしコンサルタント。この人たちが働ける限り働いて燃え尽きるように亡くなっていくのを観戦しつつ、都会の片隅でワインと3匹の猫と暮らしています。

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