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がんサバイバーの立場から 桜井なおみ

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【相模原殺傷事件】「個」の追及ではなく、「モト」を考える社会が必要 ~歴史を繰り返さないために~

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テーマ:緊急特集「相模原殺傷事件 私はこう考える」

 まず初めに、この件で被害にあわれた皆さま、ご家族、そして、全ての関係者に対して心からお悔やみ申し上げます。

 今回のニュースをはじめて知ったとき、ショックで言葉を失いました。でも、しばらくしてから、言葉を失ってはいけないのだと思いました。言葉を出さなければならないのだと思いました。また、今回の一件での情報提供の仕方についても、「身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者を含む」と、それぞれ、その原因や治療方法、生きづらさの深さや範囲、その法制度をめぐる社会背景や経緯も大きく異なること、この違いやこれまでの歴史についてもぜひ、情報提供してくださるようお願いしたいと思っています(この文章は8月10日時点での情報をもとにして書いています)。

 私は、この一連のニュースを、次の三つの視点から考えてみたいと思います。

1)なぜこんな人里はなれた場所に皆で住んでいるのか

2)なぜ繰り返し類似の事件が起きるのか

3)この後、どのような政策や制度が生まれるのか

1)なぜこんな人里はなれた場所に皆で住んでいるのか

 私は、2004年7月に、がんの診断を受けました。人生を自分の意思で決めてきた私にとって、30代、自分の意思では「コントロールできない病」の診断は、本当にショックな出来事でした。

 2005年6月、ようやく体調が戻りつつあるとき、ある障害者施設へ毎週ボランティアに行き、4年間ほど学ばせてもらいました。

 よく、がんは心の病といわれています。薬物療法の影響も加わり、自分が「うつ状態」という心の病を抱えるようになってから、「心の仕組みを知りたい」という気持ちがわきました。そして、心理学の勉強をはじめたのが、精神、知的障害者施設でのボランティア活動を始めた動機でした。

 ボランティア先は、精神科病院の通所施設と、いわゆる重度~最重度知的障害者の「入所施設」でした。

 通所施設では、同じ年齢ぐらいの女の子の腕にリストカットの痕がたくさんあったことを見て驚きました。5年相対生存率60%と言われたがんという病を得て、私は「死にたくない」と思った。でも、その一方で「死にたい」と思う人がいる――。学問では、リストカットは、「心の痛みを可視化したり、ストレス解消のために行ったりする例が60~80%」と教えられていても、実際に見たときには、本当に心が痛かったです。

 他にも、様々な利用者さんがいましたが、私が感じたのは「心が優しくて、繊細な人ばかり」ということでした。「カッコーの巣の上で(原題: One Flew Over the Cuckoo’s Nest)」という映画をみて感じた感覚でした。

 重度~最重度の利用者さんには、気分転換として屋外での散歩などの手伝いをしました。日の光に目を細める人もいれば、香りにも触覚にも無反応な人もいます。初めて接したときは、「それでも生きているんだ」と驚きの目で見ていた気がします。また、介護の状態はとてもよく、いい意味で「至れり尽くせり」の状態でしたので、逆に私は、「この人の意思決定はどこにあるのだろう?」とも、正直、感じました。

 でも、半年ぐらい一緒に活動をしていると、口角が上がったり、眉がピクリと動いたり、小指が動いたりする。嫌なときは嫌。そんな小さな変化がわかり、自分も見逃さないようになってきました。

 「そうか、表現をする『器』がないだけで、自分らしく生きてるんじゃん!」

 このことに気が付いたときの感動は、今でも忘れられません。

 まだ背景がよく分かりませんが、今回の容疑者も最初は何かの気持ちがあって「介護職」に携わったわけで、どこから心の (ゆが) みが大きくなっていったのか、誰も彼に支援をしなかったのか、といった点も、介護職の現場を考える上で大切だと思っています。

 ボランティアを続ける中で私がとても不思議に思ったのは、その施設が町からとても遠い場所にあったということです。駅からはバスで40分以上。周辺には、高齢者施設や障害者支援ホーム、福祉園、特別養護老人ホームなどが、半径2km程度の中に点在していました。

 「なぜ、このような地域社会から隔離されたような場所に住まなければならないの?」。素朴な疑問でした。バスの本数も朝と夕方に集中し、昼間は2時間に1本程度です。「これは、現代社会の隔離施設なんじゃないか?」。シンプルにそう思いました。

 ハンセン病の歴史に、「無らい県運動」という (かな) しい歴史があります。これは、1930年代(昭和5年以降)の日本で、ハンセン病患者を摘発し、施設に強制収容させて、県内からハンセン病をなくそう、という目的で行われた「市民運動」です。何か、これと同じような違和感がしたのです。

 結局、日本人は「忌み嫌うもの、異形や異論には蓋をして排除する」という根本思想から抜けきれていないような気がしています。私も含め、人は、知らず知らずに地域や、自分の心の中に様々な「 (ろう) 」を作っているのではないでしょうか。

 そして、「牢」を解く鍵は知識だと思っています。ですから、今回の件から社会が多くの知識を得ることが大切です。

2)なぜ繰り返し類似の事件が起きるのか

 日本の近代史において、精神、知的領域の政策は、常に社会的事件とともに変えられてきました。政策が差別を生み出し、情報が偏見を植え付けてきた。そして、一度しみ込んだ偏見はなかなか取り除くことができません。

 明治33年、日本には「精神病者監護法」という法律がありました。この精神障害者政策は、「社会の治安を守るために精神病者を監禁する」もので、「私宅監置」、つまり自宅に「牢」を設け、家の中に精神障害者を隠ぺいすることを認めた法律です。もちろん、施設が圧倒的に足りなかったという背景もありますが、この法制は大正8年まで続きました。その後も、精神病院法、精神衛生法など、様々な法制度や特例が考えられてきましたが、これらの法制度は、「社会防衛、看護の負担軽減」という視点から出てきています。

 昭和39年(1964年)にはライシャワーは駐日大使が、当時19歳だった統合失調症の患者にナイフで刺された「ライシャワー事件」が起き、これをきっかけに、今回、問題になっている措置入院制度などが設けられました。

 この後も、昭和59年(1984年)には、宇都宮市にある精神科病院報徳会宇都宮病院で、看護職員や古参患者らが暴行を加えて患者が亡くなる「宇都宮病院事件」が起きました。この事件の内容はその後のルポルタージュでは、「3年間で200人以上の患者の不審死、ベッド数920床に対して948人が入院」といった状況が明らかになり、日本の精神医療の実情、人権侵害の問題に対して国際的にも非難がおき、世界保健機関(WHO)からの勧告もありました。当時、私は確実に同時代を生きていたはずなのですが、全く事件の記憶がなく、いま、無関心だった自分を恥じています。

 平成13年(2001年)には「大阪教育大学付属池田小学校児童殺害事件」が起きました。出刃包丁を持った男が校内に侵入し、児童や教員23名を殺傷したという事件です。逮捕当初、犯人は精神障害者を装った言動をとっていたこともあり、触法精神障害者(犯罪を起こしても、善悪の判断ができないと認められる心神喪失者は、刑事責任を問うことができない)の処遇に対して議論がおきました。結局、精神鑑定で精神障害は認められず、2004年に死刑は執行されました。

 このように、精神、知的障害に関しては、「事件→制度改正→事件→制度改正…」が繰り返されているのです。

 なぜ同じような事件が、繰り返されるのでしょうか?

 私は社会のストレスがこうした事件の背景に潜んでいると思っています。私たちには感じないような微妙な社会の気配や変化、緊張感、仕事の評価などを含めた優生思想、排他主義。そうした社会の空気を敏感に感じて、行動してしまう人がいる、出てくる。

 もちろん、だからといって、容疑者の罪を擁護する気は私にはありません。ただ、いったい「いつ、どこで、なぜ」、彼が「障害者なんかいなくていい」という優生思想を得るに至ったのかということを、私たちは考える必要があると思っています。

3)この後、どのような政策や制度が生まれるのか

 このような精神・知的にかかわる法制度の成り立ちの背景を考えると、この後に何が生まれるのかということを考えなければなりません。少しずつ、事件の原因や背景要因も調査が進んでくるでしょう。こうした事件を繰り返さないためにも、それをきちんと知っておきたいと思います。

・障がい者施設の警備はもっと厳重にすべき、もっと隔離すべき

・精神障害者は凶悪犯罪を起こすから措置入院の期間を延ばすべき、拘束すべき

・職員の適性検査や研修をすべき、給与や人員を増強して良い人材を確保すべき

 いろいろな意見がでてくるでしょう。しかし、社会に問われるのは、「今後、この事件の原因を何に置いて、どう解くのか?」ということではないでしょうか?

 「薬物をしていたから」という犯人自身の「個」に原因を求めても、何も解決はしません。社会の何に原因があったのかを探ること、これが再びこのような事件を起こさないために考えるべきことです。彼のこれまでの生活史や病歴、家族背景だけに絞るのではなく、何が本当の原因なのかを考える必要があるのではないでしょうか? 「なぜ薬物に手を出したのか?」「なぜ薬物に手が届いたのか?」といった視点からの調査と解決も大切だと思います。

 私は、匿名報道の中でも、被害に遭われた一人ひとりが、どのような人であったのか、何が好きで、どんな幸せがあったのか、そうしたことに思いをはせたいと思っています。知的障害者19名ではなく、一人ひとりに人生があったのです。そして、今なお治療を受けられている26名の方の、心身の回復を心からお祈りしています。ご家族の心痛を考えると、本当に、心がつぶれそうになります。私たちは日本の精神、知的障害者の近代史をもういちど振り返り、歴史を繰り返さないよう、「何が原因なのか」を広い視点から国民全員で考える必要があります。

桜井写真_400

【略歴】

 桜井なおみ(さくらい・なおみ) キャンサー・ソリューションズ株式会社代表取締役社長

 1967年、東京都生まれ。乳幼児期は公民権運動真っ盛りのアメリカで成長。大学で都市計画を学んだ後、再開発などの都市計画事業や環境学習などに従事。2004年夏、30代でがんの診断を受けた後は自らの病気体験や社会経験を生かした働く世代のがん患者・家族の支援活動を開始、現在に至る。社会福祉士、技術士、産業カウンセラー。編著書に『がんと一緒に働こう』『がん経験者のための就活ブック』(ともに合同出版)などがある。

 趣味はおもちゃ集めとランニング、音楽。ランニングは1か月150キロを走る。グラムロックやハードロックをこよなく愛し、いつの日かフレディ・マーキュリーのお墓参りをする計画。外交的に見えて実は内向的という典型的な水瓶みずがめ座。

 旦那と愛犬(名:爺次じいじ)、愛亀(名:平次)と暮らしています。

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 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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