文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

がん患者や高齢者を在宅で診る立場から 新城拓也

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【相模原殺傷事件】引き裂かれた安全な場所

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

テーマ:緊急特集「相模原殺傷事件、私はこう考える」

 神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で入所者が次々に殺傷された事件の報道を日々注視しておりました。まず、亡くなった方々の冥福をお祈りします。そして残されたご遺族、施設の人たち、職員の方々に心からお悔やみを申し上げます。

人はホッとできる瞬間があればそこを「居場所」にする

 

 私の心にはこの事件について二つのことが強烈に印象付けられました。私への戒めとそして、追悼の意味を込めて、感じたことを書こうと思います。

 まず一つ目は、犯行に及んだ彼は、人々の「安全」な場所を、狂気と凶器で短時間のうちに引き裂いてしまったということです。

 私にとっての「安全」な場所は、家族と暮らす場所です。毎晩、家に帰ると3人の息子が居間でくつろいでいます。テレビを見ている子、スマートフォンで動画を見続けている子、ゲームをしている子、時には一緒に、時には思い思いそれぞれに過ごしています。何かをきっかけに笑い合ったり、何かをきっかけにゲーム機の取り合いになりケンカになったり、 微笑(ほほえ) ましくも騒々しい時間が過ぎていきます。しばらくすると、妻が夕食を準備し、僕と子供たちで支度をします。食事時も思い思いの話をそれぞれがして、何の目的も何の意味もない会話が続きます。

 それでも、行儀が悪かったり、つまらないもめ事を続けたりしていれば、僕は親として子供たちを叱らなくてはなりません。また、勉強しろだの、スマートフォンを部屋に持って行くなだの、風呂にさっさと入れだの言わなくてはなりません。子供たちもくつろぎの中にも、緊張もあり、快の中にも不快もあります。僕も含めて家族のそれぞれは100%自分の思い通りにはなりません。家族とはいえ、人と共同生活するというのは、そういうことです。僕もこの原稿を書き始めるのに、子供たちが寝静まり落ち着いた時間と静寂が訪れるまで、待たなくてはなりません。

 そして、毎日家族それぞれは外で活動し、やがてこの家に帰ってきます。なぜなら、家族の一人一人はこの家に「安全」を感じているからです。家族や夫婦なら愛情が基礎になり、より強固で「安全」な生活を組み上げようとするでしょう。しかし、そこにいる人同士に愛情がなくとも、人は自分の居場所にほんの少しでも「安全」を感じることができれば、そこに望んで居続けます。

 私が医師になって目撃してきた場所は、「安全」な場所ばかりではありません。例えば、東日本大震災後の避難所、精神病院の閉鎖病棟の個室、アルコール依存症の親と暮らす家庭。生きる上で不自由な場所で暮らさざるを得ない人々を私は見てきました。

 しかし、そういった過酷な状況にあっても、人は緊張の中にも「安全」また「安心」をほんの少しでも感じることができるように工夫して過ごしています。たとえ、他人から見れば意味のない「安全」であっても、生き延びるために大切な「安全」を作り出し、守り続けようとする人を私はたくさん見てきました。

 在宅医療の現場でも、そのような人たちにたくさん出会ってきました。私が関わる人たちは、病気を抱えながらも自分たちの暮らしと営みを続けています。認知症同士の夫婦、間もなく死を迎えるであろう夫を看病する妻、定職のない独身の子供を養い続けている高齢者夫婦、独り残されほとんどまともな食事をしていない男性。

 そのような過酷な状況に生きていても、そこに暮らす人たちは現実の生活から逃げ出すことはできません。そして時間が () つにつれて、日常の生活の流れはでき、そしてそれぞれに「安全」を感じるようになっていくのだと、私は経験的に感じています。どんな場所でも、帰ってきたらホッとできる瞬間があること、このホッとできることが「安全」を感じる瞬間なのだろうと思います。

 障害者福祉施設で暮らす人たちも、快、不快を感じながらもそこが「安全」な場所であるという確信があるからこそ、生きていけるのだと思います。そこで暮らす人たちにとって、家族の訪問は (うれ) しく、その施設に暮らす他の人たちとの交流が楽しいこともあるでしょう。長い時間をかけて関係を作り上げてきた職員のケアに安心する時もあるでしょう。

 一方で、気の合わない職員が自分の担当になった時は不快を感じ、また自分の伝えたいこと、例えばベッドに横になっているがちょっとだけ身体をずらしてほしいのを分かってもらえない時などは、不快を感じることでしょう。どんな場所に生きる人たちにとっても、こうして快と不快が巡り巡りながら時間が過ぎていきます。そして、その時間の中で自分が「安全」な場所に暮らしているという確信が、生きる根源になるのではないかと私は考えています。

 相模原市で障害者を次々に殺傷した事件の犯人は、人の命と、そして「安全」な場所を、わずかな時間で引き裂いていきました。私が恐怖を感じ、そして動揺するのは、「どんなに安全な場所も一瞬で引き裂かれてしまう」ことを目の当たりにしたからだと思います。

 この事件は、私の大切にしている「安全」な場所をどうしたら守れるのかを考える機会になりました。ある日突然他人にこの「安全」な場所を引き裂かれそうになった時、一体どうやって守ればいいのかと思うと 暗澹(あんたん) たる気持ちになります。そして、私が関わる大切な人たちの「安全」な場所を、医師である自分がどうしたら守れるのか考え込んでしまいました。

もしかして、私にも他者の「安全」を壊す「傲慢」が

 

 二つ目は、もしかしたら私の心の中にも、凶行に及んだ彼と同質なものがあるのではないかと意識したことです。

 彼は、「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界のためと思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります」、「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」という信念を持っていたと報道されています。彼から見れば、不自由に暮らす人たち、そして家族、職員が不快を感じ続けていると考えているのです。

 私は、医師として関わる人たちに、医療の面からいろいろな指導、助言をしています。病気をもって生きていく上で必要な知恵や工夫、他の病者から学んだことを伝えることもあります。

 しかし、困難な暮らしの中にいる人たちの一人一人をなんとか助けたい、その暮らしの不自由さ、不便さから解放してあげたいと思うあまり、傲慢な言動をしていたのではないかと省みるに至ったのです。

 認知症同士の夫婦には、「もう二人で生きていくよりも、お子さんと同居した方が良い」と。

 間もなく死を迎えるであろう夫を看病する妻には、「亡くなることはもう約束されたことです。今のうちに思い出になるようなことをいっぱいしてください」と。

 定職のない独身の子供を養い続けている高齢者夫婦には、「お子さんを仕事に就かせるために、職業安定所に行った方が良い」と。

 独り残され、ほとんどまともな食事をしていない男性には、「独り暮らしは諦めて、高齢者マンションに入居してもっと栄養のある食事、他人の介護を受けた方が良い」とか話してしまったことを思い出したのです。

 私だって、病者が不自由で不便で、そして楽しみ、快楽のない暮らしを送っていることに、意味がないと感じているのではないだろうか。だからこそ、傲慢な言動をしてしまったのではないだろうかと思ったのです。

 他人にとって一見無意味で不自由な場所であっても、そこで「安全」を感じて生き延びている人たちの場所を侵し、引き裂くことは、やってはならないことなのです。凶行に及んだ彼の狂気と、私の中にある傲慢には、通ずるものがないだろうかと自問自答しています。

 私は、この事件を対岸の火事と考えることはできません。彼が引き裂いたのは、「津久井やまゆり園」だけではなく、私の守りたい「安全」な場所なのです。この事件を通じて、私も変わらなくてはなりません。困難な暮らしの中にいる人たちにとって良き援助者であるためには、彼らの「安全」な場所を守りながら、その上で、生活を少しでも向上させる力と知恵を持たなくてはならないのです。

 この事件を通じて、私は医師としてさらに成長しなくてはならないという思いを新たにしています。

【略歴】

shin_01_200

新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。日本緩和医療学会理事、同学会誌編集長。共編著に『エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』『続・エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』(ともに南江堂)、『3ステップ実践緩和ケア』(青海社)、単著に『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)など著書多数。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

さよなら・その2-2-300-300シャドー

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~の一覧を見る

がん患者や高齢者を在宅で診る立場から 新城拓也

最新記事