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ケアノート

コラム

[福永裕美子さん]落馬事故の夫、回復信じ

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毎日リハビリ、朝から晩まで

[福永裕美子さん]落馬事故の夫、回復信じ

「元に戻りたいという本人の意思がなければ続けられなかったでしょう。よくやってくれました」と話す裕美子さん(左)と笑みを浮かべる洋一さん(滋賀県栗東市で)=長沖真未撮影

 競馬界で天才騎手と呼ばれた福永洋一さん(67)は1979年の落馬事故で重い脳障害を負いました。一時は命も危ない状況でしたが、不屈のリハビリの成果で今は元気に過ごしています。37年間、支え続けた妻の裕美子さん(61)は、「私にとっては、介護というよりこれが日常であり、人生。振り返ってみれば楽しかったですよ」と話します。

危篤状態

 あの時のことは、今もはっきり覚えています。知らせを聞いた時、初めは大事故だと思っていませんでした。ですが、病院に駆けつけると、医師から「危篤状態」との説明を受けました。最悪の事態だというのです。

 病院には報道陣も殺到し、記者会見も開かれました。医師は「植物状態」になる可能性をほのめかしました。私は絶対信じませんでした。夫は強運の持ち主なのだから。報道陣に聞かれても「洋ちゃんは絶対に死にません!」と答えていたそうです。私はよく覚えていませんが。

  79年3月4日。中央競馬で数々の大記録を打ち立ててきた洋一さんは、大観衆が見守る阪神競馬場(兵庫県宝塚市)でのレース中に落馬。真っ逆さまに地面にたたきつけられ、頭を強打した。舌の一部もかみ切った。命を取り留めたのは奇跡的だった。

 当時私は24歳。結婚してまだ3年で、家には2歳の長男、5か月の長女がいました。夫に両親はなく、私の母が駆けつけてくれました。私は家のことは母に任せ、集中治療室に泊まり込みました。その後も母のおかげで、自宅のある滋賀県から兵庫県内の病院まで、毎日通い続けることができました。

 しばらくして、容体は安定してきました。こちらの呼びかけにはほとんど反応しませんが、手を握り返すぐらいにはなり、簡単なリハビリも始めました。入院から1年8か月が過ぎたところで、私は退院を決意しました。家族は一緒にいた方がいいし、家で本格的なリハビリをするしかないと思いました。

 これだと思ったのが、「ドーマン法」という機能回復訓練です。人は生まれてから成長する過程で、次第に体を動かす能力を身に付けますが、これをもう一度、最初からやり直すというものです。夫のファンからだったと思いますが、頂いた本を読み、すぐに飛びつきました。

再び馬に乗る

  ドーマン法はアメリカのグレン・ドーマン博士が開発した。裕美子さんは洋一さんを連れて81年に渡米。ドーマン博士の研究所で診察を受け、帰国後、訓練を始めた。

 起きている間はずっと訓練でした。手足をバタバタさせたり、ハイハイのように腹ばいで全身を使って前に進ませたりと、赤ちゃんがするような運動を日々繰り返させます。また、脳の血管を太くするため、マスクを使った呼吸の訓練もしました。

 自宅は改造し、つかまり歩きの訓練をするために 雲梯うんてい のような器具などを設置しました。費用は中央競馬会も負担しました。夫には騎手クラブの共済組合からの休業見舞金も支給されていました。

 母に続き、父も東京都内の実家を処分し、同居してくれました。リハビリはパートも雇い、毎日朝から晩まで4~5人がかりです。夫の表情には、やる気がみなぎっていました。結果は徐々に表れました。手足が徐々に動き始め、81年9月には、少しですが歩けるようになりました。

 次の目標は馬に乗せることでした。騎手ですから、馬に乗ればリハビリの効果も高まるはず。父が練習用の木馬を作り、またがる練習を重ねました。そして、ついに本物のサラブレッドに乗ったのです。本当にうれしくて、よくやってくれたと思いました。

「今は元気」

  洋一さんは、現在は車いすに頼ることが多い生活だが、立ち上がれるようにはなった。裕美子さんの名前を呼ぶなど、簡単な会話もできるまでになった。

 話しかけると、同じ言葉を返してきます。何かを聞けば「はい」などと答えてくれます。どこまで理解しているかは正直分かりません。ただ、トイレに行きたいときは「おしっこ」と意思表示することもあります。

 リハビリを助けてくれた父は亡くなり、最近はデイサービスの力を借りています。どうしても「痛い」などと体の不調を訴えられないので、糖尿病で入院してしまったことがありました。病気の予兆に気づけなかったのです。それからは表情の変化を読み取るよう心がけています。今はとても元気ですよ。

 事故がなかったら普通の幸せな生活があったのかもしれません。あの時の私はそこまで深くは考えず、その時その時にできる最善のことをやってきました。若かったのかもしれませんね。今後は夫とのんびり過ごし、たまには旅行にでも行ければと思っています。(聞き手・及川昭夫)

  ふくなが・ゆみこ  1955年、北海道生まれ。生まれてまもなく東京に引っ越し、調教師の叔父を通じて短大在学中に洋一さんと知り合った。76年に結婚。2人の子どものうち、長男の祐一さんは中央競馬を代表する騎手の一人。長女は理学療法士として活躍している。

  ◎取材を終えて  取材をお願いすると「よろしく」と応じた洋一さん。顔に終始浮かぶ笑みが印象的だった。生死の境をさまよい、壮絶なリハビリに耐えてきた天才騎手も、やっと平穏な日々を取り戻したようだ。何があっても回復を信じた裕美子さんの執念がなければ、この笑顔はなかっただろう。別れ際、「すばらしい奥様ですね」と話しかけると、洋一さんは「はい」とニッコリ。意味を理解したうえでの「はい」だと確信している。

 

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