木之下徹の認知症とともにより良く生きる
介護・シニア
認知症、人物の認識ができなくなる、って?
診察室で、児島良子さん(50歳)が言うのです。いつも連れ添う母親はいません。次女の良子さんだけが受診。
少し困惑した様子で、
良子さん「あのー、母は、私のこと、おねぇさん、というんです」
私「へぇー。で?」
良子さん「母には姉がいて、啓子というんです。私の伯母です」
私「へぇー。で?」
良子さん「私の名前は、って聞いても、忘れちゃって、なにも言わないんです。私のこと。もうわからなくなったのかしら」
私「へぇー。で?」
良子さん「私のこと、ときどき母の姉の啓子さん、と言い間違えるんです」
私「へぇー。で?」
良子さん「でも、私の姉の名前は、わかるんです」
私「……」
母親は次女の良子さんのことを「認識」できていないのでしょうか。「認知症が進み人物を認識できなくなる」。しばしば世間ではそういいます。はたしてそうなのでしょうか。いったいどういう意味なんでしょうか。
私の経験。
なぜそうなったかはさておいて、まずは事実と自分の認識の羅列。
手術室で麻酔されたとき、はるか遠くに光の点がみえる、長い暗いトンネルに吸い込まれるようにして意識を失いました。どのくらいの時間が経ったかは全く分かりません。意識がもどる。目の前に無影灯が。手術室にあるたくさん電球がある、あの大きな電灯。私の周りには、友達が私を囲み、みつめています。その時点では「友達」という単語は思い浮かばなかったような記憶。少なくても、私に危害を加える人々ではない。それはわかる。知り合いというか、親しいというか、親密な感触がある。初対面の緊張はない。それでも一向に彼らの名前を思いださない。それどころか、自分のことが「誰だか、わからない」のです。「なぜ、ここにいるのか」「自分はだれなのか」「そもそも自分の名前はなんなのか」。ただし、確たる自分の存在が横たわっている。それはわかる。数分もたったのか、数秒程度なのか、そういう感覚世界にいました。徐々に周りの人々が分かり、自分の名前を思いだし、自分と周りの人々との関係を思いだしていきました。
この「わからなくなる」体験。いやではなかった。仮にそこに、より親密な人がいれば、その人に向けて、より親密な感覚がよぎっただろう。そう確信できます。仮にそこに、敵意をあらわにした人がいれば、それも感覚としてわかるはず。自ら自覚できるリアルな感覚です。「つながり」の感覚。つまり、「具体的な名前や続柄を言い当てる能力は低下していても、人とのつながりを理解する力は健全」だったということです。そんなことが私の中に起こっていることは、周りからはわかりません。私から発している信号は、安心からくる「表情」のみ。
私は、認知症の人々と接する人数と時間が、診療を通じて、おそらく人よりも多い仕事についています。しばしば、良子さんのような「なげき」を耳にします。たしかに認知症になって「具体的な名前や続柄を言い当てる能力は低下する」場合があります。しかし「自分を生きる」上でより大切と思えるのは、名前や続柄そのものではありません。その人との関係性で築かれた感覚世界です。それが支えになるし、喜びも悲しみも嫌悪をも抱かせる根源です。その根源はみずみずしく生きている。そんなときに、外から頭ごなしに「認知症、人物の認識ができなくなる」と言い切られると、残念な気持ちがしませんか。
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