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イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常

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相模原殺傷事件に思う…自分が知的障害になっても、精いっぱい生きたい

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 この毎週連載のエッセーも早いもので3年目に突入しています。ヨミドクターの担当の方に「好きなことを、好きなだけ、いつまでも書いて下さい」と言われて始まった連載です。しかし、先日初めてヨミドクターの編集長が会いに来て下さり、「そろそろ終了をお願い出来ませんか」と言われました。当方が期限を決めていいということでしたので、年内で終了としました。つまり終了に向けてのカウントダウンの始まりです。今までは、その週に起こったことをヒントに医療に (つな) がる記事をいろいろと書き下ろしてきましたが、これからは終了を見据えて書いていきたいと思っています。12月23日掲載予定の原稿が最後になると思います。

判断能力の有無が焦点だが…

 また、今までは編集部の意向は一切なく自分が書きたい内容を書いてきましたが、今回初めて編集長よりお題を頂きました。先日相模原で起きた19人の殺人事件です。

 まず僕は、この事件が、「判断能力のない青年が19人の 無垢(むく) な人間を殺した」というストーリーであったことを願っています。そうであれば、措置入院とされた青年が何故退院になったのかという疑問や、今後の措置入院の在り方が焦点になります。

 困ることは、この青年に実は正常な判断能力があった場合です。そうであれば、「なぜこの青年が19人を犠牲にした戦後最悪の殺人事件を引き起こしたか」という経過を解明することが、今後の再発防止のために必要になります。裁判の経過から次第に判明するのでしょう。19人の方に知的障害があったことがひとつの動機とも伝えられています。詳細はわかりません。メディアの表面的な報道だけから推測で判断することは危険だと思っています。

 「奪われる命」と「全うする命」

 今日は我が家の会話をご紹介します。娘は12歳です。

娘「パパ、何故人を殺してはいけないの?」

僕「それは絶対的なルールだからだよ」

娘「人の命は地球よりも重いとか、人権があるからじゃないの?」

僕「そんなことを言うと例外が生まれるよね。人を殺してはいけないというのは現代社会での理屈抜きのルールなんだよ」

娘「シリアで拘束された日本人に日本政府は身代金を払わなかったよね。地球より命が重いなら払って当然でしょ。また、人権があるからと言うと、人権がないような存在になった瞬間に殺してよくなるよね」

僕「人権は生きている以上、誰にでもあるんでしょ」

娘「憲法上は、法律上は、建前上はそうだよ」

僕「でも2年前に死んだ僕たちのおばあちゃん、選挙に行っても、選挙の仕組みさえわからなかったよね。何も書けなかったね。認知症が進んで。そして、パパのこともわからなくなって、そして歩けなくなって、食べられなくなって、そして亡くなったでしょ。そんなおばあちゃんでも、死ぬまで人権はあるんだよ。でもそんな人には人権がないという人が出てきたら、おばあちゃんは殺されてもよくなっちゃうでしょ。理屈で防衛すれば、理屈で突破されかねないでしょ。人を殺してはいけないというのは理屈抜きのルールなんだよ」

娘「おばあちゃんは、最後はなにも食べられなかったね。飲むこともできなかったね。どんどんと軽くなって、最後は私より軽くなって、そして女神のようになって亡くなったよね。わたし、死んだおばあちゃんのそばで一晩一緒に寝たんだよ」

僕「そうだね。おばあちゃんに点滴すれば、胃にチューブを入れて栄養を与えれば、まだまだ生きていたよ。点滴もチューブも入れないと決めたのは、おばあゃんとの生前の約束だけど、でもそれを無視して点滴すれば長生きした訳だから、パパは殺人者かな?」

娘「まったくわからないおばあちゃんに 丁度(ちょうど) お迎えが来たんだよ」

僕「パパが同じように、自分が自分とわからなくなって、そして食べられなくなったら、ばあちゃんと同じように天国に送ってね。約束だよ」

 認知症で知的障害者になる可能性も

 僕は想像力が大切だと思っています。今健康であっても、いつ自分に、身体的または知的障害が訪れるかもしれません。人はだれでも、いつでも、事故や病気で障害を持つ身になります。だからこそ、助け合って生きていくのだと思っています。パラリンピックで頑張っている障害者も格好いいし、自分の障害を背負って精一杯生きている障害者も格好いいと思います。

 もっとも頻度が高い障害は、知的障害だと思っています。それは、認知症で知的障害になるからです。だれもが僕たちの母のようになる可能性があります。特に僕は直接の血縁関係だから、なおさらです。

 「自分が知的障害になっても、僕は精一杯に生きたい。そして世の中に助けてもらいたい。でも、自分が自分とわからなくなったら、僕は母のところに送ってもらいたい。潔くお迎えを受け入れたい」

 僕は、そう願っています。

 急な事故や病気で、自分が自分だとわからない時は少なからずあります。そんな時には家族は 奇蹟(きせき) を祈ります。当然です。在宅の往診に行くと、そんな家庭にも遭遇します。家族が奇蹟を祈っている間は、精一杯社会が助け続けるべきだと思います。でも、家族もあきらめて、そして医療もあきらめたら、その時がお迎えの時かも知れません。

 メディアの表面的な報道を信じるのではなく、ぜひ障害者施設でボランティアを行ってもらいたいのです。精一杯に生きている人と一緒にいると、こちらももっと真剣に生きなければと思い知らされます。そして重度の知的障害施設のボランティアにも、ぜひ赴いてもらいたいし、メディアにもそんな施設のドキュメンタリーなども逃げずに制作してもらいたいのです。いろいろな現実を知らなければ物事を正しく判断できないと思っています。

 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

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知りたい!_20131107イグ・ノベーベル賞 新見正則さん(1)写真01

新見正則(にいみ まさのり)

 帝京大医学部准教授

 1959年、京都生まれ。85年、慶応義塾大医学部卒業。93年から英国オックスフォード大に留学し、98年から帝京大医学部外科。専門は血管外科、移植免疫学、東洋医学、スポーツ医学など幅広い。2013年9月に、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞受賞。主な著書に「死ぬならボケずにガンがいい」 (新潮社)、「患者必読 医者の僕がやっとわかったこと」 (朝日新聞出版社)、「誰でもぴんぴん生きられる―健康のカギを握る『レジリエンス』とは何か?」 (サンマーク出版)、「西洋医がすすめる漢方」 (新潮選書)など。トライアスロンに挑むスポーツマンでもある。

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