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性とパートナーシップ

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栗原康さんインタビュー(2)いざとなったら何とかなる。やっちまえ!…大杉栄と伊藤野枝の生き方から

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yomidr_kurihara_01L ――前回までに、伊藤野枝と大杉栄の恋愛観・セックス観についてお聞きしました。人は一つにはなれないからこそ、互いに優しさを振る舞い合い、一人では味わえない喜びで互いの人生を広げていくという関係ですね。現代の性やパートナーシップの悩みは、その思想からかけ離れているように感じます。そもそも、目の前の相手の反応を見るのではなく、アダルトビデオ(AV)やポルノ雑誌から仕入れた知識を生身の人間に投影しているという一方的な形になっているところから、すれ違いが起きているような気がします。

 「AVをセックスの尺度にしているのは、圧倒的な勘違いだと思います。完全に女子を商品と見なしているわけですからね。男だけが気持ち良くなるという発想で作っていますから。考えてみると、高校生の時の会話はそういう内容が多かったかもしれません。未経験者がたくさんいる中で、経験した男子が出てきて、『しゃぶらせてやったぜ』と自慢したり。要するにAVなどを見て、そこで行われていることをなぞるのがセックスだと思っているわけです。大杉や野枝は恋愛やセックスに尺度がなかった。しかし、現代のセックスは、AVによって男ベースで尺度ができていると思います。そのあたりを女子も男子も突破していかなければならない。案外、女子でも男に合わせてしまう子がいますけれども、合わせる必要はないわけです。それで振られるようだったら、そんな男子はいらないわけですしね」

 ――目の前にいる相手の反応を見て、コミュニケーションを取りながら何が気持ちいいのか探り合っていくということはそんなに難しいことでしょうか?

 「本当はそれが大事ですよね。僕はセックスの専門家でも何でもないのですけれども(笑)、セックスで一番大事なのは、本当の意味で素っ裸になるということだと思います。今、目の前にいる相手に対して、それまで持っているセックスのイメージは通用しないと思った方がいい。極端な例かもしれませんが、性的な快楽が好きではない人もいて、そんな人に無理して行ったらレイプですからね。過去の相手に快楽に導く方法を教わったとしても、新しい人とつきあえばそんなものは通用しない。身分も肩書もそうですし、自分の経験も一回すべてが崩れ去るのが恋であり、セックスです。そして、それができるところがいいところなのかもしれません。AV男優が本当のところ、すべての女子に対して上手なわけではないのですから。若い頃にAVを見て、男優の加藤鷹さんが潮を吹かせる技はすごいなと思っていたのですが、自分の目の前にいる女性が実際にそれをされて気持ちいいわけでもないでしょうからね。本当は痛いだけかもしれません」

 ――野枝は大杉と恋に落ちて7年で28歳の時に、大杉は38歳の時に、憲兵に殺されます。歴史に「もし」はありませんが、もし長く一緒にいたら、互いに飽きたかもしれませんし、性欲も薄れたかもしれません。2人のパートナーシップ、時がたつにつれて、変わっていく可能性はあったでしょうか?

 「あったと思いますね。よく想像するのは、野枝の方が大杉を捨てて、ほかの男に走ったかもしれないという可能性です。でも、野枝の方は既に『恋愛関係のベースは友情だ』と言い始めていましたから、性的な関係がなくなったとしても、お互いの個性と個性を高め合っていくという関係は続いていたかもしれません。野枝は文章を書いたり、いろんなことを知ったりするのが好きだったので、自分の勉強や思想をもっと膨らませてくれる存在としても大杉のことが大事だった。だから、友人や同志として話をする関係は続いたんじゃないかと思います」

 ――2人だけで関係が閉じているわけではないところも、自由な家族形態の可能性を感じさせますね。

 「2人だけで家庭を作っているのではないんですよね。大杉を慕って集まってきた若いアナキスト、要するに怪しいごろつきがたくさん住み着いているところが面白い。彼らが九州に行ったり、大阪に行ったりして、2人の知らない知識をばんばん仕入れてきてくれる。有象無象が入れ替わり立ち替わり出入りすることで、野枝にとっては、自分だけで知りようのないことを得ることもできたでしょうし、子育てをその人たちがやってくれたりもしました。その間、本を読んだり書いたりすることもできたんですね。もちろん、子育てを手伝ってくれる代わりに、ご飯を作ってあげたりはしました。野枝と大杉が長生きしていたら、そういう新しい生き方や家族像をもっともっと見せてくれていたのかもしれない」

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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1件 のコメント

奴隷に頼る哀れ

さるすべり

「不満や不安を抱えたまま、家庭や会社、これまでの人間関係の 檻 の中にいて、自分をゆっくり殺していくような生き方をしている人はとても多いのではな...

「不満や不安を抱えたまま、家庭や会社、これまでの人間関係の 檻 の中にいて、自分をゆっくり殺していくような生き方をしている人はとても多いのではないか」
ほんとにそう思います。
私は小中学生のころ、母を見ていて「まるで夫の奴隷だ」と感じていました。
・・・と、入力してふと、そう感じた私は、女が夫の奴隷であるべきではない、と感じていたのだろう、すなわち男女平等思想を持っていたのだろうと思い当たり、その平等思想はどこから来たのかな、と・・・。
明治生まれの祖母が女丈夫とういか、とてもたくましいしっかりした人で、祖母の影響が強かったのかもしれません。また、私の受けた教育が民主的だったのかもしれません。
私の母当人は、昭和4年生まれで「三従四徳」や「内助の功」を仕込む教育を受けた時代の人です。3年前に他界しました。振り返れば、母は、自己中心でわがまま放題の夫の妻として戦い続けて戦死したのだと思います。
はからずも残ってしまった老父の処遇に、頭を痛めている毎日です。

自立というのは経済面以上に精神面が重要です。
自立して自分で考え自分で決めることが許されない人生を歩いてきた人は、自立しようとする他者を排除して自分と同じ檻に閉じ込めようとする、これが世代間の対立を生んでいます。
自立できない不幸は女性だけではありません。妻という名の奴隷なしでは日常生活を送れない男たちの末路は哀れです。
社会的な地位がある、立派な仕事をしている、収入が多い、そういった評価以前に、自分で衣食住の雑用をこなし一人で無事に日常生活ができる、これが、ヒトとして一番初歩的で大切なことだと思います。
自立したヒト同志のつながりがホンモノ。
家庭だけでなく企業も同じではないでしょうか。
給料のための奴隷としてではなく自立したヒトとして働きたいと思える企業、って、あるのかしら?

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