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佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」

医療・健康・介護のコラム

植松容疑者はそもそも精神疾患なのか?

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植松容疑者はそもそも精神疾患なのか?

事件発生から1週間。この日も多くの人が津久井やまゆり園前の献花台で手を合わせた(2016年8月2日午後2時30分)」

 2016年7月26日未明、相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が死亡、26人が重軽傷を負う殺傷事件が発生した。逮捕された植松聖容疑者は、精神疾患のために危険思想にとりつかれ、凶行に及んだかのように一部では語られている。そのため、事件前に植松容疑者の強制入院(措置入院)を短期間で解除する判断をした大学病院や担当医にも、非難の声が浴びせられている。

 だが、我々は根本的な部分から冷静に見直す必要がある。「植松容疑者は本当に精神疾患だったのか」と。

 「ヒトラーのような危険な考えを抱くこと=精神疾患」ではない。精神疾患は通常、脳機能の一部に病的な変化が起こって生じるものと考えられるが、障害者蔑視などのゆがんだ考えは、病気の有無とは関係なく生じるものだからだ。「殺人行為=精神疾患」でもない。世界各地を恐怖におとしめているテロリストは、著しくゆがんだ考えに基づいて一般市民を殺傷する。だからといって、それだけで精神疾患とは言えない。

 植松容疑者は、大量殺人をほのめかす言動と、血液・尿検査での大麻陽性反応があり、措置入院となった。だが、診察した2人の精神保健指定医(緊急措置入院を入れると3人)の診断名は、全て異なっていた。薬物の影響に詳しい専門家は「大麻の使用で思考までゆがむとは考えにくい」としている。危険ドラッグの使用歴を指摘する声も気になるが、事件との関連はまだはっきりしない。

 憲法で保障された人身の自由を制限する措置入院は、精神疾患のために自分や他人を傷つける恐れが生じ、治療が欠かせない場合に限って認められる。だが、前回の光トポグラフィー検査の記事でも指摘したように、精神科には精神疾患か否かを正確に判断する検査機器はなく、病名は症状を踏まえた医師の判断で決まる。そのため、医師の 恣意しい 的な考えが入り込む余地がある。もし、2人の精神保健指定医が「この人物は殺人を犯しかねない危険な発言が目立つので、このまま社会に置いておけない」と社会防衛的に考えれば、本当に精神疾患なのかどうかはともかく、ひとまず妄想性障害などの病名をつけて措置入院を実行できる。

 ただし、措置入院は症状が治まればただちに解除しなければならない。植松容疑者は医師を欺くため、危険な考えが治まったかのように振る舞ったと伝えられている。深刻な病的妄想が続いていれば、冷静な演技は難しい。担当医が演技の可能性を感じていたのかどうかは分からないが、いずれにしても措置入院を継続するほどの症状はなくなったとみて、精神保健福祉法に基づき、通常どおりの解除を行ったのではないか。

危険思想は精神科では治せない

 植松容疑者が措置入院した大学病院は、以前から精神科医の面接力向上などの教育に力を入れていた。精神科教授自らが、患者の協力を得て定期的に模擬面接を行い、それを医局員に見せて内容を評価させる斬新な取り組みも進めてきた。そのような病院だからこそ、患者の症状と人権を考慮して、迅速な措置解除に踏み切った側面もあるのかもしれない。

 精神科は、精神疾患とそれに伴う病的妄想などを治す場所であり、病気の影響とはいえない危険思想までも改めさせる場所ではない。大量殺人を予告していた人物に、もう一歩踏み込んだ対応をしなかった警察の姿勢こそ、真っ先に検証が必要と思われるが、それは棚に上げて、精神科にヘイトクライムを止められなかった責任まで押しつけるのはいかがなものか。

 ゆがんだ正義感を募らせ、計画的な犯行に及んだかのように見える植松容疑者の心の内は、まだ闇に包まれている。それなのに、犯行の原因を精神疾患と決めつけ、他の強制入院患者までも危険視する兆候が一部に見られるのは恐ろしいことだ。横浜市で開かれた精神疾患患者らの集会で、男性患者はこう語った。

 「障害者を不必要な存在とみる植松容疑者の考えは許し難い。ですが、決して特異な考えではなく、私が実際に味わった様々な差別体験からみても、同様の考えを持っている人はたくさんいます。支援に金がかかる障害者などいらないという発想は、精神疾患患者よりもむしろ、健康な人が抱いているのではないでしょうか」

 社会に広がる深刻な差別意識からは目をそらし、事件の責任を精神疾患や精神科に押しつけて分かった気になり、解決を図ろうとする社会の在り方は到底受け入れられない。圧倒的大多数が凶悪犯罪など起こさない精神疾患患者を、不当に危険視する流れが強まり、近年著しく減っていた措置入院の数が再び増加に転じるとすれば、我々は、植松容疑者が望む障害者排除社会にまた一歩近づくことになる。

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佐藤光展(さとう・みつのぶ)

読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。趣味はマラソン(完走メダル集め)とスキューバダイビング(好きなポイントは与那国島の西崎)と城めぐり。免許は1級小型船舶操縦士、潜水士など。神戸新聞社社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から医療部。日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会などの学会や大学などで講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)など。

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