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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

脳障害で「眩しい」「眼痛」…障害者と認定されない理由

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 感覚と運動の調和を乱す、脳に起因する中枢性の 羞明(じゅうめい) や眼痛はどういう場合に起こりやすいのでしょうか。

 私の外来では最も多いのは、6月中に本コラムで取り上げた、 眼瞼(がんけん) けいれんの自覚症状 としてのものです)。

 ほかに、 頭頸(とうけい) 部外傷後遺症、化学物質過敏症、神経薬物の中毒や副作用、何らかの精神疾患が誘因や原因になっているものもみられます。

 こういう症状についての知識が乏しいために、正しい診断に至らず、異常なし、自律神経失調症、心因性疾患、詐病の疑いなどと、雑な診断をされている例をみると、同じ医師としてとてもがっかりします。

 当人は、相当に苦しみ、日常生活も普通にできない状態なのに、医学的にも社会的にも理解がないせいで、正当に評価されないからです。

 この状態では、直接視力や視野に異常が出ないので、視覚障害者と同等以上の不自由さなのに、障害者とは認定されず、障害年金もなかなか受けられません。労災保険や生命保険でも、当てはまる項目がないなどとして却下されてしまうケースをよく目にします。

 先日、私は交通外傷で視覚異常が出現し、さらに別の目的で処方された神経系薬物を使用してから、中枢性羞明が重篤になって、機能的失明といえる状態に陥った40歳代の女性が原告となっている裁判に原告側証人として出廷し、こうした症状に対する理解が医療界でも遅れ、社会的にも無視または軽視されていると述べてきました。

 刑事事件において「疑わしきは罰せず」は人権を守る観点から正しいことだと思いますが、民事では、薬物に関する限り「疑わしきは罰する」のが、文明人の妥当な判断だと思っています。

 ところで、視覚障害認定要領の留意事項に、「 開瞼(かいけん) (もとの文章は開眼となっていますが、開瞼が正式です)困難な場合の障害認定について、両眼または一眼眼瞼下垂等のため開眼が困難で、日常生活における視力が確保できないとしても、視覚障害として認定を行わないものとする」という文章があります。

 このなんとも意地の悪い文章はいったい誰がどんな理由で、いつ書いたのか調べてみましたが、この文章が成立するプロセスを明かすことはできませんでした。

 おそらく、「閉瞼しているのは故意に違いない」といった偏見から来たのでしょう。中枢神経系の異常で生じる眼瞼けいれんという病態がよく理解されていない時代、つまり、心因性や詐病だろうとして扱われていた時代の誤った常識が、医学が進歩しても全く見直されていない好例かと思われです。

一切自力で眼を開けられない、重症な眼瞼けいれんの症例でも、この文章のために視覚障害に認定されないという、患者にとって極めて不合理な状況を招いています。

 日本社会が、弱者、病者、障害者にやさしい社会であり、政治が国民ひとりひとりを大事する姿勢にあれば、このような不適当な記載はすぐにでも 反故(ほご) にするでしょうに…。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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