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性とパートナーシップ

妊娠・育児・性の悩み

栗原康さんインタビュー(1)恋愛やセックスにルールなんてない…大杉栄と伊藤野枝の生き方から

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――この連載では、「互いにかけがえのない存在と感じている相手との関係」をパートナーシップと位置づけています。例えば、婚外恋愛している相手であっても、その人こそがパートナーと思えば、そこにパートナーシップが成立しているという考えで使っています。

 「そういう定義なら、二人はパートナー。お互いにかけがえのない存在でした」

――ただ、それが相手を縛るという意味ではない。

 「そうですね。大杉と野枝は、『人というのは絶対にひとつにはなれないんだ』という発想を持っていました。結婚生活は一つの集団を作るという発想でできていますが、初めめから家の財産を守り、増やすという目的が設定されてしまうと、そこに交換可能な役割が出てきてしまう。セックスについても『ひとつになる』という言われ方が多いですが、野枝は『それは絶対に違う』と書いています。野枝を女性解放をうたう雑誌『 青鞜(せいとう) 』の編集に引き込んだ平塚らいてうは、『セックスをすることで男女は合一化できる』という発想があった人です。いわく、『絶対的な快楽を味わうことで男女はひとつに解け合っていく。そのひとつになるというイメージを持ちながら、理想的な近代家族を作っていきましょう』と。しかし、野枝は『自分の実体験からしても、そんなことはないぞ』と言い切ります。セックスについてはそれほど具体的に言及していないのですが、『男女関係のベースにあるのはむしろ友情で、まったく別々の個人が個人のままでつきあっていくことが大事なんだ』と言っています。おそらくセックスについても同じように考えていたと思うんですよね」

――栗原さんは、後世のフェミニストの言葉を援用しながら解釈されていますね。

 「田中美津さんというフェミニストが言っていたことで、僕も実感としてそうだと思うのですが、『セックスというのは優しさの肉体的な表現である。むしろ体をいくらつきあわせて一つになろうとしても、絶対に一つにはなれないということを確認する作業がセックスなのだ』と。要するに、セックスする相手はもちろん心も体も別人ですから、一つにはなれない。こういうことを言うとすごくつれないことを言っているように思えるのですが、この考えは逆に、真の友情や愛情を紡ぎ合うことにもつながるのではないかと思うんです。まったく別の人間であるからこそ、お互いが何を求めているかなんて、初めからわかるはずがない。それを心身とも素っ裸になりながら、お互い肌と肌をつきあわせて、相手がどこに快楽を求めているのか、どこが嫌なのかをその都度確認し合う。ここに快楽を覚えているとわかったら、そこに優しさをもっともっと振る舞っていこうというのがセックスなのではないかと思うのです。おそらくそれは、人によっても違うし、同じ人でも体調によっても違えば、年齢によっても違う。そういうことを1回、1回、ゼロになり、素っ裸になりながら確認し合っていくのがセックスだと思います」

 「そういう快楽って、一人では絶対に味わえないですよね。まったく別の人間が一緒にいるからこそ、肌をつきあわせて、この人と一緒にいるとこんな快楽も存在していたのかということに気づかされる。もちろん逆に、ああ、人にはこういう苦しいこともあるのかと気づかされることもあるかもしれません。例えば、人によっては、性的な快楽をそんなに求めていない人もいますよね。そういう人に優しさを振る舞うならば、こうした方がいいと自分の行動や考え方を変えなければならないこともあるでしょう。最初は苦しいと思うかもしれません。でも、やっていくうちに『こうしたら相手が喜ぶ』とわかってきて、案外それも楽しいと思うようになります。一人では知らなかった喜びを、二人で肌をつきあわせることによって知ることができ、それをもっともっと膨らませていきたくなる。大杉栄は、そうやって自分の可能性を広げていくことを『生の拡充』と呼びました。そして、どうでしょう。これって、ふだん友人と一緒にいるときにもやっていることじゃないでしょうか。セックスの根っこにあるのは、友情を紡ぐということであり、生の拡充である。そういうのをパートナーシップと呼んでもいいのかもしれません」

 (続く)

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2件 のコメント

管理時代を憂う

さるすべり

大杉栄、伊藤野枝、神近市子などなつかしい名前です。 高校生時代の倫理社会の先生と、クロポトキンだの無政府主義だのと、深く理解していたとは思いませ...

大杉栄、伊藤野枝、神近市子などなつかしい名前です。
高校生時代の倫理社会の先生と、クロポトキンだの無政府主義だのと、深く理解していたとは思いませんが、そういった話をするのが好きで、倫社の授業だけは必ず出席していました。もう45年くらい前の話です。当時は、今のように、授業をさぼると即刻「登校拒否」と問題視されることはありませんでした。
今は、「登校拒否」は「病気」だと言って精神科受診を推奨(≒強要)されると聞いています。企業人は言うに及ばず、ほんとに大変な「管理時代」になってしまったと思います。

現代の大半の日本人は哲学を学ぼうとしません。自分の頭で考えようとしません。無政府主義あるいはアナーキズムという言葉を発するだけで、テロリズムと同じ「暴力行為による既存秩序の破壊思想を持っている」と危険視されます。
こういった時代に、大杉栄や伊藤野枝を肯定的なテーマとして語ってくださることを大いに歓迎します。

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伊藤野枝!!

ufu

著作も読みました。 栗原先生は伊藤野枝に心酔なさってるなーっていう印象でした。 甘粕事件当時28歳だから、まだまだ若い。 もっと長生き出来ていた...

著作も読みました。
栗原先生は伊藤野枝に心酔なさってるなーっていう印象でした。

甘粕事件当時28歳だから、まだまだ若い。
もっと長生き出来ていたら、もっと違うパートナーシップについて、伊藤野枝からもっと沢山学べる事があった気がしますねー。

大杉栄よりも、伊藤野枝の方が全然格上だったと当時から評判だったそうです。

ただ伊藤野枝の生き方は相当胆力が必要。
図々しさが必要。
凡人にはなかなかハードルが高いですけど、次回も楽しみです。

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