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81件 のコメント

なぜ?

モモ

延命治療を望まないと、在宅医療の医師と家族の間で決まっていたなら、
なぜ救急車を呼んだのか?
救急車を呼ぶのではなく、在宅医師に連絡するのが当然だと思う。
その医師が訪問し、患者をみまもるのが本来の在宅医療。
救急医がNPPVの装着をしたのも、救急医として当然。
家族と在宅医の連携が、本当にどこまでできているのか疑問。
在宅医療のなかで、訪問看護師も大きな役割だと思いますが、
看護師は介入していなかったのか、いろんな疑問感じます。

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希望する治療法があるのなら

kazusa

救急に頼らず日々意志の疎通を行ってる医師に頼るべきだった思う。
「命を助ける」に主体を置いた、手段を問わぬ緊急性で救急に頼るのだから
やはり文句を言ってる家族側に問題があると思う。
常識的に考えて、どんな商売でも対応できるサービスと出来ないサービスは
あるのは当たり前。
それに命が掛かっている一分一秒無駄に出来ない状況下であれば尚更。
おかしなお医者さんも多いけど(ろくに診察せずに誤診する…しかしなんの責任も取らない)
この件はどう考えても患者側家族がおかしいし、何が起こるかわからない状態の
患者さんの担当主治医も緊急時の指導をしていないのがおかしいと思う。
よその医師に偉そうに説教する前に高い診察代の分の働きをしていない自分を恥じて欲しい。

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<難しい>

SHO

家族が救急車を呼んだことが間違いというわけではないだろう。
たいていの人は呼吸苦にさらされる人の姿を見慣れていないので、患者周囲の人間は楽にしてあげてほしいと医者を呼んでしまう。
そこに求めるのは救命ではなく、鎮静であるというだけの話。
それが死につながってもよいという覚悟は勿論あるわけで。
確かに、深夜帯で救命を本業とする救急医に鎮静か救命かの決断を迫るのも酷な話ではある。
しかしながら、たとえ救急医といえども、人を穏かに死にいざなう術は持っていて欲しいと期待せずにはいられない。
いずれにせよ、今回のケースで救急医が批判されるような類の話ではないように思う。

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Q

QQ

救急車=救命そして延命となることを認識することが大切。搬送することを問題視する方もおられるが、その時にあわてて救急車を呼んでしまうことも、いざ救命する時になった時のやり取りもまた事実。
その家族を責めることはできないと思うし、医師の対応も仕方がないとも思う。
しかし、医師には、救命にかかる前に意思確認し、救命から撤退することができないものかと思う。

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手段の問題?

すもり

苦しんでいる人がいれば、助けたい。
これは、おそらく正しいでしょう。

しかし、医療は契約です。

助かったから、良かったではなく、契約外のことをしたから悪いと言う話でしょう。

たた、どれだけ話をしていても、その時には考えが変わっていることもあるでしょう。

何れにしても、本人、または、家族にその希望のないことをすれば、ダメでしょう。

エホバの輸血などど同じです。

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救急車=救急救命

ねこ

どんな手段を使っても命を救命する手段です。
高齢化で出動率が上がっています。
既往歴があり尊厳死を望まれるなら、救急車を呼ばない、呼ぶなら必ず追加でのお願いが必要です。
うちの子がアナフィラキシーの時に救急車が足りず30分近く来ませんでした。
未来を繋ぐ命に救急車を譲ってください!

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なんで搬送?

DNR

延命拒否ならなんで救急に運んだの?
在宅専門のかかりつけ医に連絡して看取ってあげたらよかったじゃない
いいとこだけ掠めて困ったら救急に投げる開業医が悪いよ

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そもそも

ミーナ

何のために救急車の出動要請をしたのでしょうか?救急搬送されたならば、あらゆる手段を用いて患者を延命させようとするのが救命医師の使命ですよね。当然、呼吸器の取り付けも想定されるというのが、一般人の感覚ですが。
一切の延命処置をしないと決めたならば、本人も家族もあらゆる事態を想定して、事前に方針を決めておくべきだと思います。
ぐだぐだ対応に困っている間に、他の救われたいと思っている患者が困りますよ。
受け入れ先を必死で探してる救急隊員を身近で見たことのある者として、そんな風に考えてしまいます。

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未だにそんな考えの医師がいるとは・・

しふぉん

昨年母を亡くした者です。
肺がんで末期大変に苦しんだ父の様子を見た母は、父の死後すぐ尊厳死協会に
登録しました。そして常々「ぐずぐずせず上手に死にたい。延命は望まない」と私たちに繰り返し話していました。救急車で運ばれて初めてお会いした先生でしたが、静かに頷いて下さいました。5日後に母は穏やかな表情で永眠しましたが、その5日間、私たちは深く密な時間を持ちいろんな話をすることができました。
人工呼吸器をつけない、という決断は胸が張り裂けそうな思いではありましたが、
やはり亡くなってみると、それは「人間らしく死ぬ」ということそのものだと強く思います。
私や兄弟もお互いに「絶対に延命はしない」と日々確認しあっています。
それをなぜ踏みにじるのでしょう?
確かに数年前までは医師は大変高圧的に延命合意のサインを迫ってきました。
でも超高齢化や家族の在り方の変化でそういう医師はかなり減っていると思います。
ご本人も「謝罪では済まない」と言いながらその考えを改めてもいない。こういう医師がいる限り、「人間の尊厳を失った姿でただ生きているだけ」という患者が減らないのですね。
私も家族とことばで確認するだけでなく、尊厳死協会に入ろうと思います。

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m

大事な内容が抜けてる

あなたのお母さんは、どこで亡くなったの?

記事は、かかりつけの病院でなく、救急センター。
行く場所を初めから間違っている。

初めていく病院であったとしても、
救急医療を専門に行っている病院でないなら、
あなたのお母さんのような対応はしてもらえますよ。

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家族と医師の負担を減らすべき

Yakima

救命活動は救命医にしたら常にどんな時も回復を信じ処置するもの。
という使命に対し、救命拒否うんぬんは救命医の使命として本来そぐわない事柄だ。
結果的に苦しめることになってしまうのも何十人何百人と見ていれば起きてくるだろう。

はたして元気に助かる可能性があるのに救命しないことと、生命維持装置を止めることに違いはあるのだろうか。

救命後の緩和ケアそして尊厳死。倫理問題など解決してないことも多いが、
団塊の世代が後期高齢者になる前に尊厳死について真面目に取り組み、救命医に決断を押し付けるのを辞めるべきだといいたい。

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