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「眩しい」「目が痛い」…眼球が原因でないなら、精神病か仮病!?

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  (まぶ) しい(専門用語で 羞明(じゅうめい) )、目が痛い(眼痛)という訴えは、眼科の外来で聞かない日はないほど、極めてありふれたものです。

 通常、患者も医師も、その原因は眼球にあるに違いないと固く信じていますが、実のところ、眼球には何ら病変のない羞明や眼痛を訴える患者さんが私の外来には大勢来院します。

 そうした症例の共通点は、その程度が眼球の病気では説明できないほど高度で持続的なことです。

 高度な羞明では、少しの明かりも拒絶して、検査や診察が困難なことがあります。中には、室内でも濃いサングラスを2つも重ねて装用していたり、袋などを頭からかぶって、少しの光さえ避けている例もあります。

 そういう姿を見ると、あまりに誇張され、演技的に見えて、「この人たちの病気は眼や視覚系にあるのではなく、精神にあるのではないか、あるいはまた詐病(仮病)なのではないか」と以前の私は (いぶか) しんだものでした。

 しかし、そういう症例を多く診察してきた今は違います。精神病でも、詐病でもない、これはれっきとした、高次脳機能障害なのです。

 眼痛においても、同じです。強弱はあれ、常時存在して、薬も効かない痛みのために、自身の活動は著しく制限され、普通の日常生活が不可能になっているのです。

 ところが、羞明も、痛みも、客観的に測定する方法はありませんし、それは視力など眼科で行う検査の数字にも反映されません( 開瞼(かいけん) 持続ができない場合、検査自体ができないということはありえますが)。これは、検査や視診を頼りにしてきた一般眼科医にとっては、自分の知識や経験の中には存在しない事態ですから、以前の私のように、精神病か詐病だと解釈しがちになります。

 しかし、前回解説したように、網膜から第一次視覚中枢までの視路だけでは、視覚という感覚は完結していないのです。さらに視覚の高次脳機能が作動して、はじめて快適で、適切な、意味のある視覚が完成します。

 その経路と途中で、何らかの不調や病変が介在すれば、視覚の雑音になるでしょう。それが羞明、眼痛という形で表出します。

 ちなみに、眩しさと痛みとは、三叉(★ルビ=さんさ)神経、視床などかなり共通した神経回路に生ずる感覚で、両者は親戚関係にある感覚です。眩しさが高じれば痛みになり、痛みのある人に眩しさも伴っている例は、臨床でもよく遭遇します。

 高次脳では感覚と運動は絶妙の調和をしているものなのです。

眩しさで、あるいは痛くて「目が開けられない」という現象はよくみられる症状ですが、それは眩しさや痛みという感覚異常が、目を開けるという動作の不調を誘発している。つまり、感覚と運動の絶妙な調和を乱していると捉えることができるのです。

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