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『子の無い人生』が話題のエッセイスト酒井順子さん

編集長インタビュー

酒井順子さん(4)子無しも子ありも機嫌良く生きるために

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酒井順子さん(4)子無しも子ありも機嫌良く生きるために

「誰でも安心して一人で死ねる世の中は、誰にとっても良い世の中」と語る酒井さん 

 負け犬子無し代表のように見られている酒井さんだが、現在、長年交際しているパートナーと一緒に暮らしている。子どもはお互いに積極的に持とうとは思わなかった。しかし、若い世代には、違う選択肢を勧めている。

 「私は結構、産める世代には産め産めと言っているのです。負け犬に、結婚しろ結婚しろと言っていたのと同じで。今回の本も、子無しの現状をお知らせして、『これはちょっとつらそうだな』と下の世代に思っていただき、『じゃあ私は子どもを産もうか』と思ってもらおうかなと思いまして(笑)」

 やはり子どもがいない安倍首相の妻、昭恵さんとの対談では、「『独身なら独身の人生』『子どもがいないなら子どものいない人生』というのが、今世で神様から与えられたその方の役割なのだと思うんです。その中で自分にとってできることを考えてみられたらよいのではないでしょうか。自分の子どもがいないからといって、次世代に対して無責任になるのではなく、次世代のためにできることがきっとあるはず」という言葉を、昭恵さんから引き出した。そして、自身もアジアやアフリカの子どもたちに経済的支援をし、一度はラオスにいる“子ども”のところを訪ねていったこともあった。しかし、この行動について、酒井さんはクールな分析をしている。

  そこには「他者のためになりたい」という気持ちも、ありました。人間、若い頃は自分のことだけ考えて生きていくことができますが、大人になると「誰かの役に立ちたい」という欲求が発生します。子供を産めば、その欲求は子育てによって思い切り発散させることができるわけですが、子ナシ族はそうはいきません。精神の平成を保つためにも、「他者のためになる」という実感を得たくなり、その一手段として恵まれない子供に対する援助が為されるのです。(『子の無い人生』より)

 「それに、自分に対する言い訳にちょっとなるかなという感じですかね。子どもを持つことに対する代替物には絶対にならないと思うのですけれども、『まあ、ちょっと、こういうこともやっているしな』と思うことができる。少子化が問題視されている中、子どもを持たない自分の罪悪感に対する言い訳としてやっているところはありますね」

 2012年から13年まで連載し、14年に出版した著書『地震と独身』では、東日本大震災が起きた時、独身子無しで身軽だったからこそ、職場で活躍し、被災地に支援に行き、老親を守った「仲間」の姿を肯定的に描いた。社会の役に立つことは、子を産まなくてもできるという道筋を示したのかと思いきや、そういう意図はないという。

 「確かに小さくて手のかかる子がいれば、本当に喫緊の時は子どもを優先しなくてはいけないということはあるのでしょう。あのように書いたのは、独身者へのエールでもあるんですけれども、仕事やボランティアが子どもを産むことに代わるかというと、そうではない。子どもがいても支援はできるでしょうしね。私の役割は『これを言いたい』とか『訴えたい』ということではなく、今ある現象や問題を提示することなのかな、と思っています。読んだ人がそれぞれの受け止め方をしてくれればいいと思います」

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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4件 のコメント

子供 いてます

あさくやびか

自分は おぎゃぁと 産まれた 日から 親子関係では あるが ひとりの人 と ひとりの人 としか 見て来ていないし これからも そうだろう

自分は おぎゃぁと 産まれた
日から
親子関係では あるが
ひとりの人

ひとりの人
としか
見て来ていないし
これからも そうだろう

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この世界に同時期に生きている

捉え方・考え方

今・この記事を読んでいる人は同じ時間を共有している。 しかし、読んでいる方の生い立ちは違うし、状況も異なる。 勿論、場所も・・・ 誰一人、「捉え...

今・この記事を読んでいる人は同じ時間を共有している。

しかし、読んでいる方の生い立ちは違うし、状況も異なる。

勿論、場所も・・・

誰一人、「捉え方・考え方」は完全に一致しない。

異なる人が同じ時間を過ごす。

同じ時間・体験に対し

異なる解釈をし、異なる考え方を持つ。

正しい答えは誰にも下せない。

感じる事ができるのは・・・

思い遣りがある意見か、そうではないか・・・。

建設的な解釈は残る・・・

道のりは容易ではないですが・・。

誰かのせいにしてだれかを責めたりしてもそのような考え方はいずれ淘汰される・・・。

一時、流行るとしても。

違いは避けられない・・

どうすれば皆が幸せになれるか?

考えを止めないこと。

違いに対し怒らずに何故かを考えること。

どうしたら?良いか考える意思を捨てない。

方法は人 それぞれ。

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お一人様老後は難しい

コロロ

生命の営みは経験工学、その体験がモノを言います。動物園の人工飼育された動物は繁殖や子育てが難しいと言われています。昔は大家族で近所付き合いも濃密...

生命の営みは経験工学、その体験がモノを言います。動物園の人工飼育された動物は繁殖や子育てが難しいと言われています。昔は大家族で近所付き合いも濃密でしたから、出産、子育て、結婚、介護、死別と身近な疑似体験が可能でしたが、今はそうではありません。それが何事も人生の面倒を避けるような意識を醸成しているように思えてなりません。
それは若い世代に限りません。私の母は自分の親と夫の介護で苦労したことから、同じ苦労を子供にかけたくないと自ら老人ホームを選択し延命治療を拒否しました。他方、義母はそのような体験がないため自分の最期は万事他人任せです。しかし、少子化で親の介護を誰もが担う今はむしろ転機かもしれません。「介護は親が子に授ける最大最後の教育である」という言葉があるように、介護の現実を目の当たりにしてきた私や子供たちは人生の在り方や家族の絆を自然と学んだような気がします。
看取りを家族から切り離すと言っても、そもそも政府は介護は在宅が基本との姿勢です。しかも夫婦だけの老々介護の厳しさは周知の通りです。老後の安心安定はやはり子供の存在に頼らざるをえないというのが実感です。
子育てとは無限無償の愛情を注ぐことです。「この子のためなら命を捨てても構わない」が親心です。それを子供が感じないはずはない。それが介護という形に投影されるのであって、家父長制の所産でも他人が担うものでもない、これが親の看取りと3人の子育てから得られた答えです。

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