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イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常

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「人はいろいろ」…些細なことの積み重ねで健康に

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 今日は僕の講演のお話です。先日、静岡市の清水文化会館で、1500人近い方々に集まっていただき、90分の講演を行いました。第22期しみずかがやき塾の今年の第2回の講師でした。22年間にわたってボランティアの方々に支えられながら継続している自分磨きのための塾です。素晴らしいですね。

 ちなみに今年の第1回の演者はジュディ・オングさんでした。僕が浪人して医学部に入学した年に大ヒットした曲がジュディ・オングさんの「魅せられて」だったので、僕こそが第1回の講義を聴きたかったと思いました。今から30年ほど前の思い出で、そのあこがれの歌手と同じシリーズで講演ができたことに、本人が一番驚いています。

 

エビデンスがある治療にも限界が…

 僕のお題は「 些細(ささい) なことの積み重ねが健康にはとても大切」というものです。がんを例に挙げましょう。外科医として、たくさんのがんの手術をしていた頃、その当時は胃がん、大腸がん、乳がん、肝臓がん、 膵臓(すいぞう) がんなどの手術もたくさん行っていました。当時の外科医としての経験から、「早期のがんは結構治るが、進行がんは早晩亡くなる」と信じていました。外科治療もこの30年間でものすごく進歩しました。新しい抗がん剤も次々と登場しました。そして、放射線療法も進歩しました。それらを総合的(医療では「集学的」などとも言いますが)に用いて、がんの予後は相当改善しました。

 しかし、エビデンスがある治療、つまり上記の3つ(外科治療、抗がん剤治療、放射線治療)が、すでに行われていて、そしてそれでも太刀打ちできないと、限界を感じるのです。エビデンスとは、その治療のあるなしで統計的に明らかに差があるということなのです。僕が講演でお話した「些細なこと」とは、「エビデンスには現れないこと」です。

 まずエビデンスがある治療から行うことは当然ですが、それが全て行われた後は、やることがなくなります。全ての治療を行ってもがんが残っていれば、 担癌(たんがん) 状態とも言われます。そして患者さんが何かを希望すれば、「緩和医療にでもどうぞ」と言った流れになります。そんなときに些細な治療をいろいろと積み重ねると 奇蹟(きせき) が結構起こると言うことです。そうであれば、エビデンスがある治療と並行して些細なことの積み重ねを行えばもっと良さそうです。

 些細な治療とは、食事、運動、漢方薬、サプリメント、ストレスへの対処、睡眠、便通、冷えの防止、などなどが含まれます。経験豊富な医師が良さそうと感じることを総合的に加味して行うことで奇蹟は起こります。最近、特にそんながんの患者さんを多数診るようになって、そういう実感を持っています。

 だからこそ、同じがんの種類で、同じような進行度で、同じような年齢なのに、すぐに亡くなる人と、がんを克服する人、そしてがんと併存しながら生き抜くひとにわかれるのです。そんな差があることを医者は昔から知っています。でも、それはただ個人差と思っていました。遺伝的に決まっているものと信じていました。ところが、些細な努力の積み重ねで相当な差が生まれるのです。

 がんに限らず、経過の長い病気ではそうですね。リウマチや原因不明の神経疾患なども些細なことの努力が報われることがあります。高血圧や糖尿病などの生活習慣病も当然に食事や運動などの些細なことでその後が違うことは今や常識です。些細なことをないがしろにしてはならないのです。

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知りたい!_20131107イグ・ノベーベル賞 新見正則さん(1)写真01

新見正則(にいみ まさのり)

 帝京大医学部准教授

 1959年、京都生まれ。85年、慶応義塾大医学部卒業。93年から英国オックスフォード大に留学し、98年から帝京大医学部外科。専門は血管外科、移植免疫学、東洋医学、スポーツ医学など幅広い。2013年9月に、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞受賞。主な著書に「死ぬならボケずにガンがいい」 (新潮社)、「患者必読 医者の僕がやっとわかったこと」 (朝日新聞出版社)、「誰でもぴんぴん生きられる―健康のカギを握る『レジリエンス』とは何か?」 (サンマーク出版)、「西洋医がすすめる漢方」 (新潮選書)など。トライアスロンに挑むスポーツマンでもある。

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