文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

医療部長・山口博弥の「健康になりたきゃ武道を習え!」

yomiDr.記事アーカイブ

「オス!」で会話する非日常

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

 私のようなサラリーマンが武道を続ける効用の一つに、 非日常の空間に身を置くことによるストレス解消 があります。

 ストレス解消という点で言えば、様々な職種や年齢の人たちが、「武道」という共通の趣味(修行? 道楽?)で同じ時間と空間を共有し、仕事を忘れて無心に体を動かし、汗を流す。それだけで十分、ストレスが発散されます。

 私が稽古している道場の場合、平日の夜の稽古が終わった後は、必ずみんなで飲みに行きます。汗を流した後の一杯は、サラリーマン武道家の至福のひととき。実は、この一杯を味わいたいがために武道を続けているのではないか、と錯覚することさえあります。

 もちろん、この手のストレス解消なら、武道に限らず、他のスポーツや習い事でも同じような効果が得られるでしょう。ただ、武道の多くは、いや、少なくとも私が稽古しているような空手系の武道は、より「非日常の空間」を演出する装置がいくつか用意されていると考えています。

 以下、項目ごとに解説しましょう。

(1)道着

 ほとんどのスポーツでは、スポーツウェアに着替えて練習しますよね。野球、サッカー、テニスなど、各スポーツ用に決められたウェアはありますが、今は「すぐ乾く」「ひんやり涼しい」といった高機能のTシャツが普段着として売られていることも多く、スポーツウェアと普段着との境界が薄くなっている気がします。

 でも、空手や柔道、剣道などは違います。着用するのは、昔ながらの「道着」です。

 空手着の場合、素材は高機能どころではなく、硬めのごわごわした綿。身に着ける時に、ボタンやファスナーはありません。着物と同じように、左右の襟を合わせ、腰のあたりを帯で締めます。動いているうちに襟がはだけたり、帯がゆるんだりすることもある。練習中でもその都度、服の乱れを整えないといけないので、けっして機能的に優れているとは言えません。

 でも、これがいいんです。

 道場や練習場に入り、仕事で着ていたスーツを、あるいはカジュアルなTシャツや短パン、靴下を脱ぐ。はだしになり、白い道着のズボンをはき、腰の細いひもをしめる。白い道着の上着に袖を通し、襟を右前に合わせ、最後に太い帯をギュッと締める。この瞬間、武道モードのスイッチが入ります。

 非日常への入り口、それが道着なのです。

(2)押忍

 私が稽古している「心体育道しんたいいくどう」は、空手が変化してできた護身武道なので、会話では、空手で使う「押忍おす」を多用します。

 道場で先生に会ったら、大きな声で「押忍!」とあいさつ。同じ道場生に会っても「押忍!」。稽古中、先生から技を指導されたら「押忍!」。大雑把に言うと、押忍は「こんにちは」でもあり、「はい」でもあるわけです。

 押忍は単独で使うこともあれば、言葉の前後にくっつけることもあります。たとえば、先生から「●●君は、今度の夏合宿は参加できるよね」と聞かれたら、「押忍、参加させていただきます」と返事する、という具合です。

 ただ、私が入門したての十数年前、先生と先輩とのやりとりを見ていて、これらと違う押忍の使い方があることを知りました。

先生  「Y君、いま指導した技、ここをこう動かしたの、わかった?」

Yさん 「お、お~す?」(尻上がりのイントネーション)

先生  「じゃ、もう1回やるよ。…どう? 今度はわかった?」

Yさん 「おーす、おすおす!」

 なんとなく理解できますよね。

 最初の押忍は 「え? ちょっと難しくて分からなかったんですが……」

 次の押忍は、 「はい、よく分かりました!」

 あの時、「押忍には疑問形があるんだ!」とびっくりしたのをよく覚えています。押忍にはもっといろいろな使い方があるそうで、「押忍の五段活用」という言葉もあるとか(笑)。

 一般社会では通常使わないあいさつや返事を多用することも、武道の非日常性をより強くする。それが強ければ強いほど、仕事とはまったく違う脳を使うことになり、よりストレス解消効果があるのではないか――。科学的根拠はありませんが、私は勝手にそう考えています。

正式な押忍の動作

拳を握った両手を下から大きく上げて、頭のあたりで交差させる。

拳を握った両手を下から大きく上げて、頭のあたりで交差させる。
振りほどくようにしてそのまま下に下ろす。下ろしながら大きな声で「押忍!」。

振りほどくようにしてそのまま下に下ろす。下ろしながら大きな声で「押忍!」。

1 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

yamaguchi_main3_400

山口 博弥(やまぐち・ひろや) 読売新聞東京本社医療部長

 1962年福岡市出身。1987年読売新聞社入社。岐阜支局、地方部内信課、社会部、富山支局、医療部、同部次長、盛岡支局長を経て、2016年4月から現職。医療部では胃がん、小児医療、精神医療、痛み治療、高齢者の健康法などを取材。趣味は武道と瞑想めいそう。飲み歩くことが増え、健康診断を受けるのが少し怖い今日このごろです。

医療部長・山口博弥の「健康になりたきゃ武道を習え!」の一覧を見る

1件 のコメント

言葉と身体意識とモチベーション 指導効率

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

言葉などの表現は出す方と受ける方の共通理解と感情の共有があって成り立ちます。 相手によって表現を変えたほうが動作にまつわる意識や知識がうまく伝わ...

言葉などの表現は出す方と受ける方の共通理解と感情の共有があって成り立ちます。
相手によって表現を変えたほうが動作にまつわる意識や知識がうまく伝わることもあります。

時に敢えて過剰な表現やあいまいな表現の方がうまく伝わったり、上手な実行に繋がるものです。
長嶋茂雄さんの擬音語が有名ですね。

サッカーでも、
ボールをまたぐのか、大きく動いたらボールをまたいでしまうのか?
ボールを止めるのか、体に当てたら止まるのか?

同じようで微妙にニュアンスが違います。
長年やってきて、最近気づきました。

そして、上記は短時間での指導効率の問題ですが、一方で、長期的観点に立つと必ずしも効率的な指導がいい場合ばかりでもないですね。

easy come easy go
という英語表現がありますが、同じように、簡単に身につけてしまうとありがたみを感じられる人ばかりでもないのは確かですし、好奇心を持続できない人もいます。

そういう意味でも、武道の高みは敢えて不自由なコミュニケーションでやるのかもしれませんね。

また、動物のように、少ない音の種類でやりくりすることにも物理的な意味や心理的な意味があるのかもしれません。

つづきを読む

違反報告

すべてのコメントを読む

最新記事