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医療部長・山口博弥の「健康になりたきゃ武道を習え!」

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「オス!」で会話する非日常

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(3)帯の色による階級社会

 空手では通常、修行のレベルを表す「級」や「段」というものがあり、昇級審査や昇段審査を受けてステップアップしていきます。その級や段は、帯の色によって大体分かるようになっています。

 級と帯の色の関係は、流派によって異なりますが、うちの道場では次の通りです。

  • 無級……………白
  • 10級、9級……オレンジ
  • 8級、7級……青
  • 6級、5級……黄
  • 4級、3級……緑
  • 2級、1級……茶

 (多くの空手流派は、黒帯=最初は初段=になると、次に審査を受けて二段、三段…などと段位が増えていくが、心体育道の黒帯に段位はない。ちなみに、黒帯になっても安心はできない。普段の稽古で黒帯としての動きができていなければ、級に落とされる)

 その世界での「実力」と「 (くらい) 」が、ひと目で分かる。これも、通常のサラリーマン社会ではあまりないですよね(軍隊などは別)。

 言うまでもなく、いちばん偉いのは先生です。先生の言うことに道場生は文句を言わずに従います。級や段位が下の道場生(以下、「下の帯」と表記)は、上の道場生(以下、「上の帯」)に従います。でも、いざ 対峙(たいじ) したら、下の帯は上の帯を遠慮なく思いっきり攻撃してもいい。上の帯は、けがをさせないようにその攻撃を (さば) く。そして、気づいた点があれば丁寧に指導する。上の帯が下の帯に攻撃する時、力の差が大きければ手加減して攻撃します。もちろん、しごきのような理不尽なことは一切ありません。

 休憩時間や飲み会では、帯の色に関係なく、冗談を言い合ったりもします。しかし稽古の時は、上下関係のルールを守りながら、真剣に技のやりとりをします。

 実は、上下関係がなく自由に意見を言い合えるサークルやグループほど、内部のいざこざが生じやすい、と聞いたことがあります。全員の話し合いで様々なことを決めるのは、一見、民主的で良さそうですが、異なる意見の調整に時間がかかり、人間関係の問題からストレスが生じやすい。

 その点、「実力による上下関係が明確な階級社会」ともいえる武道の道場では、上の帯も下の帯も暗黙のルールに身を委ねていればいいので、慣れてしまえばかえってストレスが少ないとも言えるのです。

 このほか、「セイッ!」といった 気合 も、ある意味、非日常的ではありますが、これは武道の技術に付随するものなので、今回は詳しく書きません。

 ということで、武道の世界は一般社会から見れば、「なんか変なことやってるな」と思われることが多いかもしれませんが、そのどれもがストレス解消にとても有効なのだ、ということをお分かりいただけましたでしょうか。

 ただ、私は以前、会社で上司から指示を受けた時、つい「押忍!」と返事をしそうになり、焦ったことがあります。空手をやっているみなさん、これって「空手家あるある」かな?

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昨年12月の昇級審査後の飲み会。昨年は忘年会も兼ねました。午前中に審査が終わり、都内の温泉施設に移動。ゆっくりお湯につかって疲れを癒やした後、座敷で飲み食いしながら延々と語り合います。話題は、武道、本、映画、仕事、家族など様々。6時間以上の長丁場だけに、途中で抜けてもう一度お風呂に入る人、仮眠室で寝る人、マッサージを受ける人も。日帰りなので、帰りの電車が疲れます。

 

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山口 博弥(やまぐち・ひろや) 読売新聞東京本社医療部長

 1962年福岡市出身。1987年読売新聞社入社。岐阜支局、地方部内信課、社会部、富山支局、医療部、同部次長、盛岡支局長を経て、2016年4月から現職。医療部では胃がん、小児医療、精神医療、痛み治療、高齢者の健康法などを取材。趣味は武道と瞑想めいそう。飲み歩くことが増え、健康診断を受けるのが少し怖い今日このごろです。

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1件 のコメント

言葉と身体意識とモチベーション 指導効率

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

言葉などの表現は出す方と受ける方の共通理解と感情の共有があって成り立ちます。 相手によって表現を変えたほうが動作にまつわる意識や知識がうまく伝わ...

言葉などの表現は出す方と受ける方の共通理解と感情の共有があって成り立ちます。
相手によって表現を変えたほうが動作にまつわる意識や知識がうまく伝わることもあります。

時に敢えて過剰な表現やあいまいな表現の方がうまく伝わったり、上手な実行に繋がるものです。
長嶋茂雄さんの擬音語が有名ですね。

サッカーでも、
ボールをまたぐのか、大きく動いたらボールをまたいでしまうのか?
ボールを止めるのか、体に当てたら止まるのか?

同じようで微妙にニュアンスが違います。
長年やってきて、最近気づきました。

そして、上記は短時間での指導効率の問題ですが、一方で、長期的観点に立つと必ずしも効率的な指導がいい場合ばかりでもないですね。

easy come easy go
という英語表現がありますが、同じように、簡単に身につけてしまうとありがたみを感じられる人ばかりでもないのは確かですし、好奇心を持続できない人もいます。

そういう意味でも、武道の高みは敢えて不自由なコミュニケーションでやるのかもしれませんね。

また、動物のように、少ない音の種類でやりくりすることにも物理的な意味や心理的な意味があるのかもしれません。

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