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性とパートナーシップ

妊娠・育児・性の悩み

障害を持って生まれ、心と体のパートナーを求めるシングル女性(上)いじめで長い間、男性不信に

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障害を持って生まれ、心と体のパートナーを求めるシングル女性(上)

 今度は、障害を持って生まれ、パートナーシップを築きにくいと悩む40代前半のシングル女性の体験談です。この女性は、前々回のシリーズ「 触れ合う喜びを取り戻したバツイチ女性(上)DV、セックスレス、そして離婚へ 」、「 触れ合う喜びを取り戻したバツイチ女性(下)いつからでもやり直せる 」を読み、「いつからだってやり直せるとおっしゃっていますが、本当にそうでしょうか?」と率直な感想を送ってきてくれました。

 女性は、右腕の障害を理由に幼い頃、男の子たちにいじめられた経験から、長い間、男性不信に陥っていたということでした。「自分の言いたいことはうまく言葉にできず、人前で話をすることも苦手なネガティブな性格になってしまいました。それが人間関係の構築、ひいては男性とのおつきあいに影響を与えてきました。私は、パートナーシップを築く土台を作り損ねた立場の人間です」と書いてこられました。強く興味を抱き、取材をお願いしました。

◆◆◆

 

 腕の長さのアンバランスさから、「見た目に自信がない」と事前に伺っていたのですが、待ち合わせ場所に現れた女性は、透明感のある美しい女性でした。40代前半でまったく化粧をしていないというのに、どう見ても30歳ぐらいにしか見えません。シンプルなワンピースを着こなした姿は、正直、「男女交際で悩む必要があるのかな?」と思わせる第一印象でした。

 東京都内の家庭で次女として生まれた女性は、母親のおなかの中にいた時から、推定体重が4000グラムを超え、しかも逆子でした。無事に産めるか不安になった母親は、帝王切開での出産を希望しましたが、産院の院長は「お産はなるべく自然に任せる」という考えで、自然 分娩(ぶんべん) を押し切りました。出産時は当然、足から生まれ、最後に肩が産道で引っかかってしまったため、首が強く引っ張られてそことつながる腕の神経が傷つく「分娩まひ」となりました。

 その結果、右腕のみ正常に発育せず、腕の長さは左より若干短く、手の指も自力では曲げ伸ばしできない状態に育ちました。

 「両親は、私の障害を意識させる育て方をしませんでした。自分で意識したのは、整形外科にかかり、腕のリハビリを始めた小学校入学直前ぐらいからです。そして何より、周囲の反応から、私は自分の障害を強く意識することになりました」

 入学すると、同級生によるいじめが始まりました。学校では体育の時間の鉄棒やマット運動など、両手が使えない自分の障害を意識する瞬間がたくさんありました。女の子とは仲良く遊びましたが、男の子たちは、腕の長さや動かない指を見ては、「ばけもの!」「寄るな!」とひどい言葉の暴力をぶつけてきました。そういう言葉を投げつけられると、女性は黙って、自分の中に閉じこもるばかりでした。

 小学校4年生の時には、初めて好きな男の子ができました。スポーツができて、ハンサムで、クラスの人気者。バレンタインデーの時に、思い切ってチョコレートを男の子の机の中にしのばせておき、ドキドキしながら彼の様子を見守りました。チョコに気づいた彼は、「いらないやつからもらっちゃった」とふざけてクラスの男の子たちの中でチョコのたらい回しを始め、最終的には、先生が引き取る形になりました。

 「その様子を見ながら『ここまでするかなあ』とすっかり冷めた気持ちになっていましたね。それでもやっぱり傷ついたのでしょうね。家に帰ってから、一人で泣きました」

 その後も、何人か男の子を好きになりましたが、この時の傷が思い出され、告白する勇気は出ませんでした。しかし、中学3年生の時に、好きになった男の子にはどうしても思いを伝えたくなり、高校受験前にバレンタインのチョコと共に、合格祈願の千羽鶴を折って渡すことにしました。男の子の家に届けようとした日、悪のりした友達たちも一緒についてきて、渡す姿を冷やかしました。男の子からは結局、お礼も返事の言葉もないままでした。

 「小中学校時代は、自分の一挙手一投足に揚げ足をとられることもたくさんありましたし、しばらくは男性不信がひどくなりましたね。高校は、地元から離れた学校に進学したことでようやくいじめもなくなり、ようやく自分本来の姿が取り戻せたように感じました。それでも、やはり障害によるいじめは私の人格形成に大きく影響を与えたと思います。『攻撃は最大の防御』というように、自分が傷つかないように、先に殻を作って、最初から相手に対して斜に構えたり、とんがったりして。今振り返ると、『とても痛いやつ』『扱いにくい人』と思われていたと思います」

 高校を卒業すると、公務員として就職。しばらくは仕事にまい進していましたが、25、6歳になって仕事にも慣れてきたころ、地域の公務員が集まる情報交換のための集まりに参加するようになりました。そこには、同じ年頃の男性もたくさん参加しており、女性はそこで、背の高く細身のハンサムな男性に出会いました。一目ぼれでした。

 「2~3歳年下だったのですが、リーダーのサポート役に徹していて、クールな印象でした。しばらく毎月の会合で会話をする程度だったのですが、『待っているだけでは近づけない』と思って、積極的に近づいていくと、向こうも振り向いてくれました」

 出会って約1年、初めてのデートに出かけました。

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2件 のコメント

切ない話だなぁ・・・

読んでいて よかったね・・・ と思っていたら・・・ 相手の幸せを願うからこそ 自分の力ではどうすることもできない事・・・ ありすぎです 彷徨える...

読んでいて

よかったね・・・

と思っていたら・・・

相手の幸せを願うからこそ

自分の力ではどうすることもできない事・・・

ありすぎです

彷徨える人達に希望の光が与えられらんことを・・・

世を憂い

自暴自棄になる事だけは

やめましょう

生きていれば

なにか良い事があるかもしれない・・・

”障害を持って生まれ、心と体のパートナーを求めるシングル女性”様

貴方の気持ちを聞かせてくれてありがとう

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何となくわかります。

しばいぬ。

アラフォーのシングルマザーです。   私はずっと太っていたために、男子からからかわれてばかりで、いまだに 小学生や中学生位の男子を見ると、トラウ...

アラフォーのシングルマザーです。
 
私はずっと太っていたために、男子からからかわれてばかりで、いまだに
小学生や中学生位の男子を見ると、トラウマで苦手です。でも、一番
辛かったのは、実の兄からずっと容姿の事でからかわれていた事でした。
 
そのため、女性として普通に扱われると、とても優しい人のように感じたり、
逆に裏があるのでは?と疑いを持ったりと、普通の感覚がわかりません。
 
結婚相談所で出会った前夫が初めて交際した男性でした。お互い、初めて
交際した同士でしたが、前夫の暴力や暴言も、この人を逃したらもう一生
男性とは交際出来ないかもしれないと思い、堪えてしまいました。子供が
出来てようやく目が覚め、離婚しました。
 
私は、後先を考えずに飛び込むADHDタイプなので好きになった人には、
こちらからアプローチをしますが、はっきりとした答がもらえぬまま
逃げられてばかりという事もあり、自分が心から好きになる人とは
パートナーシップ結べないのかなと思いながら、心から好きになった人と
心身共に結ばれたい欲求が消えません。
 
ただ、シングルマザーの自分がそういう欲求を持ってはいけないのでは
ないかと言う気持ちもあり、苦悩する日々です。

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