がん患者や高齢者を在宅で診る立場から 新城拓也
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
【延命治療】時代とともに変わる治療…揺るぎない信念を探し続ける
テーマ:「延命治療」とは何か? 無意味な治療と必要な治療を分けるもの
ホスピスで延命治療をしないわけ…患者の最後の日々を敬意を持って支える
「ホスピスでは、延命治療すなわち人工呼吸、心臓マッサージは行いません」
私がかつて働いていたホスピスでは、受けられる治療、受けられない治療について事前に説明し、同意された方のみ入院を受け入れることになっていました。それではなぜ、ホスピスでは延命治療をしないのでしょうか。それはホスピスができるまでの医療の状況を説明する必要があります。

在宅医療と安楽死などがテーマとなった映画。「或る終焉」(Bunkamuraル・シネマほか公開)。パンフレットに寄稿しました。
©Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015 ©Crédit photo ©Gregory Smit
私が内科医としてどうにか一人前の仕事ができるようになった2000年頃のことです。当時働いていた病院で、ある初老の女性が、検診のレントゲン結果に「異常あり」と通知が来たということで、病院の外来にいらっしゃいました。私は、「レントゲンを撮り直してみましょう」と伝えました。最悪の結果でした。肺がんであろう事は一目で分かりました。そして、レントゲンを見せながら、結果をこう話したのです。
「ここに確かに影があります。悪い病気ではないと思うのですが、念のため後日検査をしましょう」と話し、その日の診察を終えました。そして、患者が診察室を出た後に、診察室に居合わせた看護師に「この方の家族を呼び出して」と頼みました。看護師が、丁度自宅にいた患者の夫に「本人には内緒で医師から話がある」と伝え、その日の診察を終えた後に、患者の夫と会うことになりました。そして私はこう話し出したのです。
「このレントゲンの結果からは、肺がんだと思います。どのように本人に話したら良いでしょうか」と夫に尋ねますと、「がんだと分かったら生きる希望がなくなります。本人には内緒にしておいてほしい」と夫は答えます。いくら治療法が進歩しても、今でもがんは人の心を絶望させる病気であることには変わりはありません。当時は、このように本人にがんであることを告げずに、どう本人に 嘘 をつくかを家族と打ち合わせ、それを看護師にも周知していたのです。
さらに詳しい検査の結果、肺がんは脳にも転移していることが分かりました。抗がん剤が唯一の治療法でした。私は、患者本人には「治りにくい肺炎」の治療をすると説明し、入院してもらうことになりました。
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私は現在68歳です。想定しているのは80歳寿命で,それ以降生きたいのであればすべて自分の負担で生きるべきだと思います。 延命・寿命の問題の論議で...
私は現在68歳です。想定しているのは80歳寿命で,それ以降生きたいのであればすべて自分の負担で生きるべきだと思います。
延命・寿命の問題の論議で一番欠けているのはお金の問題です。ほとんどの評論家,政治家,マスコミなどは,患者に出来るだけ寄り添い,出来るだけの治療を行う,などキレイゴトだけ述べています。
人間空気だけでは生きて生けません。病気になり,入院,寝たきりになれば,ベット代,治療費,薬代,生活費などすべてお金がかかります。医療費にしても本人は2割負担,3割負担ですが,残りの7割,8割は誰が負担しているの?国ですか?違います。国は一円も負担していません。若い勤労者が税金,厚生年金の形で負担しているのです。
高齢者の治療に膨大な税金を注ぎ込む意味はありますか?貴重な税金は現役世代の若い人が生活しやすいように使うべきです。
ある年齢になれば人間は社会への役目を終えたのです。生きたいのなら自分のお金で生きるべきで,国(正確には国ではなく若い人)に頼るべきでないです。
自然界では最強のライオンは元気なうちは誰もかないません。しかし老化で一旦餌が取れなくなったり,動けなくなれば,直ぐにはハイエナやハゲタカに食べられて死にます。これが生きると言うことで一番自然なのです。
この前もテレビでガンの最新医療薬についてたいへん高額のため,保険適応では国家が破綻すると日赤の医師が警告していました。
団塊の世代は68歳前後でまだ元気です。しかし健康寿命は73歳ぐらいを言われており,5年後の2020年以降は寝たきり,介護を必要とする老人は急増するはずです。誰が支えるの? 具体的に言えば誰が増大するそれらの医療費を負担するの? あと5年もすればすごい社会になると思います。
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本人の自己決定権
フンボルト
終末期医療を考えるにあたっては本人の自己決定権が一番重要だと思います。 もしも自分が明日、1週間後、1年後に死ぬと分かっていたら、今と同じことを...
終末期医療を考えるにあたっては本人の自己決定権が一番重要だと思います。
もしも自分が明日、1週間後、1年後に死ぬと分かっていたら、今と同じことをしているでしょうか。いいえ、仕事なんか放り出して有り金はたいて遊んだり、旅行をしたり、友人に会いに行ったり。それが生き方の自己決定権です。人は医師の治療さえ拒むことができる、エホバの証人事件で最高裁が下した結論ではなかったでしょうか。
だから、医師はやはり患者に対してそれを行使させるべく判断に必要な情報は伝えるべきでしょう。その点、神に召されるのを定めとする欧米と違って日本人は死への覚悟が希薄で往生際が悪い傾向がありますが、それに医師が惑わされてはいけないと思います。
そして本人が何かを選択することがなくなり死を受け入れるだけとなったとき、あとは時間の経過を見守るだけですからここからはホスピスの領域で延命治療は無用だと私は考えます。何時死ぬかは既に無価値であると言えましょう。
そういう考えで私が老齢の両親を看取ったとき、胃ろうや経管栄養チューブ、気管切開、人工呼吸は望みませんでした。ただ一つお願いしたのは、最後に声をかけるため家族全員が集まるまでアドレナリンで命を繋ぐことだけでした。
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