元大関・栃東 玉ノ井太祐さん
一病息災
[元大関・栃東 玉ノ井太祐さん]脳梗塞(1)序ノ口 いきなりケガ抱える
角界屈指の技巧派として、2002年から大関を5年間務めた。幕内優勝は3回。序ノ口から幕内まで、すべての地位で優勝したのは史上2人目だ。華やかな相撲人生の全盛期、30歳の時に脳梗塞の疑いで引退を余儀なくされた。だが「弱かった自分がここまでやれて悔いはありません」。
出身は東京都足立区。父は元関脇で、平幕優勝も果たした同じしこ名の栃東。父が創設した玉ノ井部屋で育った。運動神経が良くて体も大きく、小学生の頃は野球や水泳に親しんだ。
中学生になる前、世の中は元大関・貴ノ花の息子で、後に横綱になる若乃花、貴乃花兄弟の活躍に沸き始めていた。「自分もプロになったら父が喜ぶかな」と、若貴兄弟の母校、明治大学付属中野中学校の相撲部に入った。
だが体が硬く、脚を広げて上半身を床につける股割りもできない。中学までは全国レベルの力はなかったが、高校では猛稽古を重ね、3年の高校総体で優勝。晴れて父の部屋に入門した。
いきなり試練が待っていた。序ノ口デビュー前の稽古での投げ技で、左膝を痛めた。3番休場後の4連勝で何とか勝ち越した。まわしを取って投げる相撲が得意だったが、「今の相撲ではまたけがをする。まわしを取らないでおっつける相撲にしないとだめだ」。手本にしたのはあこがれの先輩、若乃花の相撲だった。
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元大関・栃東
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