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イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常

yomiDr.記事アーカイブ

またまた163キロ!大谷投手の快挙に「医療の奇蹟」を重ね合わせて…

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 今日も「163」が登場です。先日6月12日、日曜日に札幌ドームで行われた日本ハム対阪神戦で、大谷翔平投手が、なんと5回も、この数字をスコアボードに表示させました。球速が163キロということで、前回の登板で大谷選手自身が出した日本最速と同じ球速ということです。7回を投げて107球、その中でストレートが58球。160キロ以上のストレートが31球で、ストレートの平均球速は159キロ超だったそうです。

 僕はその日、昼間は仕事があり、帰宅してから録画で日本ハム対阪神戦をザッピングしました。初回から163キロを記録し、圧巻の投球でした。録画で見ていても本当に楽しかったです。さて、この日の大谷投手は5番も打っています。プロ野球の舞台で、先発投手で、クリーンアップで、そして160キロを連発するなんて考えられませんでした。せめて高校野球までの世界、また漫画の中での夢の世界でした。そんな 奇蹟(きせき) が目の前で起こっているのを見るだけでも胸がわくわくしますね。「奇蹟」、僕は大好きですよ。だって、医療は奇蹟の連続で進歩していますから。今日は外科医で、移植免疫学と漢方の大学院講座を持っている教員としての立場から、「医療の奇蹟のお話」をします。

世界初!江戸時代の名医が全身麻酔に成功したが…

 江戸時代の漢方の名医に華岡青洲がいました。彼こそ、漢方の限界を知っていて、だからこそ、乳がんの摘出手術を行いたいために、お嫁さんとお母さんを実験台にして、世界初といわれるチョウセンアサガオを使った全身麻酔に成功します。それまでは、無痛などという世界は奇蹟ですから、素晴らしい進歩です。1804年のことです。しかし残念ながら華岡一門は、この業績を一門の秘密にしました。ですから世界に広まりませんでした。

 一方で1846年、ウィリアム・モートンは米国ボストンで顎下腺腫瘍に対する摘出術をエーテルによる全身麻酔で、そして公開実験で行いました。目の前で繰り広げられた奇蹟の世界を見て、誰もがそれを信じ、そして全身麻酔が世界に広がりました。またジェームズ・シンプソンが1853年にビクトリア女王の帝王切開にクロロホルムを使ったことも全身麻酔の普及に拍車をかけました。それまでの外科は、無麻酔で、そして感染した四肢や負傷した手足の切断を迅速に行う野蛮な外科でしたので、無痛で行える手術はまさに奇蹟の世界でした。

 全身麻酔が確立されると、動物実験が可能になります。そして、外科手技が進歩します。1881年には胃切除術がビルロートによって行われました。血管を縫い合わせることも可能になり、外科医のカレルは血管をつなぐ業績でなんと1912年にノーベル賞をもらっています。約100年前には外科手技はほぼ確立されています。

臓器移植で起こった奇蹟

 昔から、腎不全という病態はありました。つまり尿が出なくなって、むくんで、そして死亡します。尿を作る臓器が腎臓であることはわかっていました。そこでまずイヌの腎臓を自分の首に移植します。動脈と静脈をつないで、そして尿管を首の皮膚に縫い付けます。すると尿が出続けるのです。この実験は1902年に成功裏に行われています。そこで誰もが考えました。腎不全で死にそうな人に、他の動物の腎臓を移植しようと。1906年に最初の臨床腎移植が行われましたが、手術直後は尿が出るものの、すぐに尿は出なくなります。今では拒絶反応と呼ばれる免疫反応が起こったのです。いろいろな動物から移植を試みましたが、すべて失敗しました。

 奇蹟は1954年に起こります。一卵性双生児間で腎臓移植を行い、そして成功しました。この業績でジョセフ・マレーはノーベル賞をもらっています。夢物語と思われた移植に奇蹟が起きたので、免疫抑制剤の開発に火が付きます。そして1950年代後半から精力的にいろいろな研究がなされ、強力な免疫抑制が可能になり、欧米では移植医療は当たり前になっています。心臓、肝臓、腎臓、肺、 膵臓(すいぞう) などの移植はもとより、四肢、顔面、子宮などの移植も行われています。一方、日本では脳死移植が欧米に比べて極端に少なく、ドナー不足が深刻なため、 動物から人間に臓器を移植するということを先日、厚生労働省が限定的に認めました 。これも免疫抑制剤が進歩したからこそ可能となりそうな治療法なのです。

「夢の医療」を可能にしたiPS細胞

 拒絶反応を起こさない方法は、一卵性双生児間の移植です。同じ遺伝子ですから。マレーがノーベル賞をもらった研究です。そうであれば移植を希望する人の細胞から臓器が作製できれば拒絶反応は起こりません。そんな奇蹟が起きたのが、山中伸弥先生が開発したiPS細胞です。いろいろな臓器に分化可能な細胞が人工的に作製できるようになりました。そこで、最初の臨床応用として加齢黄斑変性の患者さんの皮膚からiPS細胞の技術を用いて網膜組織の一部を作製し、そして本人に移植しました。拒絶反応が起こらない夢の移植の第一歩です。しかし、作製期間が長く膨大な費用がかかるため、実用化のためには拒絶反応が少ない他人の細胞を用意しておき(iPS細胞のストックなどと呼ばれます)、そこからあらかじめ網膜組織の一部を作製し移植しようという 作戦が今、まさに展開されています 。免疫抑制剤が進歩したから、そしてiPS細胞の技術があるからこそできる夢の医療です。これで失明する人を救えれば本当に奇蹟ですね。

 大谷翔平選手の超一流の投手として、そして野手として、誰もやったことがない奇蹟が起こりそうで、そしてまさに展開されはじめて、僕の脳裏に重なった思いでした。

 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

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知りたい!_20131107イグ・ノベーベル賞 新見正則さん(1)写真01

新見正則(にいみ まさのり)

 帝京大医学部准教授

 1959年、京都生まれ。85年、慶応義塾大医学部卒業。93年から英国オックスフォード大に留学し、98年から帝京大医学部外科。専門は血管外科、移植免疫学、東洋医学、スポーツ医学など幅広い。2013年9月に、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞受賞。主な著書に「死ぬならボケずにガンがいい」 (新潮社)、「患者必読 医者の僕がやっとわかったこと」 (朝日新聞出版社)、「誰でもぴんぴん生きられる―健康のカギを握る『レジリエンス』とは何か?」 (サンマーク出版)、「西洋医がすすめる漢方」 (新潮選書)など。トライアスロンに挑むスポーツマンでもある。

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