ホームホスピス運営者の立場から 市原美穗
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
【現状と課題】治療より療養
テーマ:現状と課題
「人生の幕を閉じる時、あなたはどこで、どのように、誰に 看取 ってもらいたいですか」と地域自治会の研修会でお聞きしました。
ほとんどの方から、「そりゃ自宅でしょう」「でも家族に迷惑をかけると思うから、施設でも仕方ないでしょうね」「最後まで口から食べたいです。延命治療はごめんです」と答えが返ってきました。
「そのことを身近なご家族と話していますか?」と聞くと手が挙がったのは数人でした。意外と自分のことは話してないのですね。まだ死を話題にすることはタブーなのでしょう。
でも、病気になり入院して治療を受け、「退院です」と言われたけれど、介護する人がいないという現実にぶつかります。医療制度の改革で、急性期で治療を主とする病院では治療が終わったら退院となります。しかし、気管切開して、絶えず 痰 の吸引が必要だったり、経管栄養の処置が必要な状態だったり、痛みの治療が必要だったりと不安がいっぱい。「まだ症状は良くなっていないのになぜ退院か。家ではとても看ることができない」「預かってくれる施設はありませんか」との相談がよくあります。
特に高齢の方だと、医療的な処置が必要でも、治療ではなく療養が重要になってきます。つまり病人ではなく、医療処置を受けながら、生活者として普通の暮らしを取り戻すことが必要なのです。そのために、在宅での療養を支える医療が充実してきました。24時間体制で往診してくれる診療所「在宅療養支援診療所」は、訪問看護や介護保険サービスとも連携して、適切な医療を提供できるようになっています。
それでも、独居や家族がいても介護力がないなど、自宅での生活を続けることが困難なケースが増えています。12年前、施設に入居していたUさんのご家族から相談があり、Uさんの住んでいた家を、生活用品もそのままでお借りし、そこにUさんと他の人が集まって共に暮らす「かあさんの家」を開設しました。現在、宮崎市内の4軒の民家をお借りして、1軒当たり5名の方々が暮らしています。
ここは在宅ですから、がんや認知症、神経難病など、病名や症状などの条件はありません。一人一人の状態に合わせて、医療と介護のサービスがチームを組んで外から提供されます。介護スタッフが365日24時間常駐し、家族もチームの一員になって日々の生活を支えています。
先日、かあさんの家で5年間生活した方が静かに人生の幕を閉じました。当初、療養型病院で、 誤嚥 性肺炎のために胃ろうをつけ、それを引き抜かないように、処置が必要な時はベッド上で手足を拘束されて、言葉も表情もなくなって寝たきりの状態でした。ご家族はこのようなお母さんの姿を見るのは耐え難く、かといって遠方なので家族介護もできずに悩んでいました。
「かあさんの家」に入居後は、口から食べるためにリハビリを重ね、胃ろうを外しました。そして食べることで生きる力をも取り戻し、言葉もよみがえり、歩いてデイサービスにも通えるようになりました。奇跡のような回復だとご家族は思いましたが、これは奇跡というより、当たり前の生活のリズムを取り戻しただけだと思います。ご本人にまだ十分に力が残っていたのでしょう。
それから5年、5人の住人とスタッフは疑似家族のように暮らしてきました。3月末、肩の骨折を契機に日常の動きが弱くなり、肺炎を併発しました。入居当初ご家族は、最期はやはり病院に入院だろうと思っていたそうです。そうではないことをお母さんの表情やエピソードから教えられ、入院して治療する選択肢はありませんでした。なぜなら、入院して病人になるのではなく、最期はいつもの暮らしの気配を感じながらでこそ、本人にとって最善だと思われたからです。
息子さんがそばに寄り添って、穏やかな時間が流れる中で静かに逝かれました。本人らしさを取り戻した生活と納得の看取りは、残されたご遺族の方々のこれからの生きる力になります。
「逝く人」のケアは、「今を生きる人」のケアにつながっていると思うのです。
皆さんが、最期の時に、 傍 に寄り添ってもらいたい人は、誰ですか? 私は、ホスピスとは、病棟ではなく、誰がそばにいるかだと思っています。それが誰かを思えば、今からその人との関係を大切にしなければなりません。家族がいない人でも 然 りです。
◇
【略歴】
市原 美穂(いちはら・みほ) 一般社団法人全国ホームホスピス協会代表理事
1947、宮崎県生まれ。87年、宮崎市に夫が「いちはら医院」を開業し、裏方として携わる。98年、「ホームホスピス宮崎」設立に参画し、2002年に「特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎」理事長に就任。04年に「ホームホスピスかあさんの家」を開設し、現在宮崎市内に4軒を運営する。15年「一般社団法人全国ホームホスピス協会」を設立し、現職。08年「社会貢献者賞」(社会貢献支援財団)、09年、「新しい医療のかたち賞」(医療の質・安全学会)、15年、「保健文化賞」(第一生命・厚労省)をそれぞれ受賞。著書に『ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方』(図書出版木星舎)、『暮らしの中で逝く その<理念>について』(同)、編著に『病院から家に帰るとき読む本』(同)がある。
【関連記事】
ホームホスピスの役割について
かもちゃん
ホームホスピスで働いて1年。数名の方の旅立ちに立ち会わせて頂きました。 そこで感じたのは、ご家族の不安をどうしたら解消できるか、ということです。...
ホームホスピスで働いて1年。数名の方の旅立ちに立ち会わせて頂きました。
そこで感じたのは、ご家族の不安をどうしたら解消できるか、ということです。
多くのご家族は身内の方がもうすぐ亡くなることを懸命に受け入れておられますが、いざ身体に様々な変化、喉がゴロゴロ鳴ったり、落ち着かずに唸ったり手足をバタつかせたりされるなど、が現れ始めると苦しがっているのではないか、と心配されます。事前に医療職から、それらは決してご本人にとっては苦痛ではないこと、自然な経過だということを説明されていると、うろたえずに最後の大切な時を穏やかに一緒に過ごせるようです。
優しく話しかけたり、昔の思い出を語り合ったり、冷たくなり始めた手足をさすって温めたり、添い寝したり、と結局はお互いに触れあって体温のぬくもりを伝えることが旅立つ人、見送る人それぞれに大切かと感じました。
家族を看取ることは心身ともに大きなストレスです。昔のように近所の人が集まって何かと助け合っていられたならともかく、今は看取る側の家族は孤立しやすく、不安や疲労を分かち合える周囲からの支えは得にくいのが現状。
ホームホスピスの役割は、ご家族が自分たちでお見送りできるためのエンパワメントでもあると考えています。もちろん、お一人の方には私たちが家族のようなつもりで接します。ただ、最期に口にされるのは父母や夫や妻、子供の名前。
その意味で、私たちは家族のような気持ちで支えるけれども、長い間の生活の積み重ねや愛憎の詰まった「家族」には及ばない。そこはわきまえておく必要があると思っています。
つづきを読む
違反報告