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原記者の「医療・福祉のツボ」

コラム

貧困と生活保護(32)患者が食い物にされていた安田系3病院事件

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他の病院でも相次いで発覚した不正や虐待

 安田系3病院事件の直後の97年から98年にかけ、大阪府内では他の病院でも、職員数水増しによる多額の診療報酬不正受給が相次いで発覚しました。邦和病院、廣崎病院、小南記念病院、松井記念病院などです。いずれも保険指定が取り消されました。

 そのひとつ、岸和田市の小南記念病院は、中規模の一般病院(152床)で、入院患者の大半が高齢者と生活保護。いわゆる行路病院の一つでした。ここでは看護婦数の大幅水増しに加え、病床数をかなり上回る入院患者の超過収容が行われていました。大阪府の立ち入り調査の時、一部の患者を散歩に出かけさせ、ベッドを片づけており、その偽装工作の様子を筆者が目撃しました。不正分の返還額は6億7860万円にのぼりました。

 さらに、入浴時に男女の患者を裸にして病棟の廊下に並ばせる、高齢の女性患者がスタッフから顔を殴られる、「このババア、はよ食え」などと暴言を受ける、といった虐待行為も明らかになり、大阪法務局が人権侵害にあたるとして院長に説示しました。

 当時、府内で保険指定取り消しになった病院の多くは、その後、再指定されています。病院運営や医療内容が改善され、良い病院になっていることを願ってやみません。

根本的な背景は、福祉と救急の不備

 安田系3病院事件には、経営者の極端な営利主義、非倫理性、独裁的態度、政治家とのつながりといった特徴がありましたが、本質を考えると、3病院が「需要」に応えていたことを軽視できません。

 3病院の事務職員は、関西一円の福祉事務所、保健所、警察、救急隊などを回り、テレホンカードを配ったり、盆暮れに付け届けをしたりしながら、「営業活動」をしていました。「いつでも、どんな患者でも受け入れます。病院の車でお迎えに上がります」というのがセールスポイントでした。公的機関にとって3病院は、患者の入院先や搬送先の確保に困ったときに「便利な病院」でした。

 そうした事情もあって大阪府は、実態をある程度知りつつ、見て見ぬふりをしてきたのです。

 当時の大阪市などの生活保護の運用では、住居のない患者へのアパートの敷金支給はなく、もし病院がいやになって自分で退院すると、保護を直ちに打ち切られ、野宿するしかない状況でした。

 また、他の一般病院では、高齢者を含めて多くの患者が数か月ごとに転院を迫られ、介護施設も不備だったため、家族は次の入院先を探すのに、とても苦労していました。そんな中、安田病院、大阪円生病院は、いったん受け入れると転院を求めず、ずっと引き受けたのです(それでもスタッフ配置が極端に少なく、コストを下げているから、ぼろもうけできた)。

 一方、精神科の大和川病院は、急性期の症状の患者をすぐ入院させたい、という家族の切迫した要望に応えていました。ときには、恥になるから身内の精神病患者をずっと閉じこめておいてほしい、という身勝手な求めにも応じていました。処遇の難しい患者を多数受け入れていたという見方は、病院がなくなる時に転院した患者のその後の状況から言っても、違います。問題は救急的な対応でした。

 結論をまとめると、安田系のような劣悪病院が存在した根本的な背景は、生活保護・高齢・精神障害といった患者の「行き場」の確保という居住福祉の不備、そして精神科救急医療システムの不備でした。それと引き換えのような形で、患者たちはひどい医療、人権侵害を受けていたのです。

 現在でも、福祉や救急医療の不備は、劣悪病院の温床になりうるでしょう。

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原昌平20140903_300

原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保障を中心に取材。精神保健福祉士。社会福祉学修士。大阪府立大学大学院客員研究員。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

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