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岩手・大槌 保健師たちの奮闘…震災の教訓、未来へ

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年間延べ1800人 高齢者の健康見守る

岩手・大槌 保健師たちの奮闘…震災の教訓、未来へ

新設工事が進む大槌町の目抜き通りに立ち、町の未来を語る鈴木さん(左)と岩間さん

 東日本大震災の大津波に襲われた、岩手県 大槌おおつち 町。28年間、町の保健師を務めた岩手看護短大教授の鈴木るり子さん(67)と、現役の町の保健師、岩間純子さん(43)を訪ねた。地域を知り、人々の暮らしをまるごとみる役割が続く。

 3メートル近くかさあげした大地に、かつての家々や遮蔽物はない。海と山から強い風が吹き抜ける。復興のつち音も風の中に舞っている。2011年5月。震災からほぼ50日。壊滅状態だった町を黄色いベストの一団が行き交った。背中に「保健師」の文字。鈴木さんが発したSOSに呼応し、ゴールデンウィークに、全国から137人が手弁当で結集した。64畳の農家の納屋で寝泊まりした。

 しぼった雑巾のようにつぶれた車。鼻をつく異臭。積みあがるがれき。ハエが群がる。町役場も病院も津波と火災にのまれた。避難所の9000人以外の安否も、自宅にいる被災者の健康状況も分からない。

 「残った家の全戸家庭訪問を」。鈴木さんは住宅地図を1ページずつめくり、地区の特徴や個々の家の家族構成を伝えた。保健師は3700軒、5100人を訪ね、町外への避難者を含む87%の町民の安否を確認した。床ずれが悪化した高齢者ら「隠れた重症者」を医療につなげ、詳細な分析を進めると、ストレスで高血圧症が若い世代でも急増していた。

 「あの時、声をかけてもらい、相談できたことがうれしくて」と、食料品店を営む女性(65)が語る。町や大学も協力し、保健師の底力を見せつけた。

 同じ頃、家族と離れ、災害対策本部に詰めた岩間さんは、食事をした記憶もない。救援者や避難所の手配や調整作業が、際限なく積みあがっていた。

 仲間3人を、津波で亡くした。夜、重症患者を車に乗せ、安全な避難所へと燃えさかる林道を走った。認知症の人や足腰が弱い人、精神障害の人のそばで過ごした。色あせた、茶色い街並みが目に焼きついて離れない。駆けつけた元上司の鈴木さんの顔を見て、泣いた。

 生き残ったことに負い目を感じなくてもいい。生を実感し、心身ともに健康でいたい。その思いがみんなに必要だと気づくのは、ずっとあとだ。決して割り切れはしないのだけれど。

 町は、仮設住宅から災害公営住宅への移行期に入った。今月、県立大槌病院(50床)が再開した。だが、心に傷を負ったままの人々がいる。自暴自棄な人。酒におぼれる人。仮設住宅で、風呂に入る気力すらなくした人。地域で支えあう力は、悲しいが、衰えた。

 保健師の役割も、独居の高齢者らを中心とした孤立防止やコミュニティーづくりが大きな柱になった。岩間さんは、職員6人で年間延べ1800人の高齢者を回る。鈴木さんは同町や盛岡市で町民が集う場をつくり、短大で後進を育てる。

 人が世代を超えてつながらなければ、新しい町は生まれない。有事にどう動くかを一人一人が考え、備えておくことも必要だ。

 「住民の生きる力、守りあう力を引き出す風を吹かせたい」。震災から5年を迎えた町で、2人は未来を見つめている。

 

  メモ  大槌町は、大震災による死亡・行方不明者が1285人に上った。町長ら40人の町職員も亡くなった。当時約1万5276人だった人口は、1万1732人。人口減少率は23.2%と、県内で最も高い。高齢化率も32.4%から34.9%になった。震災前より1人多い8人の保健師が、健康推進や地域包括ケアなどを担う。(鈴木敦秋)

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