宋美玄のママライフ実況中継
医療・健康・介護のコラム
専業主婦の“年収” その議論に意味はあるのか?
まだ5月なのに暑い日が続きますね。連日家事と育児(と仕事)で精一杯で、自分の食事を
先日、働く女性向けのサイト「マイナビウーマン」に掲載されたアンケート調査が話題になっていました( http://woman.mynavi.jp/article/160513-6/ )。「働く男女が考える、専業主婦の年収は」という調査なのですが、女性の一番多かった回答は200万円(全体の9.5%の人が回答)で、男性の一番多かった回答はなんと0円(12.9%)というものでした。女性回答者の平均は166万円、男性回答者の平均は143万円といずれも低く、ネット上ではこちらを元にさまざまな議論が起こっていました。
回答者は「働く男女」ということだけで属性や年収など調査の詳細が分からないので何とも言えませんが、全体的に低い数字が出たことから、家事や育児という労働は家の外での仕事に比べて評価されていないのだなと感じました。
私は時々ベビーシッターさんに息子を家でみてもらったり、たまに家事代行サービスをお願いしたりすることがあるのですが、それなりのお金がかかります。もしも365日の家事・育児を外注したとすればすごい金額になると思います。家事や育児が家の外に出れば価値のある労働であることはこちらのブログの読者には説明不要のことと思います。
単純に家事や育児をお金に換算するならば、働きながら家事や育児もしている人の年収は非常に高額になるでしょう。私の毎日は、起きている時間のほとんどを家事と育児と仕事に費やしているので、家事と育児に給料が発生したらどんなに高額になるだろうと考えてみましたが、誰もくれるはずがない金額を計算しても全く意味がないことに気付きました。
夫婦とはギブ・アンド・テイクを超えたパートナーシップ
今回のマイナビニュースの調査は、「家事・育児にいくら払われるべきか」ではなく「専業主婦の年収」として聞いていることがポイントだと思います。「業務」内容より、専業主婦の存在そのものの価値を測ることが目的だったのだと思います。結果的に今回の調査対象群には安くみられていることが分かりましたが、逆に「専業主婦の仕事をお金に換算すると、○○円。専業主婦には価値がある」というような論調のものもみかけますね。
しかし、あまり存在価値をお金で示そうとすると、逆にお金さえ出せば代用可能だと言っているのと同じことになってしまうと思います。ネットの掲示板では、モラハラ夫のことを「ATMだと思って我慢」というように表現されているのをよく見ますが、夫の存在価値が「持って帰ってくるお金」に置き換えられてしまうように、専業主婦も「家事代行サービス」と言われてしまえばとても寂しい気がします。夫婦間というのは細かく計算されたギブ・アンド・テイクを超えたパートナーシップだと思うので、誰もくれない架空のお給料で価値を測ること自体に私は異議を唱えたいです。
もっと気軽に家事代行を!
家事と育児と仕事でてんやわんやの私としては、他の先進国のようにもう少し気軽に家事を代行してもらって、育児と仕事に重点を置きたいというのが本音です。外国人を雇用した家事労働の規制をなくす議論につながらないかなあとこっそり思っています。
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値が付けられないのは全く同感なのだが、あえて付けるなら完全歩合だと思う。献身的に家事をする方もいれば手を抜きまくる人もいる。例えば家政婦を雇って家事を全てやってもらっていたり、在宅仕事の旦那が家事もやっていても仕事してなきゃ専業主婦になるのだから、実際の仕事ぶりに応じるべきかな、と。あえて値段を付けるなら、ね。
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敢えて言うならプライスレスでしょうか。 時間や労働力を売って対価を得るという経済行為なら金銭価値が定まるでしょうが、家事は愛情に基づく行為なので...
敢えて言うならプライスレスでしょうか。
時間や労働力を売って対価を得るという経済行為なら金銭価値が定まるでしょうが、家事は愛情に基づく行為なので本来は対価を求めないものとしてこう表現したいです。
今は共働きも増え家事分担をあたかも契約のように夫婦間の取り決めとする風潮です。しかし、家庭の共同生活とは役割の線引きではなくshare with、すなわち共有すること。キミかボクか、ではなくキミもボクもだと思います。
我が家も共働き、それぞれの仕事のパターンや繁忙期が違いますから、その時々の負担の軽い方が家事も子育てもPTAなどの対外行事も率先して担うこととしてきました。
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家事育児は労働じゃない。0円。
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てっきり、103万130万の壁の話かと思いました。途中まで読んでやっと理解しました。 自分の食いぶちを自分で稼ぐのと同じくらい、自分の生活の維持...
てっきり、103万130万の壁の話かと思いました。途中まで読んでやっと理解しました。
自分の食いぶちを自分で稼ぐのと同じくらい、自分の生活の維持に必要な家事や、自分の子を自分で育てるのも基本のことでしょう。
誰かにやらせて当たり前と思わずに、本当は自分がしなきゃいけないことを代わりにやってくれていると思っている人なら、自然と感謝と労りの気持ちが生まれるはずです。
労働者をATMと言える人も、家事育児を見下げる人も、根っこは同類です。
労働も家事も育児も、どれも家庭という組織運営に必要です。夫婦でそれを運営しているのならその役割分担が、50対50でも100対0でも70対30でも、各家庭で一番効率よくやりくりできて幸せな形を考えればいいことです。
個人的には、家事代行を頼むのはよほど切羽詰まった時、最後の手段に限ります。
靴磨き屋さんに足を突き出して靴を磨いてもらう人を悪いとは思いませんが、自分がそれをしてもらうとしたら恥ずかしいです。人目ではなく、人として。
自分で靴を磨きながら、これは何円かなどと思い付きもしません。
病気や高齢や仕方ない事情のある人には家事代行は利用しやすくなればいいですが、
自分でできる能力がありながら、自分が汚した皿や衣類や部屋を金で他人に始末させるのを、当たり前で平気の感覚にしたくないし、子供にもそう思わせたくない。
外注せざるを得なくなったとしても、当たり前のお手軽サービスじゃなく、基本を忘れたり勘違いしない意識の人間でいたいです。
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