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5件 のコメント

抜く刀を医者は持っているのか。

新城拓也

「刀を抜く」つまりきちんと医者として患者を救う技術を持っているのか、最近は終末期医療の分野に身を委ねて疑問に感じることもあります。
僕も脳外科医として医者として最初の第一歩を始めたこと、今から思うととても大切なことでした。来る患者来る患者、頭を使う前に、患者を救うために身体が先に動くようになるまで、毎日トレーニングを受けていました。そして、救い続けても救えない命、救うことで新たな矛盾に直面する命を経験し続けてきました。
今僕は、緩和医療、終末期医療の分野でまた在宅医療の分野で心から心配していることがあります。本当にそのような分野の医者は患者を救うための技能を身につけているのでしょうか。
「刀を抜く」ことができる医者だけが、「刀を抜かない」選択をして良いのだと僕は考えています。抜く刀のない医者が増えてはいないか、そういう医者が緩和ケアや在宅医療の現場に増えているのではないかそんな心配をしています。
医者になって最初の5年は、自分の刀をきちんと作って欲しい僕はそう思っています。

私信ですが、岩田充永先生本当にお久しぶりです。大学のオーケストラで一緒に練習していたときのこと、僕は今でも覚えています。またお目にかかれる日を、心から楽しみにしています。

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急性期医療ができれば患者に寄り添える??

岩田充永

偉大な先輩に、コメントを頂きまして恐縮しております
このような機会を創って頂いたヨミドクター編集長には感謝いたします

私は、救急医や急性期内科医を育成する立場で、「急性期医療や救急医療ができれば地域医療はいつでもできる」という幻想というか大いなる誤解が未だ、医学部や急性期大病院と称される研修医が集まる医療機関に根強く残っているのではないかと危惧しています
立場は反対になるかもしれませんが。新城先生が憂慮なさっておられることに似ていると感じました

急性期治療のための知識技術の習得には熱心でも、急性期を脱すると「自分の興味の対象外」という態度に豹変してしまう「興味があることだけには優秀な医師」に時々出会います。患者さんにとっては、病気やけがの急性期というのは人生の一時期に過ぎず、それを乗り越えても人生は続くのであり、そこにぴったりと伴走する医療者というのはとても大切な存在で、急性期治療の短期間だけを経験した医師が思いつきで出来ることではない、そのようなことを専門にしている医師の活躍を自称急性期大病院の医師は知るべきと感じています。

私の医局で救急医を目指す人間には、在宅医療と継続性のある外来診療を経験してもらっています。少なくとも救急医となった時に、継続的な医療を担っている方々に対する敬意だけは身に着けて欲しいと願っています。

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回復時のQOL

小吉

命に関わる大事でなくとも老人が救急病院に搬送されて心配なことがあります。それは退院後の生活復帰です。
80歳を越えた私の母はある日、自宅の中で倒れ病院に運ばれました。幸いにも骨折や脳の異常はなくホッとしましたが、2週間の入院生活で足腰が弱って歩けなくなり、自宅には戻れず老人ホームに生涯暮らすこととなってしいました。
また、同じく老齢の親戚は骨折して2ヶ月入院している間に認知症になり家族も分からない状況に。これも老人ホームに直行となりました。
医療側も目先の治療で大変だとは思いますが、入院が新たな障害をつくり出している現実に目を向けて欲しいと思います。

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そうなる前に

AJI

岩田先生の日頃のご活躍が目に浮かびます。本当に尊いお仕事をなさってます。
救命救急の前に在宅で長く療養されていたのでしたら、いざという時どうするか、日頃からかかりつけ医や家族と相談しておかなければ。救命救急の現場で医師が判断しなければならない事例が増えている→だからリビングウィルや事前指示書を書いておけ、ということになりがちですが、患者家族とかかりつけ医、専門医とかかりつけ医との間に良いコミュニケーションが取れていれば救急車を呼ぶような事態はかなり少なくできるはずではないかと。老年医療のネットワーク推進策が必要です。救命救急医が安心して救命できるように。

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ヨミドクター

あんこ

コメントと言うより、感想です。日本尊厳死協会のHPに新聞その他から抜粋して、協会関連の記事を紹介しております。最近のヨミドクターの掲載記事は興味深いものが
多々見受けられます。今後も期待しております。

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