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外傷後成長(PTG)研究者の開浩一さん

編集長インタビュー

開浩一さん(3)米国留学で広がった世界 そして、PTGとの出会い

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アメリカ留学中、友人たちとNBA(米プロバスケットボール)の試合を観戦=開さん提供

 こうした経験を積むうちに、開さんはアメリカでソーシャルワークの仕事をしたいと願うようになっていく。英語を使って、移民や難民をサポートする「国際ソーシャルワーカー」になりたいと。大学院を卒業して、民間活動団体などに就職活動を1年ほど続けたが、面接でことごとく落ちた。

 「そう思いたくはないのですけれども、日本人であることや、障害を持っていることがもしかしたら壁になったのかもしれません。自分のやりたいことが見つかったと思っていたので、非常に落ち込みました」

 結局、6年間の米国留学を終え、再び日本に戻った。改めて、久留米大学大学院の後期課程に入学し、それまで学んだ心理学とソーシャルワークをまたがるようなカウンセリングができるソーシャルワーカーか何かになりたいとぼんやり考えながら、研究を始めた。

大学院入学2年目、たまたま大学の図書館で、ソーシャルワークの英語の論文雑誌をぱらぱらめくっていた時、運命の出会いが訪れた。

 「なおいっそう良好に:逆境がどのように人に恩恵をもたらすのか」というタイトルの論文だった。

 そのキーワードがぱっと目の中に飛び込んできた。夢中になって読み進め、これだ!と確信した。

 「自分の障害を持ってきた人生がこれで生かされる、そもそも事故に遭ったことさえも意味がある、と初めて思えたのです。すごく衝撃を受けました。この考えは、何かしら苦しみを抱えた人に生かせるのではないかと直感しました」

 友達がすんなり就職が決まっていく中で、自分は就職も決まらなかった。事故の後遺症で体温調節がうまくできず、体調を崩すこともよくあった。胸から下に力が入らないので、トイレを我慢できずに漏らしてしまうこともあり、悔しい思いもした。

 「復学や留学にもチャレンジし自分なりに充実していたので、ずっとつらかったというわけではありません。それでもPTGに出会った時は、それなりに厳しい場面に出会ったり、ままならないこともあった。でもそういうことにも意味があったんだとPTGが教えてくれた。自分が人生で受けた困難のより積極的な意味合いをPTGによって見いだされた気分でした。この概念を広めたいと強く思いました」

 「ポスト・トラウマティック・グロース(PTG、外傷後成長)」という論文に書かれていた言葉を基に、過去の研究論文を読みあさった。PTGのことをよく理解できたわけではなかったが、いてもたってもいられない思いに駆られ、自分も研究に取り組みたいと思った。

 まずは、日本のトラウマ経験者でもPTGは表れるのか確かめたくて、脊髄損傷者が語り合うインターネットの掲示板に、このような質問を投げかけた。

 「受傷して大変なことが多々あるかとお察ししますが、そのなかで、何か良かったことがあったら教えてください」

 ドキドキしながら回答を待っていると、返ってきたのは、夢中になって取り組み始めていた開さんに、冷水を浴びせかけるような厳しい言葉だった。

 「あるわけねぇだろ、このバカ、NYのテロに遭った人に聞いてみろ、このバカ」

 びっくりして頭が真っ白になった。

 「最初から手痛いパンチを食らいました。びっくりはしたのですが、納得もできました。自分の人生を振り返っても、事故に遭って、入院している時に、『事故に遭って良かったことってどんなことですか?』と聞かれたら、到底、理解できなかっただろうし、こう反応したくなるだろうなと。PTGは多くの人に表れるかもしれないけれど、慎重さが要求されるということを痛感した、大きな出来事でした。むしろ研究の始まりにそのようなパンチを食らって、良かったのだと思います」

 (続く)

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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