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外傷後成長(PTG)研究者の開浩一さん

編集長インタビュー

開浩一さん(3)米国留学で広がった世界 そして、PTGとの出会い

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開浩一さん(3)米国留学で広がった世界 そして、PTGとの出会い

留学の思い出を楽しそうに話す開さん

 福祉を勉強して、自分の体験を役立てたい。恩返ししたい――。

 そんな思いで、長崎ウエスレヤン短期大学(当時)の福祉学科に入学した。ここでも校舎はまだバリアフリーではなかったが、大学は車いすで入学する開さんのためにスロープを付けてくれた。同級生や教員、職員のすべてが、車いすを担いで階段を上るなどの協力を惜しまなかった。ところが、福祉を学ぶと、日本で障害者として生きる限界が逆に明らかになってきた。

 「福祉の制度や現状を学んでいくことは、障害を持って就職するのは大変ですよということを教わることでもあったのです。当時の日本で、車いすの者が就職することに関して、諦め感や絶望感を感じるようになりました」

 そこで、目を向けたのは海外だった。

 「とりあえず、アメリカに行きたかったんです。昔から、ヘビーメタルやハードロックなどアメリカの音楽が好きでしたし、『トップガン』とか『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とかの洋画も好きで、アメリカの文化に対する憧れがありました。大学を卒業しても、福祉の分野で仕事をするのは現実的に難しいということも学んだので、それならアメリカに飛んじゃえ!と思ったのです」

 留学を推進する大学で、学内で海外から来た留学生と仲良くなっていたのも、決断を後押しした。日本人の仲間3人と共に米国・シュライナーカレッジに入学し、向こうでは日本に留学していた外国人の仲間が待ち受けてくれていた。福祉学科はなく、心理学を学んだ。

 「本当は福祉を学びたかったのですが、今となれば、心理学が今の仕事に生かされているのです。たまたまなのですが、自分にとって結果的に良い選択でした」

 留学した1993年の直前、米国では障害者の権利を守る法律が成立し、大学は、学生寮のバリアフリー化も行って、積極的な態度で受け入れてくれた。

 そして、米国での生活は、自分が障害者であることをしばしば忘れさせてくれた。様々なマイノリティーとの出会いが大きかった。

 「障害を持っている人ももちろんですが、米国では民族のマイノリティー、つまり、黒人だったり、ヒスパニック系やアジア系だったりする学生がたくさんいる。また、ゲイやレスビアンなど性的マイノリティーの学生ともたくさん出会いました。日本にいると、人間は、健常者と障害者の2種類しかいないのです。しかし、アメリカに留学すると、2種類どころかたくさんの種類の人がいました。開浩一は、障害者ではあるのだけれど、日本人であることも自覚せざるを得なくて、留学生という肩書もある。多様性の中にいると、自分が目立つ存在ではないし、むしろ、アメリカだと目立ってなんぼという価値観が強いので、目立つことが気にならなくなりました」

 開さんは、大学の実習で出会ったヒスパニック系の子供たちにお願いして、車いすを赤やピンクや青色のキラキラしたモールで飾ってもらった。

 留学生同士の交流で、後から来た学生にアドバイスをしたり、テキサス州の運転免許を取っていた開さんは、皆で買い物に行くのに運転をしたり、「助ける側」「サポートする側」にもしばしば回ることになった。「日本では一方的に支援される立場でしたから、 (うれ) しかったですね」と振り返る。

 自信をつけていく中で、大学院に進学し、今度はソーシャルワークを学んだ。最初に実習した先は、貧しい人に食料を支給するNPOだった。開さんは、窓口を訪ねてくる人を面接し、必要と判断したら、食料を渡す役割をふられた。

 「びっくりしたのは、子供を5人ぐらい連れてきたお母さんに『旦那さんはどうされているんですか?』と聞いたら、『今ムショに入っているよ』と言うんです。ドラッグの密売をして捕まったそうなんですが、貧困ゆえに就職先がなく、ギャングに入って密売をしたり、貧困ゆえにストレスがたまって家庭内暴力や児童虐待を起こしてしまう人がたくさんいた。子供は学校に行かず、また貧困に陥ってしまう。ボスニア紛争から逃れてきた難民もいて、内戦で父親が亡くなって、息子さんとお母さんだけで生活しているけれども、仕事がない。すさまじい話ばかりで、カルチャーショックの連続でした。自分の障害の問題よりももっと深刻な問題があるのだと、目を見開かされた思いでした」

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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