高齢者の終末期を病院で診る立場から 宮本顕二・礼子
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
【現状と課題】“延命至上主義”が高齢者の最期を苦しめる
テーマ:現状と課題

宮本顕二さん・礼子さん
私たちは、高齢者は過剰な医療や延命措置を受けることなく、穏やかに人生を終えてほしいと願っています。
そう考えるようになったきっかけは、2007年にスウェーデンで認知症の専門病院や施設を見学し、案内してくれたアニカ・タークマン老年科医師から、「スウェーデンでも20年前は、高齢者が終末期に食べなくなると、点滴や経管栄養を行っていました。でも、今では、食べるだけ飲めるだけで安らかに看取ります」と言われたことです。私たちは終末期の高齢者に点滴や経管栄養を行うのは当たり前と思っていたので、日本の医療との違いに驚きました。
点滴や経管栄養などで延命しないので、日本のように何年も寝たきりの高齢者はいません。無理に食べさせないので、口内の細菌や食べ物が肺に誤って入って起きる「誤嚥性肺炎」もありません。私(顕二)は肺の病気を専門としていますが、日本に多い「誤嚥性肺炎」がスウェーデンではほとんどないと聞き、驚きました。
翌年から、欧米豪6か国の高齢者終末期医療の現場を見て回りました。その結果、日本で行われている終末期の高齢者に対する医療は、世界の非常識であることに気がつきました。
12年には、「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、医療・介護・福祉関係者向けの講演会と市民公開講座を、それぞれ年1回開催し、どうしたら高齢者は穏やかに人生を終えることができるかを模索しています。
15年には、ヨミドクターでのブログ連載「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」(/archives/shumatsuki/)をもとに、『欧米に寝たきり老人はいない -自分で決める人生最後の医療-』(中央公論新社)を出版しました。満足して人生を終えるためにはどうしたらよいかを、家族と一緒に考えてほしいからです。
ここで、私たちが経験した我が国の高齢者終末期医療の現状を紹介します。
私(礼子)が以前勤務していた病院で目にしたことです。99歳の女性が老衰の果てに食べなくなりました。寝たきりで話すこともできません。超高齢であるにもかかわらず、主治医は家族に胃ろうが必要であると説明し、胃ろうを造りました。案の定、栄養剤は吸収されずに下痢となって出てきました。さらに、免疫力が落ちているため、胃ろうの傷口は化膿しました。結局、胃ろうを造ってから数週間後に亡くなりました。
2人目は103歳の男性です。この方の長女が、父親の経管栄養を中止する方法はないかと、私たちに相談の手紙をくれました。その中には、「父親が食事中に肉を喉に詰まらせ、救急病院に運ばれました。一命は取り留めましたが、意識は回復しませんでした。医師と私たち家族は延命しないことに決めました。しかし、次に送られた病院では、家族に断りなく経管栄養が開始されていました。私たちは『103歳まで力をふりしぼってしっかり生きた父を、もう楽にしてあげたい』と医師に経管栄養の中止を申し出ました。しかし、経管栄養は続いています」とありました。
3人目は86歳の女性です。この方は終末期のアルツハイマー病でした。さらに、脳出血の後遺症で右側の麻痺と失語もありました。食事は介助が必要で、毎回1時間以上かかりました。食べる量も3分の1に減りました。唯一の身内である弟は、「もう十分がんばったので、これ以上は見るに忍びない。意思の疎通もできなくなったので、点滴や経管栄養は望まない」と言いました。認知症病棟での治療が終わり、内科病棟に移ることになったので、私は担当医に「家族は自然な看取りを希望している」旨を申し送りしました。
しかし、その後様子を見に行くと、まず中心静脈栄養が行われ、次に鼻チューブによる経管栄養が行われました。目には涙を浮かべていました。その後、肺炎を繰り返し、2年7か月後に亡くなりました。認知症病棟で、自分が最後まで診ればよかったと後悔しています。そうすれば、数か月後に穏やかに亡くなったと思います。人工栄養を行った結果、3年近く延命されました。どちらが良いのか、判断が分かれるかもしれません。しかし、この方の尊厳を考えると、人工栄養をしたことが良いとは思えません。
このように我が国では、老衰でも、意識がなくても、終末期の認知症でも、中心静脈栄養や経管栄養で延命されます。それは、“延命至上主義”を是としている人が多いからです。実際、家族の中には、「どんな状態でも生きているだけでいいので、できることは何でもやってください」と言う人がいます。一方、医師も、“医療とは患者の命を助けること”と教育されているので、1分1秒でも長く生かすことを考え、延命されている患者の尊厳やQOL(生命・生活の質)を考えることは、ほとんどありません。
そもそも、延命を望んでいるのは本人ではありません。周囲の者が人の命を勝手に延ばす、これは倫理的に許されることではありません。
欧米豪では、延命は人の尊厳を損なうことから、ほとんど行われません。日本独特の延命至上主義は、一体どこから来るのでしょうか。「四」という数字を日常生活で避けることからも、日本には「死」を“忌み嫌う文化”があります。それが延命至上主義につながっているかもしれません。しかし、死を先送りしていては、人間らしい尊厳ある生涯は送れません。“延命至上主義の是非”について考えるべきです。皆さんはどう思いますか?
◇
【略歴】

宮本顕二(みやもと・けんじ) 北海道中央労災病院長、北海道大名誉教授。
1976年、北海道大卒。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事長。専門は、呼吸器内科、リハビリテーション科。「高齢者の終末期医療を考える会」事務局。

宮本礼子(みやもと・れいこ) 桜台明日佳病院認知症総合支援センター長
1979年、旭川医科大学卒業。2006年から物忘れ外来を開設し、認知症診療に従事。日本老年精神医学会専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定内科医、精神保健指定医。「高齢者の終末期医療を考える会」代表。
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人の尊厳とは一体どういうものなのだろうか?それは年齢によって変わるものなのだろうか?と感じました。
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それは関係の中にこそあるもので、近しいもの同士の中にある尊厳と、そこで(例えば病院で)出会ったばかりの間にあるものでは、自然に違いが生じているのではないのだろうか?と考えているのです。
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(承前)
例の写真を見て、その説明だけを読むと、高齢者の終末期という文脈でのものではありつつも、経管栄養、人工呼吸器の利用そのものが、人を苦しめるだけの残酷で無理な延命手段として一面的に受け取られて、怖がられる人もいるのではないだろうかと、経管栄養・人工呼吸器を使う者の一人としては危惧を感じました。
すべての治療などの医療行為、介助などの支援行為は、何のために行うのかといえば、病気や障害、衰えによって損なわれた本人の生活をよりよくしていくためです。生活を脅かす痛苦があれば取り除いたり、やわらげたり、生活を妨げる体の障害があればその替わりの介助でサポートしたりがもっとあたりまえのこととして考えられるようになったらと思います。どんなときでも、本人を置いてきぼりにしない医療や介護であってほしいと思います。
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