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外傷後成長(PTG)研究者の開浩一さん

編集長インタビュー

開浩一さん(2)交通事故で頸椎損傷 19歳で車いす生活に

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開浩一さん(2)交通事故で頸椎損傷 19歳で車いす生活に

大学のグライダーサークルで先輩と一緒にグライダーに乗る開さん(後席)=開さん提供

 長崎県諫早市で育った開さんは、幼い頃から近くの山や川で遊び、体を動かすのが大好きな少年だった。スポーツもソフトボールや剣道、水泳を楽しみ、中学ではバスケットボール部で汗を流した。高校に入って進路を考えた時、当時の大ヒット映画、『トップガン』で戦闘機のパイロット役を演じたトム・クルーズの姿が頭にあった。

 「すごく憧れて、自分もパイロットになりたい、飛行機関係の仕事に就きたいと思いました。日本大学の理工学部に進学し、本当は航空宇宙学を学びたかったのですが、倍率が高くて、機械工学を選びました」

 大学ではグライダーのサークルに入り、仲間と共に滑空場に通っては繰り返し飛んだ。

 「自分があの青い世界の中に飛び込んでいく感覚! 上昇する時に斜めになって空が見えるのですけれども、普段見ている時と青の濃さが違うんです」

 空の魅力に取り () かれ、1年生の終わり頃には、大学をやめて、パイロット養成の専門学校に入り直すことを考えた。(ゆくゆくはジャンボジェットを操縦するようなパイロットになりたい)。そんな夢を抱いていた1年生を終えた春休み、あの事故は起きた。19歳だった。

 実家に帰省し、地元の仲間と福岡に遊びに行った夜の帰り道。スピードを出し過ぎてカーブを曲がりきれず、ガードレールに衝突した。

 「何回かスピンして、ようやく止まると、体が前のめりになるのをシートベルトが押さえ込んだ反動で、上半身が車のシートにたたきつけられました。とっさに車が爆発するのではないかと思って、車外に逃げようとしたのですが、なぜか体が動かせない。助手席にはダッシュボードがかぶさっていたので、その重みで動けないのだろうと思っていました」

 救急隊が駆けつけてチェーンソーでドアをはずし、立とうと思うのに、足が動かない。

 「その時は、事故のショックで動けないのだろうと思っていました。担架で救急車に乗せられ、近くの病院に運ばれてレントゲンを撮ったら、『どうやら首の骨が折れているようだ』と言われました。しかしその時点では、『首の骨が折れている』ということが何を意味するのかよく理解できていませんでした」

 翌日、佐世保市の大きな病院に転院し、再び検査を受けて、砕けた首の骨を針金で固定する手術を受けた。全身麻酔で7~8時間の大手術が終わり、麻酔から覚めると、病院のベッドにあおむけで横たわり、首は動かないように固定されていた。 頸椎(けいつい) を損傷し、胸から下が動かなくなっていた。

 「天井の模様をずっと見つめながら、19年しか生きていないそれまでの人生を振り返っていました。もっとやりたいことをやっておけば良かったという後悔の念ばかりが浮かびました」

 その後は長いリハビリが始まった。最初はベッドを徐々に起こすところから。10日ほどで起きあがれるようになると、次にご飯を自分で食べる訓練をした。

 「2、3週間ぐらい入院してリハビリすれば動くようになるんじゃないかと、4月になったら歩いて大学に戻って、またグライダーをしようと考えていたのですが、じわじわとそんなに甘いものではないとわかり始めました」

 胸から下が全く動かず、指で動くのは右手の親指だけ。車いすに乗って、リハビリ室に通うようになると、先輩の車いす仲間と話すようになり、その中で『半年が勝負』という話を聞いた。

 「リハビリをすれば、半年間は動かなかったところが動く可能性があると言うのです。わずかに残った神経で徐々に動くかもしれないと。半年間、とにかく頑張りました。ベッドで寝ている時も『足動け!』とイメージして一生懸命動かそうとしていました」

 しかし、足は動くことがなかった。「この先もずっとこのままなのかもしれない」と悟ったのは、半年ほどたって、リハビリの先生から「自分の車いすを作りませんか?」と持ちかけられた時だった。それまでは病院の車いすを使っていたが、この先もずっと障害と付き合っていくならば、自分の体に合った車いすを作った方がいいという専門家の配慮だった。

 「やっぱり自分は車いすで生きていくのかと落ち込みました。この先どうなるのだろう? 学校に戻れるのだろうか?と次々に不安がわき上がっていました」

 母はずっと病院で付き添ってくれ、父と妹は母親なしで自宅の生活を切り盛りしてくれた。この病院は、炭鉱仕事で脊髄を損傷した患者をたくさん受け入れている施設で、年上の車いす仲間は、事故から間もない若者の 悶々(もんもん) とした気持ちを聞いてくれた。みんながどんな車いすを作ったらいいか、服を自分で着るコツ、どういう靴を選んだらいいか、車いすでも入りやすい店の情報など、具体的なアドバイスをしてくれた。

 「家族や車いす仲間にとても支えられましたね。それに、病院にいる時はみんな車いすだったので自分はマイノリティーではない。それほど障害を持った自分を意識することはなかったのです。1年間入院して、大学に戻った後の方が、周りと自分を比べて障害をものすごく意識したところがありました」

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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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