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医療・健康・介護のコラム

「命のバトン」をつなぐ「がん対策基本法」の改正に向けて

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 「救える命を救う」ために、多くのがん患者や家族の声を受けて2006年に成立した「がん対策基本法」。現在、今国会での提出を目指し、国会の超党派議連による改正案の検討と、改正案へのパブリックコメントによる意見の募集が行われています。国による10年のがん対策を経て、「新たに見えてきた課題」と「取り残された課題」への対応を目指し、「2人に1人ががんに 罹患りかん する」日本において、がん対策のさらなる進歩につながることが期待されます。

全国がん患者団体連合会理事長 天野慎介

 「先生、今日は外は雪です。ずいぶん痩せておられましたから、寒くありませんか」。2008年1月23日、参議院本会議で尾辻秀久議員(自民党)は、前年12月に胸腺がんで逝去された故・山本孝史議員(民主党)への哀悼演説で、山本議員にこう語りかけました。尾辻議員と山本議員はがん対策基本法の成立に向けて、時に国会で互いに論戦を交わし、時に党派を超えて共に汗をかいた、いわば「同志」でもありました。

 2006年に成立したがん対策基本法。その原動力となったのは、多くのがん患者やその家族の切なる声でした。例えば03年当時、欧米など海外では大腸がんに対する標準的な抗がん剤として使用されていた「オキサリプラチン」は、もともとは日本の名古屋市立大学で基礎研究が行われて開発されたにもかかわらず、東アジアで承認されていないのは日本とモンゴルと北朝鮮だけ、という状況にありました。国内においても、日本人に多い主要ながんにおいてさえ、医療機関によってはガイドライン(治療指針)に基づく標準的な治療が行われていないのではないか、との声も上がりました。

 「抗がん剤が欧米などで承認される時期と、日本で承認される時期の差をなくしてほしい(=ドラッグ・ラグの解消)」「がん患者がその居住する地域にかかわらず、等しく標準的な治療を受けられるようにしてほしい(=均てん化の推進)」という患者の声を受けて、厚生労働省では2004年に「がん医療水準均てん化の推進に関する検討会」、05年に「未承認薬使用問題検討会議」を設置しました。そして、05年5月には大阪で「第1回がん患者大集会」が開催され、3000人を超える参加者を前に、島根県からがん対策の推進を訴え続けていた大腸がん患者である故・佐藤均氏や、大阪府の医師で自身も肝臓がん患者であった故・三浦捷一氏らから、「がん難民という言葉さえ生まれている」と、がん対策の推進を訴える大会アピールが尾辻秀久厚生労働大臣に手渡されました。

高まる患者や家族の声を受け、がん対策基本法成立

 高まるがん患者や家族の声を受けて、06年1月には衆議院本会議で神崎武法議員(公明党)は「がん対策法の制定を急ぐべき」と提唱し、野党案(民主党など)と与党案(自民党及び公明党)の「がん対策基本法案」が相次いで国会に提出されました。そして、同年5月の参議院本会議で山本孝史議員は、自らもがん患者であることを公表し、「がん患者は、がんの進行や再発の不安、先のことが考えられない つら さなどと向き合いながら、新たな治療法の開発に期待を寄せつつ、一日一日を大切に生きている」と、国会会期内(同年6月18日まで)での法案成立と、野党案と与党案の一本化を訴えました。

 山本議員の呼びかけは党派を超えて多くの議員の心を動かし、がん対策基本法は同年6月16日に成立しました。基本法成立への動きと歩を合わせるかのように、佐藤均氏は05年6月、三浦捷一氏は同年12月、山本議員は07年12月に旅立たれました。山本議員への哀悼演説で尾辻議員は「山本先生は我が自由民主党にとって、最も 手強てごわ い政策論争の相手でした」と党派を超えて盟友を しの びつつ、「山本先生は、日本のがん医療が、ひいては日本の医療全体が向上し、本当に患者のための医療が提供されることを願いながら、静かに息を引き取りました」と述べました。そして、がん対策基本法成立を求めて声を上げていた多くのがん患者の皆さまが、おそらく同じことを願いながら旅立っていかれました。

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