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QOD 生と死を問う

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[QOD 生と死を問う]家で看取る(下)救急車、呼ぶか呼ばないか

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身近に専門職、急変時に相談

[QOD 生と死を問う]家で看取る(下)救急車、呼ぶか呼ばないか

 穏やかな最期を迎えたいと、自宅での療養を選ぶ人は増え始めている。ただ、最後の最後で望んでいなかった入院となる人もいる。分かれ目となるのは、体調の急変時に、本人や家族の身近に、どうするのが最良かを相談できる専門職がいるかどうかだ。

 「救急車を呼んで病院で助けてもらわなくてはと、頭が真っ白になった」

 神奈川県相模原市の自宅で今年1月、90歳の母親・山本節子さんを 看取みと った長女の由香さんは、急変時のことをそう振り返る。

 昨年10月、老衰と末期がんで自宅療養していた節子さんは大量出血し、危険な状態に陥った。勤務先から慌てて帰宅した由香さんは、パニック状態だった。

 状況を冷静に説明したのは、利用していた訪問看護ステーション「楓の風」の看護師だ。病院に運んでも、栄養を体に送る管をつけるなどの延命治療を望まない場合、できる処置はほとんどない。「おそらく輸血しかない」と告げた。

 それでも救急車を呼ぶべきか。気持ちが固まるまで、介護士が由香さんの震える背中をさすり続けた。由香さんは「素人の私には、今がその(死ぬ)時だなんて思えなかった。病院にさえ行けば、助かると思っていた。でも、そうじゃないと気づけた」と、救急車を呼ばなかった理由を話す。

 在宅医療に力を入れ、多くの高齢者を看取ってきた新田クリニック院長の新田国夫医師は「本人が自宅での最期を希望し、それを理解していた家族でさえ、急変時に救急車を呼ぶ。その結果、思い描いていたのとは異なる最期となるケースも多い」と話す。

 東京都国立市の80歳代の女性も、その一人だ。女性は老衰で心臓が弱り、自宅療養していた。ある夜、容体が急変した時、同居する長男は慌てて救急車を呼んだ。

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 救急搬送された病院では、救命が最優先となる。女性は鼻や口から呼吸や栄養補給のための管を入れ、命をとりとめた。だが、長男も女性も「こんな状態になっては自宅に戻れない」と嘆いた。

 新田医師は「命を助けるために最善を尽くすのが病院の役目。ただ、老衰で自然に逝きたいという女性の希望をかなえるなら、救急搬送ではなく、苦しみを和らげる処置が必要だった」と話す。幾つも管がついた状態では、自宅に戻れず、遠く離れた病院や施設を転々とすることもある。

 では、どうすればいいのか。

 必要な治療かどうかを判断するのは、医療者でも難しい。日頃から本人や家族の生活や状態をみて、思いを理解している在宅医や看護師がいるかどうかが、カギを握る。新田医師は「高齢になると、病院へ行っても願うような回復が見込めない時が来る。それを多くの人に知ってもらうことも大切だ」と話す。(山本節子さん、由香さんは仮名です)

地域中心の「生活支える」医療へ

 国立長寿医療研究センターの大島伸一名誉総長は「住み慣れた自宅で最期までという高齢者の願いをかなえるには、病院中心の『治す』医療から、地域中心の『治し、かつ生活を支える』医療への転換が重要だ」と強調する。

 20年後には、人口の5人に1人が75歳以上になる。高齢の死者数が増え、病院だけで受け入れるのは難しい。自宅での自然な最期を望む声も増える中、諸外国に比べ低い水準にある在宅での看取りを増やし、約8割の人が病院で亡くなる現状を変える必要がある。

 在宅医療体制を強化するため、国は2006年、24時間365日対応する「在宅療養支援診療所」を創設。14年には24時間態勢で看取りに応じる機能を持った訪問看護ステーションも制度化した。だが、厚生労働省が昨年公表した資料では、在宅医療に取り組む医療機関のうち、約4割で1年間に看取った患者が0人だった。夜間は「救急車を呼んで」と対応する例も目立つなど、課題は多い。

 大島名誉総長は「人は老い、必ず亡くなる。どんな状態でもいいから長く生きるのがよいのか。それとも地域で暮らし、その人らしく逝くのがよいのか。真剣に向き合い、考える時が来た」と話す。

 ◎QOD=Quality of Death(Dying)「死の質」の意味。

 (大広悠子)

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